東京裁判の本質ー日本民族の抹殺の目的
東京裁判では、何ゆえにマっカーサーは東条ら戦犯を天皇誕生日に起訴し、皇太子誕生日に処刑したのであろうか。それは遠い昔のユダヤの歴史をぬきにしては考えられない事である。
三千年以上も昔のこと、ユダヤ人は、エジプトの奴隷であり、国王の苛酷な圧迫の下で悲惨な生活をしていた。だが彼らはモーゼの巧みな計画により、無事にエジプトを脱出し、さらに非常な困難に耐えて、故郷のイスラエルにたどりつくことが出来た。この話は、「出エジプト記」(「天の奇蹟(中)」)に詳しく記されている。
ユダヤ人は彼らの先祖が、エジプトから脱出して無事に故郷に帰ることが出来たのを祝って、毎年その日を祝日している。それが「過ぎ越しの祭り」である。どこの国でも、お祭りには奇麗な着物を着て御馳走を食べるが、過ぎ越しの祭りでは、服装は粗末ではなければならない。正式にはボロを着る。又食事は極めて粗末なものとする。それは遠い昔、先祖が耐えてきた苦難の歴史を偲ぶためである。
聖書によると、ユダヤ人がやっと紅海の岸に辿り着いたとき、神の恵みにより海は陸となり、歩いて対岸に渡ることが出来た。その直後、エジプトの軍隊が追いかけてきた。彼らも歩いて対岸に渡ろうとしたが、神の力により、急に海水が押し寄せて、皆溺死した??という。
エジプト人が太陽暦を用いたことは有名である。エジプトはいつも夏であり、雨は降らない。だから一年の四季が分からない。ところが雨は降らないのに、ナイル川は次第に増水して洪水となり、毎年多大の損害をもたらした。なぜか、ナイル河の上流のアビシニア高原にインド洋の季節風が吹き寄せて、大量に雨を降らせる。それが洪水の原因だが、毎日が夏で晴天続きのエジプトでは、その季節が分からなかった。だがかれらは太陽を観測して一年は365日と4分の1と計算して、洪水の起る時期を予知することが出来た。 しかしユダヤ人は昔の中国人や日本人のように陰暦を使っていた。陰暦だと、海の満潮と干潮の差が最も大きいのは、何月何日の何時かハッキリ分る。当時の紅海は浅く、干潮の著しいときには歩いて渡れたのであろう。
この事については、
「(天の奇蹟(中)より)
(質問)
(1) エクソダスの場所については、いろいろ検討した結果、スエズ運河の中間の都市エル・カンタラが魅力があるがコース上ここは無理であり、ビッター湖とスエズ湾との間にかってあった砂州をイスラエル人は渡ったとしましたが、これで良いでしょうか。なお北方ルート説の、地中海とバルダビル湖間の細い陸橋を渡ったというのは、サントリーニ島爆発による津波を海の奇蹟の原因とするもので興味深いですが、これも異常に無理があるとしましたが。
(2) 海(湖)の奇蹟についてお尋ねします。筆者はこれに関する、聖書記事の不可侵説(そのままの奇跡が起こったとする)、UFO・宇宙の電磁力原因説、(サントリーニ島大爆発による)自然現象原因説を紹介し、真実は自然異変に伴う諸現象を、天上界が効果的に利用し、奇跡を起こさせたもの、と結論づけました。何かコメントこざいますか。
(解答) ミカエル大王様
(1) その通りです。竹内均氏や金子史郎氏の考察による出エジプトをサントリーニ火山大爆発による津波の利用とすれば、葦の海(紅海)でも、地中海とバルビダル湖間の細い陸橋でも、5千人のイスラエル人が羊も豚も馬も子供も全て無事に渡り終えてから一旦引いた海水が運良く大波となって 押し返してきたという推定は、空想の類いです。いくら天の勢が多くても、火山帯の陥没による津波は制御出来ません。
(2)何もありません。雲や雷を利用したり、風を利用することはいつもやっておりました。
」と、おしゃっている。
ユダヤ人の間では今日でも陰暦のユダヤ暦が用いられています。平成10年はユダヤ紀元5757年です。
旧約聖書に言う。
「主は、エジプトの国で、モーゼとアロンに告げた。『この月(エジプト脱出の月)を汝らの初めの月とし、これを年の正月とせよ。』」(出エジプト記12)
ユダヤ暦の正月は、太陽暦の9月中旬から10月初句の間の新月の日である。そしてこの月の14日が、過ぎ越しの祭りである。
今から約2千年前のこと、ユダヤ人の中からイエス・キリストという人物が現れて、新しい「神の教え」を説いた。この教えは、往来のユダヤの信仰である「ヤーベ(エホバとも言う)の教え」とは、次の点で異なっていた。
(1) ユダヤ教では「神はユダヤ人をとくに選んで、慈悲をたれる。」というが、イエス様は「神の慈悲はユダヤ人のみならず、全ての人に及ぶ」と言った。
(2) ユダヤの神ヤーベは怒りの神であり、邪悪に対しては厳しい罰を下す。だがイエス様の説く神は愛の神であり、間違った事をしても悔い改めて行いを直して罪を償えば許してくれる。
(3) 最後の審判では民族に関係なく、その人の行いにより裁かれること(霊体の死)、および神への捧げものにより神の許しは得られないこと。
イエス様の教えはしだいにユダヤ人の間に広まっていった。それを知って、ユダヤ教の祭司長達や長老達は「キリストは偽りの神を説く」と激怒した。
当時のイスラエルはローマの植民地であった。ユダヤ教の祭司長達や民の長老達の遣わした大勢の群衆はイエス様を捕えて、ローマの施政官ピラトのところへ連れて行き、
「この男は神の教えに背き、邪悪な説をとなえて人々を惑わし、大罪を犯しました。」
と言って、イエス様を牢に入れさせた。
この物語は新約聖書マルコ伝に記されている。
イエス様は過ぎ越しの祭りの2日前に捕られていた。当時のイスラエルの慣習として、過ぎ越しの祭りには囚人を一人赦免することになっていた。
この時、バラバという殺人犯が牢につながれていた。マルコ伝によればピラトはユダヤ人に言った。(詳しくはピラト行伝(聖書外典偽典6新約外典?))
「キリストを許そうか」
ユダヤ人は答えた。
「バラバを許されよ」
ピラトはさらに尋ねた。
「ではキリストを、どうしようと言うのか」
人々は叫んだ。
「十字架にかけよ」
ピラトは言った。
「キリストは一体、何の悪事をしたというのか」
人々は叫んだ。
「十字架にかけよ」
ピラトは、それ以上言っても無駄ばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。
「この人の血について、私には責任がない。お前達の問題だ。」
民はこぞって答えた。
「その血の責任は、我々と子孫にある」
十字架にかけるというのは、極悪人の処刑であって、両手両足を大きな針で十字架に打ちつけ、その十字架を立てる。自分の体の重みで、傷口は物凄く痛むがその傷は急所をはずれているので、死ねない。
食べ物は一切やらない。そのようにして、死ぬまでほうって置く。苦しめて、苦しみぬいて死ぬようにするのである。
イエス様をこのような残酷な刑に処したのは、みせしめの為であった。ヤーベの教えに反逆すれば、このような恐ろしい目に合うのだぞーーと云うことを示して、今後再び違反者が出ないようにするためであった。しかし、それでもユダヤ人たちはまだ安心出来なかった。イエス様は死んでも、彼の信者はまだ生きている。それらの信者からイエス様の教えが広まって行く心配があった。そこで彼らは大変うまいことを考えたのである。それはイエス様を過ぎ越し祭りの日に処刑するということであった。
イエス様の処刑がすんで、イエス様の信者達が過ぎ越しの祭りを祝っていると、ふと気がつけば、自分はキリスト処刑の日を祝っているのではないか。彼は愕然とする。又その逆に、キリスト処刑の日を悲しんで喪に服そうとすれば、彼はユダヤ最大の祭りを悲しむという、神への不敬を行っているのです。
このような深刻な心理的矛盾に耐えかねて、キリストの信者は二つに分れて行った。その多くは、キリストを忘れて、ヤーベ(悪魔ダビデ!忍)を信じ、昔ながらのユダヤ人に戻った。だが一部の人々は、ユダヤ人であることを忘れ、あくまでもキリストの教えを守って、次第に多民族に同化していった。その結果として、「ユダヤ人はユダヤ教を信ずるように仕向ける。」という処刑の目的(そして、悪魔ダビデが地球の天王になるための布石。イエス様は、当時教条主義的なユダヤ教を訂正するために、真の人を救う教えのために神(エホバ)から遣わされた人。キリスト教徒は、イエス様だけが救い主とおっしゃっているがこれも、唯一全智全能の神と作ったのが悪魔ダビデである。しかし、全智全能の神は、いないけれど「宇宙の法」を預かる最高の責任者であり、万軍の責任者の聖霊は存在している。今、現在の責任者は、ミカエル大王様である。そのミカエル大王様が責任以て行われている集いが「千乃正法」である。)は、見事に達成されたのである。
このような「めでたい日と呪うべき日を重ねる」という心理的策略は、朝鮮半島においても実施されている。朝鮮の人々は「祖国分断」という悲しむべき日を「光復節」として祝っているのだ。
平成5年10月2日の産経新聞の「戦後日ソの原点」によると、ソ連の崩壊により、ソ連の終戦前後の公文書が公開された。それによると、ソ連は対日戦争へ参加する代償として、樺太
南部と千島列島を占領するのみならず、朝鮮半島の38度線以北まで進出して、北朝鮮をソ連の衛星国とすることをアメリカと了解済であった。
朝鮮半島には、かねての了解の通り、米ソ両軍が同時に進駐して、38度線でピタリと止まった。朝鮮の人々は、いったい何がどうしたのか価値観が混乱して、善悪の判断がつかなくなった。そこで南に進駐した米軍は言った。「我々は韓国の方々を日本の圧政から救い、みなさんに自由を与えるために来たのだ」。又、北から侵入したソ連軍は言った。「我々は侵略者日本をこらしめ、搾取に苦しむ朝鮮の人々を解放して、民主的社会を建設するために来た」。米ソとも朝鮮半島分断とは一語も述べなかった。
米ソの進駐軍司令部は日本の植民地支配が、如何に悪逆であったのかを繰返して説いた。大脳が白紙状態になった人々には、其の言葉は素直に入って行った。日本が悪逆であればあるほど、解放は有難くなるのだ。そこで南も北も解放を大いに喜び、この日を「光復節」として盛大に祝うという慣例が出来て、北では解放者ソ連へ、南は解放者米国へ、感謝を捧げている。 台湾の方々は植民地時代を回想して「中国本土よりも台湾の方が経済発展をしているのは、日本の教育のお陰」と、日本に対して好意を持ってくれるが、朝鮮の方々は台湾同様に、フィリピンやタイや中国よりも高度の経済発展をしているのに、日本に対して恨みや敵意を持っている人が少なくないのは、其の独立のやり方の相違と密接な関係があるように思われる。
日本においては、天皇・皇太子の誕生日と戦犯処刑日を同一にすることによって、愛国とか忠義という言葉が、汚いもの、馬鹿らしいものと変って行った。国を愛し、国のためにすべてを捧げ、我が夫、我が子までも犠牲になって努力したのに、それが人道に反する非道・残虐であったと聞かされて、人々は国を憎み、国を呪うようになった。戦争はもう真っ平だ。私達は愛国だの、忠義だのという言葉にだまされて、随分酷い目にあった。我々は再び為政者にだまされて、戦争をすることのないように、翌々用心しなければならないと国民に洗脳した。
(大東亜戦争の直接原因になった支那事変を仕掛けた犯人は、中国共産党のスパイが仕組んだ罠であること。)
占領軍の指導で、すべての教科書から「愛国」や「忠義」は消えて行った。社会科の教科書には、新しく「百姓一揆」(庶民の生活を安泰するのは武士の務め。生存に脅かしている武家に対する自衛処置は認めなければならない)が登場したが、人々はそれが当然のこととして受取った。占領軍の命令で、文部省の教科書検定の制度は廃止されていたが、新しく出版された教科書は、みな占領軍の方針そのものであった。そして、「修身」、「神話」、「漢字略字化」、「宗教的道徳教育」の教えが無くした。それにより「日本の社会秩序の乱れ」・「悪に対する無抵抗」が成功した。「小さな家族の幸せ」・「つつましく正直に生きる正義」を失い、「嘘と残虐で生きる(表面的きれいで内側が汚い)社会」(悪魔の社会)となった。(はっきり言って、日本の社会は貧乏であると云う認識が足りない。証券で金が大きく持っていても、下部生産物(第1次産業・防衛)は自給出来ていないのです。この社会構造が、「実体なき経済(砂上の栄え)」というのです。今、現在は独立独歩で堅固に足許を固めている日本人は否定している状況で、反道徳的に行っている国際銀行に許可得ている企業・産業だけが栄えている社会なのです。)
◆パール博士判事の判決理由要旨
1、この裁判所に出席する判事は、裁判所条例によって行動しなければならない。その裁判所条例はマッカーサー司令部が出しているのである。このような組織の下に於ける裁判の多数決は承服出来ない。国際裁判は軍事司令官の上に立つものでなければならない。
2、1国が他国を征服し支配しようと準備する事は、最悪の犯罪であるーーと云う事は、現在ではその通りかもしれない。しかし第2次世界大戦には、いやしくも強国である以上は、この様な企画や準備をしなかった国はなかったのである。どうして日本だけが犯罪になるのか、私には理解する事が出来ない(日本は、”神の国”として認めていない言葉である。世界の宗教の大王(天帝)が存在する国である。大東亜戦争は、天帝に対する反乱である!忍)。
3.犯罪に対して裁判を用い刑罰を科す手段が、敗者にだけ適用されるという段階に国際機構が留まっている限り、到底将来の戦争を防止しようという効果を期待する事は出来ない。
4、米英両国が中国政府を援助して、日本に対して経済封鎖をした事は、国際法による「中立の義務」を破って直接戦争に参加したに等しい。
5、日米交渉の最後の段階に於けるハル長官の通牒については、パール判事はある歴史家の言葉として、次の文書を引用した。「この様な屈辱的な通牒を受け取ったら、モナコやルクセンブルグの様な小国だって、武器をとって立ち上がったあろう」。
6、A級の戦犯達が、捕虜虐待や残虐行為を命令したり授権したり、又は許可したという証拠は絶無である。もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが戦争に於て違法であるならば、都市爆弾や原子爆弾の使用はどうなのだ。
7、よって被告達は、起訴事項全部について無罪と決定されなばならず、又全部の起訴事項から免除されなければならないと強く主張するものである。
8、パール判事の意見書は、次の言葉で結んでいる。「時間が、熱狂と偏見を和らげた時、又理性が、虚偽から仮面を剥ぎ取った時、正義の女神は秤の平衡を保つ為に、過去の多くの賞罰を反対にする事を要求するであろう」
◆平成5年6月25日付の産経新聞「ベルリン物語」
ボンの郊外に住むドイツ軍退役将軍ウーレ・ウエットラー氏とインタービューした際、「この事だけは、どうしても日本の読者に伝えて欲しい」と頼まれた。この欄でその要旨をお伝えしたい。
ウエットラー氏は北大西洋条約機構(NATO)の作戦本部参謀や戦車部隊司令官を歴任したが、戦争史を研究する学者でもある。退役後、太平洋方面(フィリピン、シンガポール)に於ける日本軍の作戦というテーマに特に興味を持った。
「純粋に軍事史的見地から調べた結論から言うと、兵士の訓練度、司令官の質、全ての面で日本軍
の優秀さは群を抜いていた。民間人に対する対応も、占領軍であるにも関わらず、実に礼儀に富ん
だものであった」
ウエットラー氏は、ドイツの新聞(東京発)が戦時中の日本軍の残虐さを強調する為「余りにも自分の研究とは違い過ぎる」と、義憤を感じたーーというのだ。
「戦争目的(大東亜共栄圏)や敗戦国であるという点から日本軍の残虐行為が強調されるのでしょう
が、純粋に軍事史の具体例として検証した場合、むしろ米軍の方の残虐性が目立つ」
◆日本人の知らない東京裁判の本質◆『日本人に謝りたいーあるユダヤ人の懺悔』 モルデカイ・モーゼ著より
●ようやく出てきた「A級戦犯」の再評価機運
東京裁判の「A級戦犯」14人が、靖国神社に「昭和殉難者」として合祀された。
これに関して、新聞は例によってセンセーショナルに取り上げている。しかし、各新聞を注意深く目を通して見ると、方々から大東亜戦争の戦争責任について歴史的不確定要素の存在を認める発言を出てきているのを読み取る事が出来る。
この点は、見逃さない発見である。往来なら一方的にこれら「A級戦犯」に全ての戦争責任を負わせて当然とするものが圧倒的であった。戦後30数年(昭和54年発行)、ようやく日本国民もこんぽ真に大掛りな歴史の偽造について疑問をもち始めた証左であろう。
元来、ここにいう十四人の「A級戦犯」は国内法による裁きを受けた結果ではなく、単に戦勝国が裁判という名の基に恣意的に演出したものにすぎず、従って日本国民としてはこれら十四人を犯罪者扱いするものではない。
国内法は、明らかにこのような戦争処理のための勝者の恣意的な復讐儀式に優先するものである。この復讐儀式が国際法により認められたものであればともかく、明らかにそのような国際法は存在しない。そうであれば、国内法と国際法の優先順位の問題も全く出て来ない。
●「大東亜戦争」と「太平洋戦争」
日本の首相は、国会などで共産党、社会党(現社民党)から大東亜戦争責任論を質されると、おおむね、「後世の史家の判断に委ねられるべきもの」という意味の答弁をするのを常としているようである(現在は、終戦50周年決議案で侵略を認めた。自民党の歴史解釈変更である。でも、これは、自民党支持者に対する背反である。今現在でも支持者は、自衛戦争として解釈し自主憲法改正を提案している。何故今、自民党を支持しなくなったのかというと、まず、中曽根首相の時に、戦後政治決算をしなかったのである。それは、日本歴史を神話時代を取り戻さなかったのである。そして、アメリカの強者の自由主義の生き方を真似し、日本伝統的生き方を否定したのである。そして宮沢首相時に国家としての”強制慰安婦”がないのに”強制慰安婦”を認めて謝罪で歴史解釈、民族意識をなくす方向に走っている!忍)。是れは日本の一般ジャーナリズムの東京裁判の宣伝を殆ど鵜呑みにして、日本が戦争責任の火の粉をかぶるのが当然であるといわんばかりの軽挙からみれば、主体性のある態度と云わねばならない。
ここで一つ是非注意して置きたいことは、「太平洋戦争」という言葉である。日本には本来この「太平洋戦争」という言葉は存在しない。是れは勿論、戦後占領軍が其れこそ押し付けたものである。
戦後、いろいろな方向から大東亜戦争に関する歴史書が出ているが、其の中に「太平洋戦争」という言葉で語っているものが如何に多いことか。これではその歴史書はアメリカ側の立場に立って全て書かれたものと考えられて致し方ないのであるが、筆者達はそれで満足なのであろうか。
問題はそれだけではすまない。日本の歴史には「太平洋戦争」という戦争はないのである。有ったのは大東亜戦争である。よく考えてみる必要がありはしないか。これは明らかに歴史の偽造に外ならない。「日中戦争」然りである。あるのは「支那事変」である。
戦後史の跛行性という点で戦後日本は真の日本歴史の構築を放棄したのではないかとしばしば指摘されるのであるが、これでは戦後からではなく昭和16年の時点から既に、日本歴史の真の構築を放棄していたことになりはしないか。
占領中そういう呼び名を強制的されていたのは止むを得ぬかも知れないが、今日に至るも依然としてそれから脱却できないのはどういうわけか。これは、ジャーナリズムが依然として「太平洋戦争」という言葉を使用していることに関係ないことである。日本人自身の問題である。憲法とは違って、改正の手続の問題もない。只正しい歴史観の認識の問題のみである。
●日共の自己撞着性
だが応急の措置として、日本に戦争責任ありと主張する共産党、社民党、民主党、公明党、自民党の謝罪肯定派(左派、中間派要するに戦前教育を全て否定したグループ代表者宮沢元首相現大蔵大臣、後藤田元官房長官、中曽根元首相、三木元首相、細川元首相、加藤元官房長官、)の自己撞着に満ちた問題提起に明確な解答だけは与えておくことにする。今後の最大課題は戦争責任の歴史的解明であろう。これはただ歴史の偽造を打破するという問題だけにとどまらない。より重要なことは、今日の日本のもつ全ての戦後的矛盾の解決の第一歩であるという認識をもつ必要がある。
何故なら、戦後的病巣といわれる諸悪はその源流を占領政策の一環としての日本国憲法制定時に求むべきものであるが、その憲法改訂の最大の障害物となって立ちはだかっているのが、この戦争責任の問題であるからである。これは、これら諸矛盾の解決に向かう日本人に対する反対勢力たるマルクス主義勢力がこの戦争責任を改憲阻止行為の唯一のよりどころとしているからに外ならない。
つまり、憲法改訂は侵略戦争の前夜であると云った虚構に現在のところ有効な反撃を加えることが出来ないのである。
開戦前、近衛内閣の外務大臣・松岡洋右は、対独戦参加を焦るアメリカのルーズベルト大統領に対して野村駐米大使を通しての書簡の中で、大要次のような事を言っている。
「若し仮にアメリカが戦争により日本を撃破したとしても、その時にはソ連は満州へ進出し、中国も完全に赤化されるであろう(現実に中華人民共和国が共産主義国になった。そして日本共産党と仲を復帰している 忍)。そして何よりも日本は、たとえ撃破されてもものの30年を出でずして元通りになるであろう。」
つまり、日本との間に戦争を始めても何の利益もないことを聡ているわけである。
しかし、何よりもこの予言の見事な的中ぶりには驚かざるを得ないのではないだろうか。皮肉にも、ソ連の進出を促したのがルーズベルト自身というバラドックス(自己矛盾)を生むところなど、松岡洋右とルーズベルトの国際感覚の差を見せつけるものである。
ここで今取り上げようとしているのは、日本は30年を出でずして元通りになるだろう、という下りである。戦後ゼロから出発した日本は、今日みる如くアメリカにとって経済的ライバルになった。少なくとも松岡洋右の予言はものの見事に的中したといえよう(戦後直後は日本精神(大和魂)と日本古代技術が残っていたので、経済が元通りになる事が出来たのに、今現在は完全に伝統文化と大和魂が剥奪されたのでもし全てが破壊されたならば全てが取り戻すことが難しい。其の為に教育(日本古来大和魂(宇宙人と人類の合体した文明))の復帰が何よりも大切である!忍)。
ただ戦後30年、今日の如きところまで成長した日本であるが、その中には、松岡洋右の予想だにしなかった要素が加勢して今日の経済大国にのし上がったのではないかと思われる。松岡洋右の予想だにしなかった要素とは何か。
●戦後史の跛行性
「大東亜戦争肯定論」の著者・林戻雄氏は、「戦後は虚妄である」といっている。また、丸山真男氏は、「戦後民主主義にかける」といっていた。この両者の考えは、ある意味で戦後史に対する必然的な否定論を代表するものといえようか。丸山氏が何故否定論かと反問されるかも知れないが、この両氏の論はいずれにせよ、戦後史の跛行性の一方である精神衛生面の虚無性を述べているものである。林氏は単刀直入、丸山氏は逆説的に。
ここで戦後史の跛行性というのは、経済面の高度成長と精神衛生面の虚無性との共存のことである。
経済面の高度成長の要因は技術革新(この技術革新が今,人類の滅亡に走っている。つまり、宇宙の法則に従った自然との共存共栄の道に探った技術革新ではないので、西洋で言う技術革新の道に行けば人類滅亡の道に走る。その道が日本古来大和文明(人類と異星人の合体した文明)である)が一方の雄であることは異論がないであろう。しかし、この技術革新による経済の高度成長を側面からバックアップしたものが、逆説的かも知れないが、精神衛生面の虚無性であることは否定できない事実である。前者は松岡洋右の頭の中に当然計算されていたであろうが、後者は計算に入っていなかったと思われる(戦後、日本精神の本である教育勅語(神の法)を完全に否定した事を計算に入れる事が出来なかったと思う、そして共産主義による反道徳教育を行った事が戦前には考えられない事だったから!!)。
精神衛生での虚無性が何故経済成長にプラスするのかという事は、にわかに理解出来ないかも知れない。では一体精神衛生面の虚無性とは具体的にどういうことなのか、考えてみたいと思う。
●ゲッペルスは戦後日本の予言者だったか。
ドイツのゲッペルス宣伝相は、ドイツ国民に与える警告として次のような内容の文章を1934年に公布している。
それは、非常に強大な超国家的勢力(悪魔ダビデ作成世界統一王国勢力)が、文明の破壊にもつながる心理戦、神経戦を挑んできている。これに対してドイツ国民は十分警戒せねばならない。この心理戦、神経戦の目的とするところは、人間の純度を落とすことにより現存する国家を内部からむしばんで行こうとするものである。
ゲッペルス宣伝相が挙げたこの超国家的勢力の狙いとする心理戦、神経戦とは次の如き大要である。
「人間獣化計画」
愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の要求、道徳軽視、3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen、無気力・無信念、義理人嬢抹殺、俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端(流行)主義、国粋否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定
以上の19項目を粒さに検討してみた場合、戦後の日本の病巣といわれるものに当てはまらないものがただの一つでもあるだろうか。否、何一つないものを発見されて驚かれるであろう。ゲッペルス宣伝相は、戦後日本に対する予言者だったのであろうか。
ゲッペルス宣伝相が警告を発した第二次世界大戦の時点でどれだけの人がこれを真に人類の文明への挑戦として脅威的に受け取ったかは分らない。しかし第二次世界大戦が終わってみると、日本へはこれら一連の風潮が忍者の如く忍び寄って完全ともいえるほどに定着してしまっていたのである。
これらを戦後日本へ持ち込んだのは一体何者なのか。また、これらがこれほど完全ともいえる状態で日本に定着したのは何故か。
話を戻してみよう。精神衛生面の虚無性が何故に経済の高度成長をバックアップするのかという疑問を前述の十九項目をみると直ちに理解されると思う。これらが日本人の間に巣喰ってしまうと、楽しみはただ「カネ」ということのならざるを得ないであろう。つまり、全てを「カネ」の為に、という思想が強烈なものにならざるを得ないのである。いわゆるエコノミックアニマルの徹底ぶりである。
ここにエコノミックアニマルと、「アニマル」なる語が使われているのは、ゲッペルス宣伝相の警告にあった「人間獣化」と一致しているところを考えて欲しい。エコノミックアニマルという言葉は、パキスタンのブット外相(のち大統領)がいった言葉だが、急所を突いていると思う。
高度成長のほとぼりを冷めた今日(バブル経済(証券経済が一番だと考える経済)の悲惨を味わった今日、忍)、日本人が真剣に取り組まなければならないのは、この精神衛生面の虚無性である。志ある人々は皆、日本はこのままでいいのかと憂えている。
何故、前述のゲッペルス宣伝相の警告にあるような思潮が今日の日本に定着してしまったのか。また一体誰が巧妙に持ち込んだのか。持ち込んだ時期は終戦後のどさくさに紛れてのことであるのは誰にでも分ることだが・・。
さらに、忠実な残置諜者というべき、これらの病巣をタブーとして固持、培養している勢力(戦後日教組教育を行った人達(教育勅語教育(神の法)と神の儀式(農業儀式)を否定した人達とそれを受けて、それが正しいと考えて社会に行動を行う人達、忍))は何か。其の勢力とこれを持ち込んだ勢力との関係は如何。今日の日本にとって最も大切なことはこれらを解明することではあるまいか。
さらに、これらの病巣の残置諜者たる勢力が金科王条としている日本国憲法の作者は誰か。この日本国憲法の隠された狙いとは如何なるものか。そのルーツは。これらの諸問題にメスを入れることは今日の日本にとって焦眉の急といわねばならない。
これらの病巣のコーディネータ(進行)の役割をしているのが日本国憲法であることは何ら疑いを入れない。しかしもう少し考えてみると、この日本国憲法を持ち込み残置諜者を利用してタブーの網を張り、信仰という宗教呪縛性でもってあたかも千古不磨の大典の如く日本国憲法を最大限に活用している勢力は一体何なのか。更に、この日本国憲法を最大限に利用するため準備行動として東京裁判という予行演習を演じていることも見逃せない事である。
●東京裁判は単なる復讐に非ず
東京裁判は、日本の戦後史の始まりである。
今日までのこの東京裁判に関する分析、評価は、残念ながら、初歩的な感性的認識の域を一歩も出ていないようである。現在まで一般に考えられているのは「復讐の儀式」と形容されるものの類いである。これはインドのパール博士の意見等を踏み台にしたものであろう。一面の真理をついたものであることは確かである。
マッカーサーの次の言葉がますますこれらの考えを後押しすることになるようである。「これほど公正に行われた裁判はなく、これほど被告に完全な弁護の機会が与えられた例もなく、これほど偏見を伴わない審議が行われた例はない」いった偽善的セリフは、前述の考察を信憑性あるものにしてくれるようである。
「復讐の儀式」という説をとる場合、説明として出されるのが植民地を失った帝国主義国の復讐ということであるようだ。確かに、シンガポールの敗軍の将パーシバル中将がフィリピンでの山下将軍の裁判の席へ招かれている。これこそ、真に復讐以外の何物でもなかろう。パーシバルは、フィリピン戦線の山下将軍とは何の関係もなかったのであるから、このような点を見せつけられると、なるほど「復讐の儀式説」もわかるというものである。
だがしかし考えてみると、帝国主義の植民地喪失の復讐といった場合、主役のアメリカは当てはまらない。アメリカは植民地を何ら失っていないからである。
なお、フィリピンはルーズベルト政府の時代から安上り支配の為には名目上の独立を与えた方が得策として独立を認める予定になっていたものである。
●なぜ満州事変以後が侵略戦争なのか
さて、この東京裁判の結論で非常に奇妙なことが一つある。裁判の本質にメスを入れる前にこの点を明確にしておくことは重要である。
この裁判の結論は、満州事変以後を「日本帝国主義」の「侵略戦争」であるとしている。林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」に面白いことが出ている。それは、ある共産党員が日露戦争を侵略戦争と規定すべきかどうか迷っているという意味のことである。これは彼の主体性のなさを物語る格好の証左であるが、また非常に重大なる問題提起でもある。何故、満州事変以後が侵略戦争で、日露戦争、シベリア出兵、第一次大戦は「日本帝国主義」の「侵略戦争」ではないのか。これは奇妙なことではないか。
其の理由はハッキリしている。これら満州事変以前の戦争が米英仏等の利害と衝突しないからである。否、むしろ利害が一致しているのです。日露戦争は英露戦争とも欧米では呼ばれているぐらいである。帝政ロシアの南下政策に脅威を感じた英国は、帝政ロシアの南下を防ぐものとして日露戦争を歓迎していたものである。日英同盟を結んだのも、その意味で考えればよい。またシベリア出兵こそ、その意味では日本を攻撃するのに最も好都合な材料かも知れないが、これも侵略戦争という刻印を押しづらい。何故か。アメリカも出兵しているからである。第一次大戦はどうか。これはもう地中海まで日本海軍はイギリスの為にお付き合いしているのであるから、文句のいいようがない。
結局、これらの戦争に関して日本を悪玉に仕立てようと試みると、欧米列強自身も火の粉かぶることになりそうである。上を向いてツバを吐くことになる。
一方、満州事変、支那事変、大東亜戦争は議論の余地無く、米英仏等と利害関係が対立するものである。これを徹底的にとっちめない法はない、ということである。
今、米英仏などと国家単位で述べたが、この稿の目的とする超国家的勢力を主役とする歴史観からするとやはりこの大勢力との利害の衝突、利害の一致の問題が、前述の国家単位の歴史観とピタリと重なるのである。この点、どちらから説明しても同じである。しかし後に述べるように、超国家的勢力を主役をした歴史観の方がより正確な史実の分析が可能であるということである。
この超国家的勢力は近世史を事実上動かしてきたものであるが、日露戦争においても日露両方へ資金援助をしているのである。この勢力が得意とする両建て主義である。別名、釘抜き戦術ともいわれる。つまり、釘抜きの如く両方からはさむという意味である。
この勢力は、日露戦争を大歓迎していたのである。その理由は、ツアーの打倒を至上目的としていたことにある。これでは、日露戦争における日本を侵略者とはいえないであろう。
さて次なるシベリア出兵問題は、大変複雑である。これは往来の教科書的歴史観に捕らわれていては、何がなんだかさっぱり分らないであろう。
先ずロシア革命といわれる事件であるが、これをプロレタリア革命などと言っていたのではお話にならない。これは当時の欧米の新聞の殆どはこの大勢力の支配下にあるのであるが、単に首がすげかけられただけである。ツアーからこの大勢力へ。
従って、日本がシベリアへ出兵したという事は共産主義革命を叩きつぶす為ということにはならない。これら大勢力に対する挑戦ということになるはずである。
そうとあれば、東京裁判の主役たるこの大勢力の怒りを買い侵略戦争というレッテルを張られる事必定と思いきや、事実はさにあらずと言うのが実情である。では何故このような事になるのか。それはアメリカも参加していた事に原因がある。
アメリカのウイルソン大統領は日本が出兵を宣言するや、その翌日に早くもアメリカの出兵を宣言しているのである。中立主義、孤立主義の風潮の強い当時のアメリカが何故直接殆ど利害関係のないシベリアへ出兵したのか。利害関係があるというのなら話は全く別であるが、事実アメリカはカムチャツカの割譲を熱心に希望していたのであるが、それはさておき、アメリカの参加の真の目的はボルシェヴィキの援助なのである。
重複を省みず説明すれば、このアメリカ遠征軍には奇妙なことに英語の話せない米兵が多数いたのである。これらの米兵、実はポーランド出身のユダヤ人なのである。つまり、隣にあってたえず自分達の脅威であったツアーを打倒したのであるからこれを永続させねばならない。つまり、ボルシェヴィキを援助しなければならない。それがポーランドのユダヤ人が米軍に参加した理由である。
とにもかくにもアメリカ自身はるばる兵を出しているのであるから、日本を侵略者と呼ぶことはさすがに気がひけるのであろう。以上で、満州事変以後を日本の「侵略戦争」と呼ぶ理由をお分かり頂けたと思う。
●階級闘争史観の持ち込み
このへんから東京裁判の本質にメスを入れることにしよう。
この東京裁判は日本の戦後史の始まりというにふさわしく、非常に深い意味を持っている。戦後日本の価値感覚その他が戦前と百八十度の転換をみせたといわれるが、その原点はこの東京裁判にある。
マルクス主義階級闘争史観というものが観念的には大正時代から移入され、日本国内のインテリの間でいろいろ論議されてきたものである。しかし、これらは現実の問題としては何ら国民に影響を及ぼすものではなかった。
しかるに、東京裁判によって持ち込まれたマルクス主義の階級闘争史観は、この裁判に続く日本国憲法の持ち込みによって日本国民の価値観を百八十度転換させるまでの大きな影響を及ぼすことになった。東京裁判の本質はマルクス主義の唯物史観における階級闘争論の持ち込みにこそある。この二元論の持ち込みにより、以後、日本の内部は収容のつかないような内戦状態に陥ることになったのである。
もともとこれを持ち込んだ勢力の目的とする所は、唯物史観にある如く国家を内部闘争により破壊、転覆させることにあるのであるから、当然の帰結であるといえよう。東京裁判は先ずそのような思考パターンを植え付ける目的に利用されたものであり、それに続く日本国憲法の持ち込みにより階級闘争史観という二値論理に市民権を与えてしまったということが出来るであろう。
それでは、東京裁判によって演出された二元論理的思考の植え込み、階級闘争史観の設定の現実を見てみよう。
その方法は、日本国民を二極分化させることから始まる。即ち、マルクス主義の階級闘争史観は、全ての歴史は支配階級と被支配階級闘争の歴史であると主張するものであるのはご承知の通りであるが、この論法を持ち込むのである。
●善悪二元論の持ち込み
今度の戦争は日本の支配階級、「天皇制軍国主義者」の起こしたものであり、被支配階級である大多数の日本国民に責任はない。否、むしろ被害者である、一握りの天皇制軍国主義者にだまさていたのである、とする二極分化論である。この論法はかって北京を訪れた日本の各層の人々に故周恩来首相が常に口にしていた論法と同じであることからも、これがマルクス主義の階級闘争史観であるということはご理解頂けると思う。
この勢力はマルクス主義を自己の目的の為手段、道具として利用する勢力である。日本の戦後支配の出発点において早速、自己が創造したマルクス主義という虚構仮説を持ち込んだのであった。これは実に有効な手段、道具として役立ったのである。
その第一は、自己の戦争責任の免責である。自己が火の粉をかぶる前に、その責任を日本の「支配階級」、即ち「天皇制軍国主義者」に転換することに成功している。しかも、以後自分達に追及の手が伸びる事のないよう、一般日本国民に対しては一見寛大とも錯覚させる被害者意識を植え付けることが可能なわけである。
つまり前述した故周恩来首相の度々の言の如く、責任はあげて「天皇制軍国主義者」にある、日本国民に責任はない、否むしろ日本国民は被害者である、とする論法である。こういわれると、日本国民は責任者の追及は既に終わったと錯覚する。それというのも、日本国民自身が免責されているのであるから、この論法は耳障りのいい事この上ない。かくて、日本国民は以後すっかり戦争責任は一握りの「天皇制軍国主義者」にあるとの論を植え付けられ、真の責任者の追及を放棄したのである。
マルクス主義というものは、これを手段として有効に利用するものと、逆にこれを利用されるものと二者があるのである。前者が後述するニューディーラーであり、後者が日本共産党である。
この勢力の駆使するのは正真正銘のマルクス主義の唯物史観に基ずく階級闘争史観である。その証拠をあげてみよう。それは日本共産党が戦前から主張していた講座史観とピタリと一致することである。元々この勢力こそ、マルクスに変革のための虚構ハイポセシスの構築を依頼した張本人なのである。
●深い後遺症
東京裁判の論法はすでにたとえ戦争責任については逆転されたとしても、深堪なる影響を日本の戦後史に与えてしまっている。
先ず第一に、日本の社会へ階級闘争を持ち込んだことである。これは、続く日本国憲法へ実体法のカテゴリーに属す条項を挿入することによって、確固たるものとして定着させられてしまっている。この階級闘争もさることながら、より大きい病巣は宗教性の呪縛であろう。
前述の東京裁判式の論法は、善玉・悪玉論理をはぐくむことになる。戦争責任はあげて一握りの支配階級たる天皇制軍国主義者にある、大部分の国民はむしろその被害者であるとする論法は、先ず第一に戦争責任者を国外の求める事を忘れさせる効果をもつ。また、これにより旧敵国がいかにも雅量のあるものわかりのいい寛大な存在に映り、以後の占領政策をやりやすくする効果をもつ。しかしこれらよりも大切な事は、支配階級というものは常に悪玉であるとする思潮が生じることである。其れに対して自分達は被害者、即ち善玉なのだと信じ込ませる作用をもつ。ここにユダヤ教的善玉・悪玉の二値論理が持ち込まれることとなる。
こうして、善玉、即ち「天皇制軍国主義者」に「支配」された戦前の日本は全て悪であるとする観念が生じる。逆に自分達を被害者=善玉と規定してくれたアメリカ占領軍の以後の政策をすべて善と感じるであろう。
更に、支配階級というものは常に悪玉であると教え込まれると、戦後の政権担当政党も支配階級の代弁者であるから当然悪玉である。故に、これに悉く反対することは善玉の崇高な使命であると信じ込まされることになる。今日政権担当政府のやることには何でも反対する思潮は、このようにして東京裁判を通して巧妙に持ち込まれたのである。
そうして、これらを確固不動のものにする為日本国憲法を作成し、その残置諜者として日本共産党を利用することになるのである。
参考HP
ゾルゲスパイ事件でないもう一つのスパイ事件ベラスコ
連合艦隊山本長官による大東亜戦争敗戦戦略
昭和天皇陛下による核爆弾製作防止
大東亜戦争は、自衛戦争である
日本人が殺された済南事件
幣原外交の悲劇
プロパガンダ写真研究所
南京大虐殺の嘘