マルクス・エンゲルスの言葉
1929年〜30年のソビエト版第一版から
マルクス・エンゲルス全集第23巻339頁
「改良は弱さの指標である」
第二巻369頁
「デモクラシーは君主制や貴族政治より怖るべきものである」
第二巻394頁
「政治的自由は虚偽の自由であり、最悪の奴隷状態よりも悪い」
第二五巻187頁
「1793年(フランス革命の恐怖政治)を繰り返さなければならぬだろう。
権力掌握後は我々は人非人とみなされるだろう。そんな事は、勿論、
我々は毫も意に介さないが」
レーニン『青年同盟の任務』
「我々は、どういう意味で道徳を否定し、倫理を否定するのか?我々が
否定するのは、ブルジョアジーが説教(親孝行の生き方、5戒の戒め等
!忍)してきたような意味の倫理である。ブルジョアジーは、この倫理
を神の掟から引き出してきた。我々は、この点については勿論次の様に
言う。我々は神を信じない(精神の存在を否定している。だから神を否
定する事により悪魔に魂を売る事になる。絶対神は存在しないけれど、
絶対的な宇宙の大自然の法則は存在する。人類の生命は宇宙の大自然の
法則から産み出し、その精神の存在がある。その高貴な精神の存在が神
と云ったのである。それを守る霊体の存在があるのです!忍)」
レーニン『パリ・コミューンの教訓』
「1871年のパリのコミューンはなぜ敗北したのかを彼は分析したので
す。そして、コミューンは余りにも少ししか銃殺しなかったからだ。と
いうのがレーニンの主要な結論だった。コミューンは余りにもわずかし
か人を殺さなかった。幾つもの階級的グループを殺すべきだったのであ
る。権力の座につくと、レーニンはそれをやって見せたのです。その結
果、土地の事で農民を欺いたのはレーニンですし、自主管理で労働者を
欺いたのはレーニンですし、労働組合を抑圧機関にしたのはレーニンで
すし、周辺のあらゆる民族を弾圧し、帝国を樹立する為に軍隊を派遣し
たのもレーニンです」
レーニンは1920年、モスクワで、言論の自由を否認して、次の様に演
説の言葉
「言論の自由、出版の自由など、なぜ認めなければならないのだろう。自
らよいと思う事をやっている政府が、なぜ政府批判を許しておかなくては
ならないか。政府は、致命的な、武器による反対を許そうとしないではな
いか。思想のほうが鉄砲よりも遥かに致命的なものである。だとすれば、
なぜ政府を当惑させる事を狙った有害な意見を広める事を許さなくてはな
らないのだろうか(歴史的と道徳的な判断で物事を云っていない!忍)」
赤旗95年12月13日日本共産党新聞「赤旗」の「独習指定文献」の中で、
「学習は、これらの文献([独習指定文献!忍])にとどまるものでは
ありません。・・・・マルクス、エンゲルス、レーニンの古典、党幹
部(日本共産党幹部)の論文等の計画的学習も大いにすすめましょう」
と言っており、マルクス・レーニン主義そのものの否定等の言及は何一
つ無く、逆に今回の改定によって、宮本顕治(日本共産党議長!忍)『日
本革命の展望』(二段革命論)を証明する形である。
「革命への移行が・・・・平和的になるか、非平和的になるかは結局、敵
の出方によると云う事は、・・・マルクス・レーニン主義の革命論の重
要原則の一つとなっている」
「革命の移行が平和的となるか、非平和的となるかは最終的には各国の歴
史的具体的条件ーー反民族的反人民的勢力の出方如何にかかるという二
面性を考慮する事は、わが国の革命を展望する場合にも必要である(革
命しか頭が無い精神状態!忍)。・・・・マルクス・レーニン主義政党
としては、革命への移行が平和的手段で行われるように努力するが、そ
れが、平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による(この言
葉の嘘は、革命そのものが暴力である事を忘れている!忍)」
選挙の言葉
「人よりも党を選ぶ」時、その「党」そのものが、問題ではないか。その
党を選ぶとは、何を意味するのか。
党を選ぶとは、党の精神に賛意を表す事を意味している。日本共産党は
上の意味のマルクス・レーニン主義を基本とした精神の政党である。その
党の精神、その思想を選ぶ事は、直接的に反道徳的に革命を起こす意味を
していて下記の悲惨な状態を支持する意味なのです。
「共産主義政権はその主たる敵として何よりも
執拗に、宗教と民族的自覚を目の仇として追求
している。子供達の如何なる宗教教育も禁じら
れている。全ての宗教は絞首刑の首輪でしめつ
けられている。バルト海沿岸地域ではカトリッ
ク神父達が野蛮に殺されている。バプテスト信
者や五旬節派の人々からは子供達を取り上げ、
両親達を監獄へ放り込んでいる(キリスト教の
否定は、人類愛の否定に繋がるのです。その後
悪の道を誘い込むのです!忍)。ロシア正教徒
達も厳しく懲役刑に処せられている。即ち、グ
レーブ・ヤクーニン神父を、オゴロドニコフ・
ポレシの若いグループを、キリスト教文庫の出
版者クラフマリニコワを。しかし、何と言って
も一番重い再度の刑が課せられているのは、ソ
ビエト治下のあらゆる国民の民族的希望の表現
者達に対してである。ロシア社会基金が行って
いる政治囚の留守家族達に対する援助に対して
も逮捕と懲役によって迫害している。」