『今こそ目覚めよ 天皇の真実ー昭和天皇未曾有の大遺徳』    河内正臣

 「昭和天皇に戦争責任がある」と、土井社民党委員長や本島長崎市長は発言した。
 これに対し、政府側は「責任はない」と明言している。
 この問題は、今こそ誰もが納得出来る決着をつけない限り、故天皇陛下の御霊は安らげないであろうし、私達国民の気持ちも分裂状態のままに放置され、明仁新天皇陛下に素直に心を一つに出来ないのではあるまいか・・・・。
 

●戦争責任の真実

 「戦争の全責任は自分にある」昭和天皇が、マッカーサー元帥と最初に会見された時の御言葉である。
 マ元帥は「骨のズイまで揺り動かされた」程感動し「我神を見たり」と、心の中で叫んだという。(回想記)
 これは余りにも有名な歴史のドキュメントである。以来崩御されるまで、故陛下は戦争責任問題に関して完全に沈黙を通し続けられたが、この”沈黙”こそ戦争の全責任を背負っておられた自覚の表れだったのではあるまいか?この事は、昭和50年に米国記者の戦争責任の質問に対し「その頃の人達が数多く生存しており、私が今何か言えば、それは当時の軍当局を批判している事になるかもしれません。そうした事は差し控えたいと思います」(各新聞・昭和50・9・22)と述べられているが、戦後30年も経過しているにも関わらず、未だ一人の国民をも責めたり傷つけようとはなさらない驚嘆すべき思いやりの御心から察せられるのである。
 但し、ここで気付くべきは、故陛下がとられた戦争責任とは、ウェップ裁判長が「天皇には法的・政治的責任はない」と断言している様に、低次元の法的責任ではなく、人間として最も大事な心掛けである倫理を重視された、あくまでも高次元の道義的責任であると云う事である(この観点は、日本が戦争を仕掛けたならば、話が通じるが本当に日本が戦争を仕掛けたのか。嘘の自省は、逆に悪をあびこる。ここで革命と戦争を計画したのは連合国側(ユダヤ人)である事を述べたい。自衛戦争は、道義的には悪ではないですから!忍)。
 だとすれば、昭和天皇の道義的責任は、御自ら進んで断頭台に立つ御覚悟で「終戦の御聖断」と「マ元帥への告白」を実行され、「日本国」と「日本国民」を救って下さった至尊の行為によって赦されて然るべきではあるまいか・・・。
 「誠に己むを得ざるものあり。豈朕か志ならむや」と開戦の詔書に書き入れられた如く、最初から全く戦争する気のなかった故陛下(英国と戦争する気が無かったのです。英国を心から許したのです。これが、阿片戦争による英国の脅威を感じなかった天皇陛下の心の失敗なのです。なぜ、海賊国家を心から許したのか?この理由が未だに分からないのです。そのお陰で、英国のタヴィストック研究所による無差別爆弾が飛び、広島・長崎に原爆を落とされたのです!忍)が、開戦を赦された真因は、当時の全国民の総意であり、これを拒否する事は、”独裁者”となる事を意味し、立憲君主の立場としては出来えない事であった。
 故陛下のこの御態度は、昭和11年の勃発した2・26事件を、御自身の決断によって収拾された時、若手将校が処刑される等の重苦しい体験から胸中深く刻み込まれた教訓であったという。
 そして最終決定を下し、その承認によって戦争が開始された以上、その全責任は自分にあるとの御覚悟から、故陛下は敗戦という史上未曾有の苦難を誰よりも最も苦しまれ、誰よりも最も悲しまれ、その御心痛と御心労は言葉に絶するものがあった。

 身はいかに、なるともいくさ
   とどめけり
     ただ倒れゆく 民をおもいて

 この一命を捨てきる御覚悟で”終戦”を御決断下さった故陛下は、爾来44年間、一人の国民も責められず、一言の弁解もなさらず、崇高なる道徳的見地に立たれ、戦争責任を自覚し続けられ、そのまま崩御されたのである。
 この崇高なる道徳的見地を理解出来ぬ人達が、繰り返し戦争責任を追及するのであろう。
 さてそこで日本国民として確と覚醒せねばならぬ事がある。
 それは即ち、昭和天皇に見習い、私達国民が道義的次元に立ってみれば、最初から戦争がなさる気持が全然おありでなかった故陛下を開戦に追い込み、極限の苦悩を与えたものの責任はどうなるのか?という大変な課題が残されていた事にである・・・。
 昭和天皇は、東条首相の意思や軍部の圧力に屈して戦争を始められたのではない。国民全体の意思の決定を尊重して、これを御自身の意思とせられたと言う事である。従って、故陛下が開戦の詔書に署名せられた行為の意味は、全国民一人一人にかかっているのである・・・。
 つまり、当時の世情は、対日禁輸ABCD包囲陣等により、無資源国日本の自滅は必至であり、戦争に訴える以外に打開の道はない事態に追い込まれ、国民の側が開戦はやむを得ないと信じており、その全国民の意思を故陛下が代表されたという事である(だから自衛戦争である。それ以上それ以下でもない。何故に日本国家を戦争責任として追及するのか理解できない。むしろ当時の欧米のあり方に戦争責任の追及があるのではないでしょうか!忍)。
 如何にその時代の軍部やマスコミの煽動があったとしても、それに圧倒的多数の国民が同調したという。この紛れもない事実にこそ故陛下の開戦の真の原因があり、そこに国民も、人間として本来あるべき道徳的見地に立てば、故陛下に対しての戦争の道義的責任を自覚せねばならない理由が厳然と存在しているのである。
 それ故に、今度の「即位の大典」を前にして、天皇への関心は益々高まるであろうから、この機会を逸することなく、壱日も早く”天皇の真実”に目覚め、国民の総意を結集し、「昭和天皇へのお詫びと感謝報恩」を、新天皇=明仁陛下を通して表明する事が現下焦眉の最重大事と確信する。
 そこで「感謝報恩」の具体的方法だが、あの大東亜戦争に際し、昭和天皇は一命を捨てる覚悟で終戦を御決断を下さり、日本民族を救って下さったのだから、今度は私達日本国民が一命を捨てる覚悟で、故陛下への御恩返しを実行すべきであり、その為には、天皇の御熱願=真実の世界平和、いわゆる神武天皇の日本建国以来の国是「八紘一宇=地球一家=絶対平和世界」達成を目指して、日本国民は一致団結して全身全霊をそそぎ、この史上空前絶後の大聖業に生命を捧げる事をお誓いする事であると考えるのである。
 これを実践した瞬間、故陛下は40数年に亘り、更に崩御後も背負い続けておられる戦争責任の重荷を降ろして下さる事になり、昭和天皇の天命が立派に完うされ、真に昭和は終焉し、愛と希望の新しい御代、正しく「平成」時代の幕開けとなるであろう。
 今、日本国民が果すべきこの最重要事を実行し、戦争責任問題に真のケジメがついた暁には、国民の道義の大道は定まり、現今の様々な困難な社会問題が、単に解消される方法が明らかになるに違いない。
 
 

●世界史上最初の原爆抑止者

 ここで、日本人として何ものよりも優先し急ぎ知らねばならない事がある。
 それは、日本は、大東亜戦争の最中、昭和18年末から19年初めの頃、当時の同盟国独逸からウランを輸入し、極秘裏に必死で原子爆弾・新兵器・マッチ爆弾を開発していたが、それを知られた昭和天皇が、東条首相と杉山陸相を強くいさめられ、中止させておられたという青天の霹靂の事実である。
 平成元年9月11日、私にこの驚天動地の証言をして下さったお方が、広島の岩田幸雄氏(当時86歳)である。岩田氏は、この逸話を、終戦の年の昭和20年2月頃、杉山元帥から直接聞いておられたのである!
(詳細は拙著小冊子「天皇と原爆」に述べる)
 この未曾有の事実が世界に広く知られたら、戦後の日本を重苦しく覆ってきた「侵略戦争」という汚名は完全に払拭され、「八紘一宇」「大東亜共栄圏建設」の大義名分の基に戦った日本の戦争は、亜細亜諸国を白人の植民地から解放した正しく聖戦としての再評価が急浮上し、これまでの一方的な歴史観が見直され、大きく転換されるに違いない。
 さあれば、あの大東亜戦争で、全てを犠牲にして一生懸命戦った軍人や日本国民の筆舌に尽せない大変な苦労がむくわれ、英霊等戦没者の御霊は真に浮かばれる事になるであろう。
 日本の敗色が濃厚だった時期に、昭和天皇が「戦争とはいえ人類絶滅に通じる新兵器(原爆)を使用してまでも勝てばよいということではない」と申され、原爆製造に反対されたその大御心を、軍人たる東条首相と杉山元帥が遵守したとは・・・、何という感嘆すべき事であろうか!
 日本の行った戦争とは、まさしくまぎれもなく”侵略”ではなかったのである。
 しかし、原爆は、昭和20年7月、米国で完成し、翌8月6日、史上初めて日本の広島に投下され、更に9日には長崎にも投下される事になったのである。
 昭和天皇が、この事実を知らされた時、その御胸中はいかばかりであられたか・・・。 昭和天皇「終戦の御聖断」の決定的御決心は、この原爆投下に起因していた事は間違いあるまい。
 終戦の詔書に「敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻に無辜を殺傷し惨害の及ぶ所真に淵るへかさるに至る」と述べておられる事から、そのご心中は察せられるのである。
 又、陛下は日本の戦争終結を「敗戦」と申されず「終戦」と断定された事にも、原爆が製造された以上今回の第二次世界大戦を、人類の最終戦争とせねばならないと深く思慮された故に違いない。
 そこに、昭和天皇が世界史上最初唯一の「戦争放棄」を誓った日本国憲法を誕生せしめた必然の所以があったのである。
 この驚愕の事実は、「天皇反対」を叫ぶ人達の「反天皇の論拠」を完全に消滅すると同期に、「尊皇」を唱えながら、防衛を称して軍事力増強を叫ぶ人達の「尊皇矛盾」をも完全消滅する基盤となるであろう。
 天皇こそ、正しく世界平和の象徴=中心となられる絶対的な資格者といえよう。
 昭和天皇のこの未曾有の大功績は、平成時代の幕開きと共に、新天皇になられた明仁陛下に受継がれるのは当然の事である。
 そうだとすれば、広島・長崎の「反核・平和」運動は明仁天皇をお迎えし、天皇を中心として日本国民が大調和し訴えてこそ、全世界の人々の心を大きく動かす事が可能となり、必然日本が平和運動のイニチアチヴを握り、真実の平和世界建設に向けての率先垂範が可能になると云えるのではあるまいか・・・。
 
 

●昭和天皇が戦争放棄の生みの親

 さてここで、今一つ日本人として確と認識せねばならない重大な事がある。
 それは、「日本国憲法第9条=戦争放棄」は、昭和天皇の御熱願を、マ元帥が強引に押し付け成立させていたという驚くべき事実である。これは故陛下を心底より敬愛していたマ元帥の立場なれば当然の行為であったと考えられる。
 証拠の詳細は、拙著「天皇の真実」(たま出版)に述べているが、前記した「昭和天皇が史上最初の原爆抑止者だった」という驚嘆すべき逸話が突然顕現し、この事実が一層強固に証明される事になった。
 この素晴らしき真実が普遍されてゆけば、当然、憲法1条(天皇)と9条(原爆ー>戦争放棄)が結ばれ、「天皇絶対平和」の国民が明確化し、保・革5分5分の功罪が確認され、相互の譲り合いが可能となり、日本民族の大調和が具現し、3千年の昔、神武天皇が日本を建国した大目的「八紘一宇=地球一家」達成への具体的方向が定まるであろう。
 「昭和天皇が原爆抑止=戦争放棄のご発想者であった」この事が明確にされたならば、故陛下の空前絶後の大功績が明らかとなり、この大遺徳を明仁天皇が受け継がれ、天皇を全人類が待望したメシア(救世主)として承認しうる大根拠と成り得るであろう・・・。
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(この後、原爆実験抑止は、天皇陛下のお陰であるという論旨を発表しているが、実際は、陰で異星人が実験を抑止した事を告げます。勿論天皇陛下の御心を大切にする必要があります。核兵器は、はっきり言って人類滅亡の武器ですから。只、核兵器を管理している人が、悪人である事を、大東亜戦争を仕掛けた犯人でもあり、第1次世界大戦を仕掛けた犯人でもあるのです。そこを忘れて欲しくないのです。皮肉も天皇陛下の御心を知らずに、その天皇陛下を抹殺するために原爆が落とされたのが非常に残念です!忍)。