『民主連合政権ー其の歴史の証言』

         武藤光朗  入江通雅編  千代田永田書房


「新内閣は、24名の閣僚の内、12名が共産党員であり、共産党シンパの左派社会民主党の閣僚を加えて常に多数を制する事が確実な構成であった。他の諸政党からも各一名の『代表』が入閣したが、此等の各党『代表』さえも各党では無く共産党が選ぶのだから、各党『代表』と云う者の、各党よりも共産党に忠誠を誓う者が選ばれたに過ぎない。換言すれば、偽装された
連合政権である。
 即ち、共産党は是の2月の共産クーデターに成功を納めて後、社会民主党、国民社会党、カトリック党、人民党から民主派を追放し、容共分子だけを集めて、其れに総評、民青、作家同盟等を加え、完全に共産党の支配下にある新しい政治組織『国民戦線』を作り上げた。此れより後、チェコスロバキアの政府は、連合政権である事を止め、是の『国民戦線』を基盤とする共産党一党独裁の共産党政権となるのである。」
「クーデター以後の政権でも外相に留任した無党派の自由主義者ヤン・マサリックは、其の後2週間と経たない3月10日、外務省の中庭で墜死体となって発見された。是のマサリクの怪死は、当然の事ながら、種々の憶測を生んだ。マサリクの愛人マアシャ・ダヴィンポートが、彼の死の直前にロンドンに出発しており、彼も後からロンドンに亡命する事を考えていたらしい。そして其れを察知した共産党当局に依って亡き者にされたのでは無いか、と云う疑惑が持たれている。自殺にしては、遺書もないし、事故死にしては、寝室が取り乱れていた事、爪に壁の粉末がこびりついていた事、恐怖の為脱糞していた事、等が説明が付かないと云う。其処で、誰かに襲われ突き落とされたのではないか、と云う見方が有力となっている
 其れは兔も角、クーデターに成功した共産党は、新聞、大学、官公庁、更にスポーツ・クラブからさえ、多少とも反共的及至は批判的な自由主義分子を徹底的に粛清した。」
「昭和23(1948)年2月にチェコスロバキアで起こった事は、勿論、連合政権の首班ゴットワルト自らが陣頭に立ち、軍隊・警察を背景に上から指揮して行った暴力革命、詰まり共産クデーターであった事は疑問の余地が無い。共産党に同調しない反対分子は、片っ端から遣っ付けられた。例えば、国民社会党出身の閣僚マイエル等多数の人々が暴行を受け傷を負わされた。
 こうした事は共産党の上からの指令に依るにしても、共産主義体制の実現を、地上に楽園を築く事の様に信じ込んでいた多くの共産党員並びに其の同調者の積極的な活動、更にはそうした共産党員の動きを、疑いながら見過ごした大多数の国民の消極的な態度無しには、実現しなかったであろう(今の日本国民が此れに当て嵌まる様に行動している。此れが民主党支持に繋がっている!忍)。共産党は、閣僚に辞表を出させた民主的諸政党について、『彼等は社会主義政策に反対し資本主義の復活を狙っているのだ』と宣伝し、労働者や農民をデモやゼネストに大動員し、又党員の労働者を武装させて民兵隊を組織し、力を誇示すると共に、各地、各企業、新聞社、出版社、学校等に『行動委員会』を作って、共産党に批判的な人々を次から次へと大量に追放した。
 こうした共産党の策謀に対して、一般の労働者、報道記者は大して抵抗もせず、寧ろゼネスト等に依って、積極的に共産党を支援したのだった。此等の人々は、共産党独裁が何を意味するかを余り深く考えてはいなかった。多くのチェコスロバキア国民は、戦前、そして、戦後も其の時迄、チェコスロバキアに存在していた自由や民主主義は、例えチェコスロバキアが共産主義国に成っても、其の儘維持される様に思い込んでいたらしい。」
「事実として、1948(昭和23)年2月、チェコスロバキアは共産主義国になってしまい、自由と民主主義の伝統に輝くチェコスロバキア国民が、共産党独裁の下に呻吟する事となったのである。其れから20年後の1968年、チェコスロバキアの官民は一致して自由化・民主化を求めるに至るが、結局、ソビエトの戦車に依って其の願いは無残にも圧殺されてしまった。此の1968(昭和43)年のチェコスロバキア国民の悲劇には、真の同情を禁じ得ないが、其の悲劇が実は、1948(昭和23)年2月に、其れが何を意味するかを深く考えもせず、ゼネスト等で共産党を支援して共産党独裁に道を開いたチェコスロバキアの労働者、農民、学生、或いは報道記者の愚かさの報いである事も又否定出来ない所である」
「議会も、今や共産党の決定を、全員一致で討論無しに採決するだけの、形式機関に成り下がってしまった。人民代表には、採決の際、適当な時に手を挙げて賛成する事しか求められ無くなった。異なった見解を述べると、直ぐ利敵行為と見なされ、多くの場合、悲劇的な結果に終わる。敢えて異を唱える者は、国家及び労働者階級の敵とされるのである。
 勿論、言論の自由も無くなってしまった。内務省の印刷監視本部と云う監視機関が設けられ、此の機関の検閲無しには、新聞記事を書く事も、ラジオやテレビで放送する事も出来なくなった(此処で云う「良心の自由」は、「神の法」に基づいての「自由」であって、決して放縦では無い事を認識して貰いたいです。「悪心の自由」は全く認めていないのです。神の良心の方向性としては「教育勅語」と「10善戒」です!忍)
 更に、秘密警察、思想警察の追及が厳しくなった。チェコスロバキアの共産党員で、『2千語宣言』にも著名している報道記者、カレル・バールタは、『何千何万と云う無実の人達が、酷い拷問で、ありもしない罪を告白させられ処罰された。其れは残虐さに於て、中世の宗教裁判、ナチスのゲシュタポの遣り方に、勝るとも劣らぬものであった(此の考え方は、180度逆で、当時ナチスに居た独国のユダヤ・マルクス共産主義の支配の苛酷支配に対しての自衛措置であって、基本的に過ちが無いのです。当時第一次世界大戦を仕掛けたユダヤ・マルクス共産主義者に罪を追求するべきである。其の犯人は、巨大な金融を支配していたので、其れに対抗して独国に資金援助を受けたのです。其れは、自分の同じ会社の間違いを正す為の極秘行動であったのです。だから、ナチスの行動は、飽く迄も自己防衛に過ぎないのです。600万虐殺は、嘘である事を忘れてはならない。中世の宗教裁判も、基本的に悪魔教が蔓延しているのです。霊体の存在を否定する人間は理解出来ない内容ですから。但し、偽科学に依って宗教裁判を行った所もある。其れは陳謝する必要がある。当時の宗教裁判は、偽科学と単なる霊現象で火あぶりの裁判を行ったのは非常に遺憾であるでしょう。充分に陳謝し賠償する必要があるでしょう。其れは今の科学体系でも同じです。基本的な科学体系は、東洋科学を基本にした方が正しいでしょう。悪魔の定義は、霊体が道義を忘れて科学の悪用し、悪の道を誘う霊体を指しているのです。霊現象そのものは、善悪を付けられないです!忍)』と書いている。要するに、チェコスロバキアでは、共産主義国に転化した事により、ソビエト等の他の共産主義国と同じ様に、共産党独裁の下に、国民の自由と民主主義が失われてしまったのである」
「チェコスロバキアは、食糧と原料を輸入し、工業製品を輸出する。1948(昭和23)年以降、チェコスロバキアでは、食糧の大部分と、原油の99%、鉄鉱石の84%、綿花の54%、非鉄金属の53%等、原料の多くをソビエトから輸入している。所が此等輸入に当たってチェコスロバキアは、ソビエトに、世界市場価格より遥かに高い代金を支払わされた。例えば、原油は世界市場価格の2倍、石油は2.5倍、鉄鉱石が2.4倍、綿花が1.8倍と云った具合」

 「ソビエトへの輸出価格の方は、例えば、皮靴1足5.5ルーブルくらいの物が3.6ルーブルと半分近くに値切られる等、平均して世界市場の23%安に押えられていた。こうした植民地主義的な価格政策により、チェコスロバキアを含めた東欧諸国全体が、貿易によりソビエトから搾取された額は、1965(昭和40)年に於て、35奥ドルにも達している。しかも、チェコスロバキアは、其の様な被搾取貿易で、ソビエトに8億ドルも売り掛け金を作られていたと云うから、当時のチェコスロバキアは踏んだり蹴ったりと云う所であろう。」

「1948(昭和23)年に『多くの国民が社会主義の綱領を希望を持って受け入れた』(『2千語宣言』)結果が此れである。民主的自由(神の法の良心に対する自由!忍)が無くなり、経済的福祉さえ躓いた。そうしたチェコスロバキア国民の一人、共産党員の報道記者、カレル・バールタは、ソビエトのチェコスロバキア侵略によって、初めて目を覚まされた。
 彼は言うーー『此れ迄マルクスの社会主義理論を最も人間中心主義(ヒューマニズム)に富む、最も民主的な社会概念であると受け止めていた。……ところがチェコスロバキアの共産党員達は今や……自分達の信ずるものが、ヒューマニズムと民主主義の全てを拒否してしまった事を目の辺りの目撃してしまった(結果的には、ヒューマニズムになっている。共産主義の思想は、元々から「殺人は善」であるという法則に成り立って、神を捨てた人間中心主義の最極端の位置にいる。其の意味での民主主義が行われている。歴史の中で最も残酷な支配体制である事を忘れている!忍)』。『吾々共産主義者は此れ迄、我々こそ歴史の法則を知っているのであり、吾々の世界観は科学に基づいていると云う確信を持って来た。……しかし今となっては、吾々の此の確信は誤りである事が明らかとなった』『私は此れ迄、科学的な世界観に基づく正確な基準で状況を判断していると確信していた。そして批判の機能を果たすべき健全な理性を、イデオロギーと云う名の信仰に摩り替えていたのである(此の判断が、近代の大きな誤りなのです。端的に言って「神」を否定しているのです。唯物論的な考え方で、霊界の存在を無視したのです。道義的判断で行動を取らなかった所の反省が無いのです。マルクス主義は完全に聖なる霊を否定し、道徳を否定している思想なのです!忍)。』『告白するのは赤面の至りだが、私も其の様マルクス主義を奉ずる新聞記者の一人であった。何れにせよ、私も、私の多くの同志達も、後になって新しい見解にと到達するのであるが、残念ながら、其れが余りに遅過ぎたのである。』」

 「レーニンは1920年、モスクワで、言論の自由を否認して、次の様に演説した。
『言論の自由、出版の自由等、何故認めなければならないのだろう。自ら良いと思う事を遣っている政府が、何故政府批判を許しておかなくてはならないか。政府は、致命的な、武器に依る反対を許そうとしないでは無いか。思想の方が鉄砲よりも遥かに致命的なものである。だとすれば、何故政府を当惑させる事を狙った有害な意見を広める事を許さなくてはならないのだろうか』
 此のレーニンの言葉こそ、共産主義国では言論の自由(神の法の良心に対しての自由!忍)等許されない事を、最も素直に述べたものである。此処で詳しく述べる余裕はないが、要するに、共産主義国に於ては、吾々民主主義社会に見られる様な言論の自由は露程もないのであり、新聞・放送は、全て共産党・政府諸機関の手に独占されているのである。」

 「如何に民衆の多数が”自由(神の良心に対する自由!忍)”を望もうとも、一度共産党が権力の中枢を握った時には、彼等の意の儘に、民衆は如何ともし難い状況に追い込まれて行くのである。此れは共産化した諸国の歴史の教える所である。
 以上、キューバ革命が国民に与えた物は、弾圧、粛正、自由の圧殺、共産党独裁、人民裁判的直接民主主義、土地や財産の没収、国有化、給与の減額、団体交渉権及び行動権の剥奪等々であった。キューバの民衆は、公正な選挙に依る政府即ち議会民主主義の尊重と言論の自由の尊重を約束したカストロと共産党に依って、かかる革命の成果? を与えられたのだ」
 
 

◎共産主義思想がイデオロギーとして不毛であるか  エル・ランティ元大王(ユダヤ・キリスト・イスラム、諸国の宗教の天帝!忍)

ソルジェニーツィン著『クレムリンへの手紙』新潮社の抜粋から

「遺産として吾々に齎らされた此のイデオロギーは、単に其れが老化し、どうしようもなく古びてしまったからいけないのでは無い。其れは、自身の最盛期の数十年間に於てさえ、盡く其の予言を誤って来たし、曾って一度として科学であった例が無かった。」

「価値を生み出すのは労働者だけだと宣言し、生産組織者の寄与も、技師、運輸、販売機構の寄与も認める事をしなかった、素朴極める皮相な経済理論ーー其れは、プロレタリアートは際限も無く抑圧されるとか、プロレタリアートはブルジョア民主主義の下では何一つ獲得出来ないだろうとか予言して、見事に誤りを犯した。今吾々は、せめて資本主義の下でプロレタリアートが享受している程度に、我が国のプロレタリアートに食べる物と着る物を与え、余暇を恵んでやりたいと思うだけである!」

「マルクス主義は単に不正確であり、科学では無いと云うだけでは無い。其れは今日電子計算機が雑作もなく、但しマルクス主義を指針としないで、遣ってのける社会的予測の面で、数量にせよ、テンポにせよ、場所にせよ、只一つの事件をも予言出来なかっただけでは無い。マルクス主義は最も繊細な人間存在を、更にはより複雑な、幾百万の人間の結合体である社会を解明する上で、驚くべき経済・機械論的な粗雑さを示した。此れ程迄信用を傷付け、此れ程迄破産した教義が、尚西側であれ程の追随者を持っている(日本と米国と欧州が酷い。何故なら、其の共産主義の親分であるロスチャイルドを政府の中枢にいるから)!ーー此の20世紀の不気味なユーモアは、或る人々の利己主義(バビロン国際金融グループ)、或る人々の盲目さ(一般の共産党員、フリーメーソン達)、又或る人々に於ける信仰への渇望(悪魔教崇拝者、悪魔ダビデ崇拝者)に拠ってしか説明出来ないものであろう。我が国に付いて云えば、追随者の数は最も僅かしか残っていない! 吾々、其の味を知った者は、心ならずも追随者のふりをしているだけである……」

「セルゲイ・ブルガーコフは(1906年『宗教的タイプとしてのカール・マルクス』)、無神論こそがマルクス主義の最も中心的な精神的・情緒的核心であり、他の全ての教義は此の核心の周りに自ずと積み上げられた物である事を示した(ほしい、マルクス主義の最も中心的な精神的・情緒的核心は、「無神論」ではなく、神と健全な人間に対する「憎悪」であり、其処から派出された「悪魔信仰」である!忍)。(神の法を預かる!忍)宗教に対する激しい敵意ーーこれこそマルクス主義に於いて最も執拗なものである。」

「我が国では久しい以前から万事が物質的計算と国民の服従だけに支えられているのであり、どの様な思想的激情に支えられているのでも無い、此の事は貴方方も良く御存知の筈である。今日の此のイデオロギーは最早吾々を弱め、縛り付けるだけの物になっている。其れは社会の全生活を、脳髄を、演説を、ラジオを、出版物を、嘘、嘘、嘘で充たしている。何故と云って、嘘の小道具を使わぬ限り、どうして死者が未だ生き続けている様な振りを粧う事が出来よう? 全てが嘘の泥に塗れ、誰もが其の事を知り、個人的な会話では公然と其れを口に出し、嘲笑い、泣き言を零しながら、公式の発言と成ると、偽善的にも<型通りの事>を繰り返し、同じ様に偽善的に、退屈を堪えて他人の発言を読んだり聞いたりしている」

「此の全般的な、義務的な、強制的な嘘の使用は、あらゆる物質的欠乏にも況して、一切の市民的自由の欠如にも況して、我が国の人間存在の最も憂うべき側面となっている。
 我国の国家的安定の為と云う事なら、凡そ必要とも言えぬ此の大量の嘘は、イデオロギーの為の貢物として捧げられているのである。他でも無い、何でもしがみつこうとする死んだイデオロギーに結び付け、何とか取り繕うと云う訳なのだ。我が国家が習慣と、伝統と、惰性とに依って、未だに此の虚偽の教条にしがみつき、其れから派生する様々な迷妄に取り縋っている限りで、其れは異分子を鉄格子の中に押し込める事を余儀なくされている。何故なら、虚偽のイデオロギーであればこそ、其れは反論や抗議に対して、武器と鉄格子以外に答えるべき何物も持たないからである。」

「既に余りにも血に塗れている、かの6千6百万人の血に」

「精神病院を用いた強制、非公開裁判、又、罪を犯した者が更に一層片輪にされ、抹殺されて行く、あの残酷で不道徳なラーゲルの袋は永遠に此れを放棄しなければならなくなるのは、当然極まる事である。」

「宗教迫害ーーソ連では「スターリン憲法」にも信教の自由(と同時に反宗教宣伝の自由)が保証され、表向きには、搾取者階級の絶滅と共に一切の宗教の社会的基盤が消滅したので、反宗教宣伝によって過去の遺訓たる宗教意識の克服が可能である、と云う立場が取られているが、現実には聖職者、信徒への政治的、社会的な迫害が行われて来た事は、例えば『収容所群島』等にも詳しく触れられている。」

「セルゲイ・ブルガーコフーー1871?1944。19世紀末から20世紀始めに掛けて、「合法的マルクス主義者」としてロシア論壇に登場、ロシアの小規模農業生産にはマルクス主義が適用され得ない事等を主張して、レーニンと論争したりしたが、軈てキリスト教哲学に傾斜し、文集『道標(ヴェーヒ)』(1909年、小西善一訳、現代思潮社)に参加して、マルクス主義と無神論に激しい批判を浴びせた。1923年にパリに亡命し、以後、神学的な著作活動に従事した。」

「洟たらしのテロリストーーソルジェニーツィンは『ノーベル賞授賞記念講演』其の他で、ハイジャック、人質拉致、爆破、放火に依って文明を揺さぶり、絶滅しようとしている青年達に触れて、此れをドストエフスキーの「悪霊達」に例えて激しく非難している。そして此の青年達の模範となった者として「紅衛兵」を上げ、更に、こうした青年達を野放しにする所か、彼等に諂ってさえいる「左翼的」知識人達を「進歩的矮小思想に仕える奴隷根性」の持ち主と決め付けている。」
 
 

ミカエル大王様から 『日本よ何処へ行く』(ソルジェニーツィン滞日全記録:RFラジオ日本編)の抜粋


「共産主義政権は其の主たる敵として何よりも執拗に、宗教と民族的自覚を目の仇として追究している。子供達の如何なる宗教教育も禁じられている。全ての宗教は絞刑の首輪で締め付けられている。バルト海沿岸地域ではカトリック神父達が野蛮に殺されている。パプテスト信者や五旬節派の人々からは子供達を取り上げ、両親達を監獄へ放り込んでいる。露西亜正教徒達も厳しく懲役刑に処せられている。即ち、グレーブ・ヤクーニン神父を、オゴロドニコフ・ポレシの若いグループを、基督教文庫の出版者クラフマリニコワを。しかし、何と言っても一番重い再度の刑が課せられているのは、ソビエト治下のあらゆる国民の民族的希望の表現者達に対してである。露西亜社会基金が行なっている政治囚の留守家族達に対する援助に対しても逮捕と懲役に依って迫害している」

「共産主義は其の反人間性から言っても歴史上未曾有のものである。20世紀迄どんな国にも同様のものは無かった。だが、今や20ヶ国以上に存在している」

「共産主義は一つの強力な罠であり、未だ曾って其れから逃れられた国民は一つとしていないのだ。如何なる個人的な暴政も、イデオロギーとしての共産主義と比べる事は出来ない。全ての個人的な暴君にとっては、限度と云う物があり、其処では権力が彼を飽食させて来た。ところが、どんな個々の国も共産主義政権を飽食させる事は出来ないのだ。共産主義とは一般的の頭では考え及ばない権力であり、其れは自国の繁栄をも、自国民の健康と安寧をも目的としていない。しかし、全く無関係の諸々の目的達成の為には、国民をも国家をも犠牲にしているのである。其の様な共産主義の主たる目的は、分別のある物では無く、周囲の領土と住民を出来るだけ沢山、否、其の欲する所に依れば、此の地球全体をも食べ尽くそうと云う狂信的な渇望なのである。共産主義の下では、如何なる国家も長期に亙って健康で経済的な生存を続ける事は出来ない。しかし、他国を攻撃し、掠奪し、軍事的領土拡張をする事は全く可能なのである。これこそ共産主義の必要欠くべからざる生存形態なのだ。此の周辺を侵略すると云う掟こそ、全ての共産主義国家にとって義務付けられたものである」

「共産主義的帝国主義は(曾っての植民地主義と違って[全体的に云うけれど、曾っての植民地主義に依って何れ位人が死んだのかも考える必要がある。民族の絶滅も起きている!忍])其の侵略した民族の利益や富になった試しは無く、只其の民族を別の侵略に駆り立てるだけであり、しかも最初の段階で其の民族は破壊されてしまう事である。
 共産主義を良い物と悪い物に、又侵略的なものと平和愛好的なものに分けるのは極めて危険な幻想である。共産主義は全て反人間的なものである。若しある種の共産主義が大人しい外見を持っているとしたら、其れは単に未だ軍事力を持っていない為である。若し中国や北朝鮮やベトナム等について私達が殆ど何も知らないとするならば、其れは単に彼等がソビエト陣営よりも厳しく持ち堪えているに過ぎない」

「アジス=アヘバでも銃殺された小中学生の屍が積材の様に積まれているのだ。アルバニアでもアンゴラでも神父達が銃殺されている。全ての共産主義国家では、非合理的で非実用的な、しかし『イデオロギー的な』所有形態がある。マルクス主義は、如何なる民族にとっても、其の肉体的生存にも、精神的本質にも、有害な敵である。又、共産主義と妥協を見出そうとしたり、譲歩や通商を通じて其の関係を改善しようと期待するのは空疎な事である」

「世界の共産主義は日本を、地震や火山の爆発や津波よりも、否、其等を全部合わせた物よりも、更に脅かしている」

「貴方方の国を取り囲んでいる4つの共産主義国家ーーイスラエル、中国、北朝鮮、ベトナムに対して、国内的にも国外的にも、厳しい堅固な立場を取らなければならない」

「共産主義ーー其れは生命の否定であり、其れは国家の死に至る病であり、全人類の死である。そして、此の地上には共産主義に対して免疫性のある国家は一つもないのである。
 共産主義を修正したり、改善する事は不可能である。共産主義に対して私達に出来る事は、其の為に虐げられている多くの国々の人々と力を合わせて、相手を止めを指す事だけである」

「如何なる共産主義との、如何なる妥協も破滅に繋がっています。共産主義者は正常でない交渉相手であります。彼等との如何なる交渉も、彼等を利するだけであります。共産主義者が、何時の日にか、又何らかの譲歩をしてくれると期待するのは全くの幻想であります。共産主義者が、曾って誰かに譲ったりした事は無く、将来も絶対に無いでありましょう」

「共産主義に対抗する手段は、只一つ、『鉄の如き不屈さ』此れしかありません。共産主義とは、曾っての世界の歴史が知らなかった力であります。其の欠陥、不合理性、そして失敗でさえも其の強化に役立っております」

「ソ連其の他の共産主義国家に於て、共産主義イデオロギーは死んだとか、もう誰も信じていないとか言って、西側(自由主義国)を言い包める人達を決して信じてはいけません。共産主義国の国民全体が、共産主義を信じていない事は事実でありますが、彼等は、何が起ころうと何等影響力を与える事が出来ません」

「共産主義の鉄の結束の下に、彼等は、外政、内政、行政、金融の有らゆる政策面に於て厳にマルクス主義の公式に乗っ取って行動致します。そして、此のイデオロギーがある故に、意気沮喪し分裂した他の世界に対する勝利が次々と彼等に齎らされているのであります。コミュニスト達は、公の目標は色々と変える事はあっても、究極の目的は決して放棄したりは致しません(究極の目的は、「婦人公有制」を目的している!忍)」

「全ての人間の問題を社会的変革によって解決出来ると云う社会主義(ソーシャリズム)の構想ーー其れは謝った考えであります。社会制度主義(ソーシャリズム)が如何に穏やかな(ソフト)形態を約束したとしましても、其れは要するに個性を全て強制的に平均化しようとする一種の”捏ち上げ”であり、しかも実現不可能な試みなのであります」

「今日の露西亜の優秀の頭脳の一人で、現在ラーゲルで既に6年、共産主義者達に死ぬ程までに苛まれている物理学者、ユーリー・オルロフは次の様に言っています。『完全な社会制度主義(ソーシャリズム)は、必然的に全体主義になる。又、社会制度主義(ソーシャリズム)が如何に段階的で穏やか(ソフト)な歩調で前進しようとも、其れが一貫性を持つ限り、社会制度主義(ソーシャリズム)改革の流れは、其の国を、又全世界を共産主義的な全体主義の深い淵に投げ込む事になる』と。そして、全体主義と云うのは、此れはエネルギーの高密化(ブラック・ホール)とでも申しますか、其の中に転げ落ちる事は簡単ですが、一旦落ちたが最後、其処から抜け出すには異常な努力と条件が必要なのだと云う事であります」

「日本の首相や米国の元大統領はーー最初に中国を訪問された人ですがーー”強い共産中国は、世界平和の保障である”と云う声明をしております。日本の首相は”中国と共に世界平和を維持出来る”共言っています。
 私は其れは、全く気違い沙汰じゃないかと思います。全く世界共産主義の本質を知らないからだと思います。共産中国は、未だ力を充分に蓄えていないだけの事です。中国が持っている軍隊は400万です。日本の軍国主義の復活に対して云々しておりますけれども、自分では400万の軍隊を持っている訳です。
 共産中国は、チベット民族を撃滅しました。インドネシアも破壊しようとしました。最悪の共産主義である赤色クメールも、中国が植え付けたものです。マレーシア、タイに対しても、攻撃を掛けております。
 若し共産主義に良いもの悪いものがあると考えているとするなら、其れは全く共産主義の本質を知らない者です。あらゆる共産主義は反人類的であり、其れを壊滅させようとするものであります。
 共産中国は決して平和の保障では無い。日本及至米国から充分の助力を得て、自己の武装力の強化を行った後はどうなるか。非常に悲しい事ですが、日本の破滅になるかもしれません(此れは米国のイルミナティ・ユダヤ共産主義者が支援している)」

「現代の危機から脱却するには道徳的宗教的意識の高揚しかないと思います。其れは、普通国家な形を取って行われます。ですから民族が伝統を失うとなると(今の日本が一番酷い!忍)、脱却は困難になる。此の道徳的昂揚の為にこそ、民族的な形式は大切に守らなければならない」

「東方の考えは、初めに先ず性格を養成する事にあります。欧州も中世に於ては、其れが第一だと云う事を良く理解して、そう云う風に遣っていました。ところが啓蒙時代以降考えが変わって、人間其の者が理想的存在だ、となって来ました。此の考えで行くと、若し社会的な環境さえ整えば、人間は良い事だけを為す者であると云う事になります。だが其れは致命的な過ちでした」

「共産主義も、啓蒙主義の後継者です。其れは皆啓蒙主義から生まれて来た。西欧社会に取って共産主義及至社会主義に対する抵抗が困難な訳が其処にあります。宗教的感情から出発するのでは無く(今の日本が一番酷い状態。神について真剣に考えて歴史を勉強していない。神と人間の掛かり合いを考えていない。真面目に考えている人を亡き者にしようとしている!忍)、市民的判じものを捏ね繰り回した結果が此れです」

 誠に至言である内容で、こう云った事に気付かぬ内は、日本の国民は今、救い難く滅びの道を歩んでいると言っても過言では無いでしょう。
 正法は啓蒙団体であり、特にS波戦略の様な反社会性の著しい左翼の地下活動には、一早く警鐘を鳴らさねばならず、又、今遅きに失している様でも、兎に角其の危険性について社会に訴えて行かねばなりません。(2月25日 口述筆記 千乃裕子))
 
 
 
 
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