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◎ベラスコとは(ゾルゲスパイ事件でないもう1つのスパイ事件)◎

○TO機関と日本外務省

 史上最大の大反攻作戦と呼ばれるDデイ作戦。連合軍は、この大作戦の成否を二重スパイ、スペイン人ガルボ(下述)の活動に賭けていた。
 ガルボはドイツ側の元工作員プホルという男。プホルはある日、ロンドン市内でMI5に拉致され、軽い拷問を受けて、あっさりと連合国側に寝返った。
 MI5からコードネーム「ガルボ」を与えられ二重スパイに変身したプポルは、MI5から渡される英国側の極秘情報をなにくわぬ顔でドイツ国防軍情報部(Abwehr アプヴェール)に流す。有力情報を次々と入手するプホルをドイツは重く見て、駐英スペイン大使館付報道担当係に格上げする。その上司が報道担当官のベラスコだった。ベラスコは駐英スペイン大使館付報道担当官を装うアプヴェール所属の秘密情報員で、コードネームV312、別名ギレルモと呼ばれていた。
 偽外交官ベラスコの動向は、プホルに監視され、机の中の機密資料はMI5に悉く運ばれる(「裏切り者はプホルを選んだアプヴェールの人事担当者だったのだ」ーーベラスコはプホルの出現に大騒ぎするマスコミのインタビューでそう答えた。サッシャーはプホルに勲章を与えた)。
 プホルは信用をかちとる情報をドイツ側に次々と渡した。上等な「エサ」にドイツ側は喰い付いていった。「プポル効果」は、ドイツ側の作戦計画を連合軍の思い通りの方向に変化させた。そしてプホルは、連合軍機動部隊の欧州反撃の日(Dデイ)と上陸予定地点に関する偽情報をドイツ側に完全に信じ込ませる事に成功する。「1944年6月6日、カレー海岸へ連合軍が上陸」ーーこのプホル情報をすっかり信じていたドイツ軍は、全主力部隊をカレー海岸に配置して迎撃体制をしいた。連合軍は、はるかかなたのノルマンディー海岸に上陸、作戦は大成功。

  当時、私のTO諜報機関には、マドリード市内5カ所に秘密事務所があった。4月のある日、
 その1カ所に泥棒が侵入した。被害状況を調べる為、私は急遽スペインに戻った。侵入者はM
 I6の秘密情報員ベントンだ、と私は睨んだ。蛇の道は蛇。私は泥棒の正体と侵入目的が即座
 にわかった。機密文書を盗み出していない。機密文書とは、事前に盗み易い様に日頃から用意
 しておくオトリ文書なのだが、さすがにベントンはその文書に手をつけていなかった。おそら
 くベントンも、騙しの常識を身につけていたからだろう。
  侵入の目的は、おどしだった。ベントンの無言の圧力に警戒感を強めた私の元へ、親友から
 の電話がかかってきたのは、その事件から数日後の深夜だった。
  会わせたい重要人物が自宅にきて君を待っている、直ぐに来て欲しいーー親友からの深夜の
 電話に不審を抱きながら、私は友人の屋敷に向かった。第6感が働いたのだろう。普段携帯し
 ない小型拳銃をポケットに忍ばせた。友人が住む屋敷の居間では数人の紳士がカクテルグラス
 を手に談笑していた。到着した私に、「ようこそベラスコさん」と紳士の一人が迎えた。顔見
 知りの駐スペイン英国大使館付武官つまり軍事情報部員フラートンだ。他の二、三人の紳士等
 も見覚えのある敵側スパイ達だった。フラートンは、頃合いを見て、私に英国への同行を求め
 てきた。私は拳銃を威嚇発射して逃げた。
  フラートンは、英国女王陛下の「お庭番」、つまり英国軍事情報部第六課(MI6)のスパ
 イ。日頃、ロンドンースペイン間を往来する私を、ロンドンではなく私のホームグランド、ス
 ペインで誘拐しようとしたのだ。その日はDデイ(1944年6月6日)の前々日だった。
    
 ベラスコの身柄拘束作戦は、プホルの企み(Dデイ欺瞞作戦)をベラスコに察知されないよう、事前に侵入事件を仕掛けてベラスコをマドリードに引きつけ、かつ身柄を拘束して、Dデイ作戦の完遂を期する為だったのである。ロンドンでプホル抱き込みに成功したものの、マドリードではベラスコを取り損ねた。MI5とMI6は担当地域や職分が違う。普段は協調行動を拒み栄誉を競い合っていた。その軋轢がベラスコを逃がしたのだろう。だがこの作戦には、縄張り意識を許さない「力」もまた働いていた。
 その「力」を発揮していた蔭の指揮官が、MI6の天才スパイ、キム・フィルビーだった。彼は、スペインのフランコ首相そしてベラスコ等とは、スペイン市民戦争(1933?37)以来の顔馴染みだった。フィルビーはロンドンの新聞「ザ・タイムズ」紙の契約特派員として市民戦争を報道、反乱軍のリーダー、フランコ将軍寄りの記事を書き続けて将軍から大いに目をかけられた。1937年には反乱軍の勝利への貢献者としてフランコから軍功赤十字勲章まで授与された。一方、反乱軍を支えた民族派結社の闘士ベラスコは、フランコ将軍とは、民と軍の立場こそちがうものの内戦の盟友だった。つまり三人はスペイン市民戦争で同じ釜のめしを喰った戦友だった。市民戦争終了後フィルビーは、第二次大戦の勃発と同時にMI6に潜り込み、やり手スパイとしてのし上がる。
 フランコのスペインは第二次大戦には参加せず中立国の立場をとった。が、その立場を利用したフランコ首相はベラスコを日本政府(須磨公使)と結びつける「裏芸」を実行した。フランコはベラスコをドイツ国防軍情報部(アブヴェール)にも所属させていた。つまりフランコはベラスコに二重の活動を強いていたのだ。
 英国が、フランコの企み、つまりベラスコの「二重売り」を知らない筈がない。英国はスペイン政府を通して間接的に日本政府の情報を得る為に、ベラスコと須磨の「取引」にそ知らぬふりを決め込んだ。英国のフィルビーとスペインのフランコは、暗黙の内にもう一人の仲間ベラスコを巻き込み、TO諜報機関が駐スペイン日本公使館に運び込む日独の情報を横取りしていたのである。
 戦後になってスペインに舞い戻ったバラスコは、スペイン陸軍省情報部特別顧問に迎えられ、優遇されている。ドイツ側のベラスコに対する対応も同様で、旧ドイツ第3帝国の大幹部達はベラスコに南米逃亡の手助けを委ねている。
 つまり、ベラスコはスペインとドイツからは評価されたが、須磨公使からは黙殺された。TO諜報機関との関係を須磨公使がそのメモワールから削除した理由がここにある。須磨公使の無念が、ベラスコとの「思い出」を消したのだ。
 

○禿げ鷹と日本公使館

 TO機関(以下、TOと略称)は、ベラスコがロンドン赴任と同時に創設した新しい対英米情報機関だった。その組織網はスペイン国内、南北アメリカをカバーした。米国の三沿岸の大都市ニューヨーク、ワシントン、ニューオリンズ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴには、機関員合計6人の細胞を配して、マドリードの本部が直轄管理、その6人の周辺に更に数人、時には十数人の端末細胞を配した。
 TOの存在価値はスペイン語圏を支配出来る点にあった。北米の南西両側に接するスペイン語文化圏に人脈をもち、東アジアの権益圏に通じる英国艦隊航路を挟むスペイン領土(ジブラルタルとモロッコ)にもスペイン人ネットワークを容易に配しながら、開戦を機に枢軸国が失った南北両大陸の残害在外公館に代わる現地情報収集網として活動したTOの存在価値には、はかり知れないものがあった。TOは独立した情報機関として枢軸三国と連携したのだが、信義を忘れれば連合国とも提携出来ただろう。二重スパイはこの世界では常識だからだ。TOは、二分化して対決した世界の中のもう一つの強大な情報機関でもあった。

 TOの最も価値のある点は、リーダー、ベラスコの体内にあるユダヤ系民族の血と、教会で育った経験とにあったのかもしれない。ユダヤ教対基督教の対決論議を子守歌代わりに育ったベラスコは、戦争の奥底に潜む問題を知り尽くしていた。つまり、ユダヤ系民族が支配した戦争裏面の「渡り方」を心得たスパイがリーダーであった偶然の価値は高い。

 TOのベラスコと日本政府須磨公使の出会いは、フランコがスペイン外相スニエールを窓口に幹線仲介をすすめてはじまったものだった。そのスペイン政府お墨付きのTO情報を「買う」段になって、須磨公使はこの「買い物」の許可を得る為、本国政府東郷外相に次のような機密電文を送っている。

 昭和17年1月9日、(暗)、馬徳里午後発、本省11日午前着。東郷外務大臣宛、須磨公使、
 第34号(緊急、極秘、館長符号殿扱)、(諜報網設置に関する件)
 往電第27号の二に関し
   9日「トウ情報」の当人本使を来訪「スニエル」外相より日本の為至急諜報網設置方立
   案を命せられたるに依り(本人談話中「ス」外相よりも直接電話ありたり)不取敢作成
   せりとて別電話第35号計画を示し右にて我方に異存無く早速実地に取り掛りたく人員
   に関しては「ス」外相か自分の馬徳里(マドリード)を離るるを渋り居るに付き自分の
   渡米は今の所困難なるも他に絶対信用の置ける確実なる人物当地に待機し居り費用に関
   しては機械及旅費を日本側に於て負担願度く夫れ以外は一切西班牙(スペイン)側に於
   て支弁すへしと述へたり
   上は予々御申越の御趣旨に副を理想的なる案と思考せらるるに付至急実行に移さしめた
   き処御意向折返し御回電相頻度く猶費用の点に関しては西班牙側に迷惑を掛くるは其の
   好意に報いる所以にあらす且つ関係者の活動を敏活ならしむる意味合よりも先方申出の
   機械及旅費以外に相当額を一纏に資金として提供し置くこと然るへしと存す其の概算額
   に付ては追電すへきも此の点に関する御意向も併せて御電報請ふ(了)

 この電文で述べている「外機密」電文第35号とは、次の電文だった。

 昭和17年1月9日、(暗)、馬徳里午後発、本省11日午前着、東郷外務大臣宛、須磨公使、
 第35号(大至急、別電、館長符号扱)
 (情報網設置に関する件)
   1、北米に二名、「ダカール」に1名、豪州に1名夫々外交官としての不可侵権を有する
     連絡員を派遣す之も短波発受信機及暗号用特殊「インキ」を所持し命せられたる情報
     の蒐集に従事す
   2、馬徳里(マドリード)に発信受信装置を設備し本人自身之か操作に従事す
   3、人選並に暗号の作成は本人之を担当外交官特権の件は「スニエル」外相に於て引受け
     たり(了)

 小さな事だが、前電文では諜報の「諜」の字が送信機の活字群の中になかったのか、手書きで「諜」の文字を書き込んである。或いはその当時、外務省は「諜報活動」とは無縁だったのか。
 もう一点は、最初「諜報網設置に関する件」と題した用件項目が次電では「情報網設置に関する件」に変わっている。この用語変化は現地公館の通信係の独断なのか、それとも須磨公使の認識が変更させたのかは不明だ。が、追電の内容をみると、スペイン公使館側の切迫感がうかがえる。あおり立てるスペイン側の強引さが電文の字句からもありありと感じられる。以後のやりとりの一部からTOと須磨公使の当時をのぞいてみよう。

 昭和17年7月22日(暗)、馬徳里(マドリード)午後発、本省23日午前着、東郷外務大
 臣宛、須磨公使、第781号(館長符号扱)
 (東情報照会の件)
 貴電第341号に関し
   1、東情報は当地到着と同時に当館、独逸特務機関及「スニエル」外相に配布する仕組な
     るか前二者に対しては事務的に極めて迅速なるも「ス」に対しては防諜の見地より機
     関長か直接手交する為「ス」か多忙なるときには相当期間会へさることもあり斯る場
     合には当方か先に情報を入手し「ス」に知らせる事もあり得る次第にして今迄2、3
     の其実例あり
   2、独逸特務機関は国防省直属の機関にして今次大戦開始以来当地に於て諜報事務に従事
     し居り開設当時より「アルカッサー」を起用し同人に於て在英機関を組織したるもの
     なり尚独逸特務機関長は表面は大使館員と成り居るも国防省とのみ連絡し大使の命令
     に服し居らす且防諜上の見地より東情報は国防省にのみ伝達し大使館には一切伝へ居
     らす
   3、本機関の生立ちか軍事上の諜報機関なる関係上独逸側は諜報の主目標を「コンボイ」
     の働き及潜水艦及飛行機の活動を容易ならしむる為天気予報の二点に集中し居り在英
     機関員は右両点に関し特に練達し居れり
   4、機関長「アルカッサー、ベラスコ」は前述の如く独逸特務機関と約2カ年間連絡あり
     西班牙(スペイン)内乱時代より「スニエル」と特殊関係成立し当時の殊勲に依り「
     ファランヘ」党内訌に連座し死刑を宣せられたるも「ス」に救はれ無罪となり諜報機
     関設立を兼ね在英大使館附新聞班長に転出帰朝後は「ス」の陰の人として活躍を続け
     居れり性格は侠客肌、信念及友人の為には水火も辞せさる底の強き性格を有するも猪
     突的なる嫌なしとせす政治的判断に長し居る訳に非さるも常に明截なる結論を報告す
     る点に於て「ス」外相も相当高く買ひ居れり(了)

 この「遅すぎた日本の情報活動」つまりこの提携関係を、フランコースニエールの線で纏めさせた影の人物は、独逸国防情報部長官カナリスだった。須磨公使もスペイン政府ではなく同盟国独逸政府を信用した。中立国スペイン政府は仲介役に過ぎない。須磨公使にバラスコを幹線する事で、日本と独逸に貸しを作るのみならず、そその結び付きで生まれる情報を只取り出来る。いわば、他人の褌で相撲をとるというよりも、ユダヤ式に「漁夫の利」をねらったと評するべきかもしれない。
 スペイン側は外務大臣スニエール、最高参謀本部内のナンバー2で陸軍少将カンボス、政府情報局文書課長ブランコ、この3人が須磨公使に希望を与え義務を要求した。ブランコはフランコの後継首相ともみなされた人物だったが、後に暗殺された。ベラスコはその死を「シャンペンで祝った」。フランコと同類だったからだという。
 ブランコと同じフランコ直属の報道局長ベネロはフィルビーの仲間、つまりソ連のスパイだった。須磨公使は寄ってたかる禿げ鷹の餌食にされていたのである。こうした騙しの内実を知っていたからこそベラスコは、深夜のマドリード誘拐未遂事件で日本公使館や自国政府に助命を求めずガリシアからベルリンへと逃走したのだった。
 須磨公使発であれ、東京発であれ、往来した電文の全てが打電の瞬間からマドリードを経由する事で連合軍の目にさらされていたのである。連合軍はこれらの電文の文面からじっくりと日本政府と軍部の出方を観察した事だろう。無論それは、日本政府・軍部内に存在した「敵側協力者」等に駐スペイン公使館と独逸側の極秘活動の手の内を教える電文でもあった。

 昭和17年7月24日、(暗)、馬徳里午後発、本省25日午前着、東郷外務大臣宛、須磨公
 使、第793号(館長符号扱)、(東情報照会の件)
 貴電第341号後段に関し
   1、23日夜接触の際機関長に念を押したる処独逸特務機関に於ては其の後も往電第72
     7号の趣旨を繰返し総ては「フォン、バーベン」の方寸にありて多少事実の食違ひあ
     るへきも大局は筋書通り発展スヘシと洩らし居る趣なり
   2、尚其の際独逸特務機関に於ては「ミッドウェイ」海戦に於て我方最優秀航母4隻を米
     国か撃沈したりとの報道を独逸国防省に於て確認し居る旨内話し居りたる趣なり後段
     情報は独逸特務機関の情報の確実性を測定する格好の尺度と存せらるるに付聞込の儘
     参考迄電報す(了)
 

○大東亜戦争は日本海軍の大勝利の筈だった

「日本はアメリカに完勝していた」
 ベラスコは、日本海軍が米国海軍を徹底壊滅させて戦勝国になる機会が少なくとも4回あったという。広い太平洋海戦の勝利は間違いなかったと断言する。たとえ情報が敵側から完璧にキャッチされていたにせよ、物量、装備、士気等が英米海軍以上に優れていた初期の日本海軍機動部隊は、普通の参謀が指揮しても開戦初期から一挙に敵をつぶせたというのだ。
 その理由の一つは、TO情報が連合軍側の情報機関と同質の軍事情報を日本政府に届けていたからだという。いささか我田引水のようだが、つまりはTO情報を連合軍と同じ発想、即ちこの戦争支配者ユダヤ系民族特有の戦争思考と価値観でTO情報を分析解釈してしまったとベラスコは口惜しがる。つまり戦争準備も整わないのに戦争を開始した発想もその一例だが、そうであったとしても、日本海軍は初期の作戦で一気に米軍をつぶせたと繰り返し断定していた。
 では、ベラスコのいう日本海軍4回勝利説の戦場はどこか。

 ミッドウェー、ガダルカナルは完全勝利の場だった。TOは事前にその戦場と戦闘規模を日本
 政府に打電した。たとえ、その暗号電文が解読(盗聴)されていたとしても、文面の裏を読み
 取れば敵の作戦目的が掴める情報に整理して日本側に渡した。

 とベラスコはいう。
 一例はソロモン海戦に見てみよう。TOは敵がガダルカナル島に大攻勢をかけようとしている情報を事前に入手して日本に送信した。だが日本海軍はTO電文に無反応だった。ところで、ベラスコがここでいう勝ち戦とは、日本が自らの判断で負けにまわった戦を指している。

 昭和17年8月20日、(暗)、馬徳里午後発、本省22日夜着、東郷外務大臣宛、須磨公使、
 第909号(館長符号扱)
 東情報(16日紐育(ニューヨーク)発)
   1、海軍省に於て得たる情報に依れは最近豪州に16万3千噸の貨物(主として沿岸砲及
     敵前上陸用快速艇)を積載せる大「コンボイ」無事到着、潜水艦及航母(複数)之を
     警護し途中一度も敵より発見乃至攻撃せられさりし趣なし
   2、十日「ニューオルレアンス」より4隻(夫々9700噸、6790噸、4595噸、
     4千噸)「パナマ」向け出発せるか長距離飛行の性能ある海軍飛行艇を積載居れり
 独、伊に配電せり

 大反撃開始の予告電文だった。この日本入電の3ヶ月前、日本軍はガダルカナル島に上陸占領した。TOからのこの電文を、米国軍がガ島の反撃奪回を意図している動きだと見抜いた東京の参謀本部の人間は皆無だった(当時、陸軍と海軍の中が異常に悪かったのです。これは、昭和天皇陛下と東条英樹大将の頭痛の一つでした。海軍の情報が陸軍参謀本部に流していなかったのです。海軍統帥権は昭和天皇陛下ただ一人だったのです。あの戦争当時も、縄張り争いがしたのです。東条大将はどうしたら海軍と一体になって戦争が出来るのか悩んでいたのです。あの戦争は日本帝国軍隊が一体になっていない戦争なのです!忍)。このTO電文はそのまま外務省の館長符号扱来電綴りの中へ直行した。こんな調子で公表されないまま、永遠に綴りの中に仕舞われた電文は枚挙のいとまもなかろう。
 で、このTO情報第909号の前後の戦況はどうなっていたか、簡単に見てみよう。

 ・8月13日 「米軍はソロモン諸島の上陸作戦については相当の犠牲を払っても作戦を続行
        する覚悟を決めている」(TO電報)
 ・8月14日 「ソロモン諸島に上陸した部隊があと1ヶ月戦闘継続の事態になれば米軍は強
        力な増援部隊を派遣するだろう」(TO電報)
 ・8月31日 「米軍は太平洋諸島の占領計画を策定ーー米国海軍は当面戦力を太平洋方面に
        集中する計画ーーそのため大西洋方面が手薄になる恐れから英国から非難の声
        あり」(TO電報)

 それで日本軍はどうしたか。

  8月18日、一木支隊ガ島上陸、3日後に全滅・・・。8月31日、川口支隊ガ島上陸、苦
 戦ののちに壊滅。9月4日、青葉支隊が島上陸、攻撃後に壊滅

 泥棒を捕らえて縄をなう・・・。第2次大戦は、日本政府と軍部指導者等の情報音痴ぶりを敵国にさらす不運な機会だったようだ。「ガダルカナルで部隊を小出しに投入した日本軍の作戦の意味がつかめず最後まで困惑した」と語る当時の米国太平洋艦隊情報参謀のこの言葉は、ベラスコのTOが果たした無駄骨をよく説明している。ガ島に派兵された日本軍将兵は、一握りの政府高官や軍参謀らの命と引き替えに、自身の骨を南の島と海に捨てさせられたのである。

 陰謀計略の実行には資本や人材があまることはない。バラスコと須磨公使はスパイ人事と資金繰りに追われた。勝利を約束する情報を求めて、TOは日本政府と引きずられながら出口の見えない迷路に入り込んでいった。

 昭和17年8月22日、(暗)、馬徳里午前発、本省23日午前着、東郷外務大臣宛、須磨公
 使、第923号の1、(館長符号扱)、(在米諜報網に関する件)
 往電第740号に関し
   1、対米諜報網の我方に対する重大性に鑑み之か拡充完備の為外務大臣とも連絡の上機関
     長を督励し彼此苦心し居れるも交通の不便、米側の厳重なる取締等の為思うに任せす
     遺憾なるか現在迄紐育、華盛頓(ワシントン)、「サンフランシスコ」に各一名入込
     ましめ居れる諜者か広大なる地域に不拘各自緊密なる連絡を保ち最近は仕事振も稍々
     板に付き来たり他面冒頭往電中の特派員2名中1名は今月下旬乃至9月下旬迄には出
     発他は9月一杯に出発の見込なる上陸軍武官の兼備今迄の所順調に進捗し十月一杯に
     は正式任命を見赴任の運となる可能性あり右の外最近米国政府か西班牙共産分子部隊
     編成中なりとの事実に「ヒント」を得(往電第859号参照)機関長の最も信頼する
     部下一名を西班牙共産党員に擬装せしめ同部隊に入隊の為在西米国陸軍武官を経て米
     国に密航の手続を執り已に里斯本(リスポン)に待機中なり
   2、機関長に於ては諜報の完璧を期する為には米国にも英国に於けると同様最低20名内
     外の諜報者を入込ましむる要あると意気込み居れるか御承知の通り在英諜報網は西班
     牙政府の協力を得て独逸側か開戦以来3年の長年月に亘り費用に糸目を掛けす設置し
     たるものにして之を「スニエル」外相の好意に依り我方か密かに其の儘利用し居る次
     第にして従て英国の分の経常費、人件費等は原則として独逸か全部負担し我方として
     は不定期的に機関長を通して在英機関員に謝礼の為送金し居るに過きす然るに今回の
     米国の分は我方か全部を賄ふ建前なれは創業当初の諸費用は勿論其の後の経常費一切
     支弁せさるへからす機関員は「ウイスカルボ」の例の如く生命の危険をも冒すか如き
     場合もあるのみならす仕事の性質上相当多額の費用を要すへきに付右後了承請ふ
   3、本件着手の際の御送金中現在猶三萬弗(紙幣)残り居る処如上の通り米国の分は今後
     の情勢次第に依りては至急多額の送金を要することあり得へき見込に付不取敢40萬
     円伯林正金留置にて(出来れは瑞西(スイス)「フラン」然らすんは独逸「マーク」
     )折返し御電送請ふ(了)

 TOは須磨公使との契約時に200萬米ドルの前払いを受け取っていた。アブヴェールのカナリス長官が日本政府の為に建て替え払いしたものだ。その大金以上の利益が独逸側にもたらされるからだとベラスコは後に語った。アルゼンチン大統領の座を12萬ドルで買ったペロンのそのカネは、ベラスコから渡された情報下請け代金だった。TOが失敗した唯一の支払金であった。
 米国内の主な支払先は各宗派の牧師ら。彼等はカネを払わねば絶対に協力しない。つまり、カネを払えば何でも協力した。牧師の仕事はざんげ室の中で戦地に向かう軍人等の口から秘密を聞き出す事にあった。兵士が集まる街角のバーはスパイには通い慣れた仕事場だった。兵士の買い物の手伝いや恋人の斡旋など何でも手助けして情報をとった。
 

○日本に流れた米国原爆開発情報

 原爆開発情報と太平洋艦隊の動向を探ったのは二人のスペイン人青年ロヘリオとレアンドロだった。彼等はサンフラシスコからサンディエゴまでの軍事機密を探った。ロヘリオは地中海沿岸アンダルシア地方育ちの野生児。沿岸の町と暮らしに精通した獣医で34歳。かってTO機関員として小型通信機を積んだ小舟でジブラルタル海峡周辺を流しながら英国艦隊の動向や沿岸の町々を訪ねる商売人を装った連合軍スパイの動きをマドリードに報告していた。24歳のレアンドロは、鉱山地帯にあって、古くから英国船が出入りする北の沿岸都市ガリシア地方出の薬学生。タングステンの知識が豊富の科学マニヤ。この二人の人物は、正反対の環境風土に育ち、しかも米国に派遣されたものの互いの顔は全く知らない。ミッドウェー海戦、ソロモン海戦(ガ島奪回大攻勢)に向かう艦隊情報の裏付けは、彼等の仕事だった。

 だがロヘリオはある日、ラスベガスのカジノ「ビニオン」前の路上で何者かに射殺されている。原爆開発の様子を探っていた最中だった。
 ロヘリオが米国の原爆開発情報を報告してきたのは1943年。ほぼ同時期にレアンドロも米国の核爆発開発情報を伝えて来た。二人の報告書には両人の性格と得意分野の知識が遺憾なく発揮されていた。
 獣医経験のあるロヘリオは、核兵器が地球上のあらゆる生物の生命を失わせる恐怖の爆弾であり、もしもこれを爆発させた場合にはとてつもない連鎖的殺人行為が続く可能性がある、と報告してきた。ロヘリオは研究所に出入りするメキシコ人従業員を抱えこんで、研究所内部を探っていた。ロス・アラモス付近の実験研究所の通路が3カ所あることや、正確な人口の位置などを詳しく知らせてきた。更にシカゴ周辺にも同様の研究所があり、そこもあわせて内偵中である事等も次々に報告して、次の指示を仰いできた。
 鉱物学に強いレアンドロは、科学的知識の点でロヘリオの比ではなかった。曰く、この新兵器は核分裂による破壊効果を活用した爆弾で、その原理は物理学者フェルミが発明した原理を基本にするものだ等という事をるる述べていた。二人の報告書の共通点は、開発研究学者間の諍いの多さと熱意のなさについて強調している点だった。ある学者は危険が伴う実験日には、理由を見つけ出しては危険な実験現場に近寄らない事や、ある学者は全く自己本位の研究に精を出す等、研究所内の士気と統率のなさなどを報告してきた。研究開発総責任者のオッペンハイマー博士でさえ、核分裂の試験日には外出理由を捜してはハイキングに出かけてしまう始末だとする報告文もあった。研究所内の全員が核爆発の効果や範囲に対しては全く5里霧中の中で開発実験を進めている事や、軍部との折り合いが悪い事なども報告文に記されていた。

 米国の原爆開発情報は、ベラスコに誇りと苛立ちとを同時に味わわせた。それはTOがアプヴェールやSS情報部を出し抜いて米国の原爆開発情報を入手したという名誉と、その逆にベラスコ自身に物理学の素養が欠如している為に生じた情報分析の難しさへの苛立ちだった。須磨公使からの指示の遅れも苛立ちを倍加させた。二つの理由があった。一つは、敵の新兵器の詳細を見失う事への焦り、もう一つは、TOの組織拡大機会の損失への懸念、つまり巨額な活動資金の受給機会を失うことへの不安だった。
 原爆情報は、活動資金の増額をもたらす超一級の情報。なのにこの情報が日本の戦争指導者等の問題意識にさほどの影響をもたらさなかった場合、TOはその後どう対応すればよいのか。米国にいる部下の両人の士気が崩れはしまいか。ベラスコにとって日本政府の態度表明は、TOの存亡を賭けた死活問題に等しかった。
 情報入手の為にロヘリオとレアンドロは相当額の情報量を現地細胞や情報提供者に配っていた。1回に数万ドル、時には數十万ドルを車毎相手に渡した時もあった。領収書のもらえないそれらの現金は、メキシコ国境の町メヒカリ経由で米国西海岸に持ち込まれていた。その資金増が見込める格好の材料が、原爆開発情報と太平洋上の海戦情報であった。原爆開発研究所付近にある教会の牧師にバラまくカネが途切れば、それだけでも相当なダメージを被る。ベラスコはカネの切れ目が縁の切れ目になる情報世界を熟知していた。それでも尚原爆情報入手について、須磨公使の日本政府はさほどの積極性を見せなかった為に、ロヘリオとレアンドロの情報収集活動の歩みは自然に緩んだ。歩みが鈍くなった(トーンダウンした)情報活動がベラスコを一層苛立たせた。
 そして更に、そのイライラに追い打ちをかける二つの問題が起きた。一つは、独逸国防軍情報部(アプヴェール)とSS情報部による米国の原爆開発の収集情報がなぜかベラスコに伝わらなくなった問題だった。ベラスコが報告する米国からの情報は無視されおざなりにされはじめたのだ。なぜアプヴェールとSS情報本部は米国の原爆開発情報をさほど重視しなくなったのか。猪突猛進型で血気盛んに原爆情報収集に取り組んでいたベラスコには解せない味方の変心だった。
 もう一つの問題は、ロヘリオとレアンドロが何と日本人スパイから監視されていると伝えて来た事だった。ロヘリオは味方に見張られる不快感と怒りをベラスコに訴え、スパイを辞めてスペインに戻るとまで言ってきた。ベラスコは須磨公使に調査方を依頼し、公使は東京の参謀本部に問いただすと約束した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 東京参謀本部からの返答に依れば、米国内のロヘリオとアンドロを監視していたのは、山本五十六がワシントンに軍縮交渉に出向いた際に同伴した海軍武官の一部だという説明だった。しかし実際は、その通りでもあったが、全く別の米国OSSの端末細胞の日系人スパイにも監視されていたのである。
 後述するが、山本五十六海軍大将その人自身が「謎」の人物だった事がベラスコの態度から明らかになる。
 ところで、ロヘリオとレアンドロを監視していた日系人は、ロサンゼルス近郊のパサデナ市で表向き洗濯屋を営みながら米国側のスパイとして働いていた男だったことも分かる。その男は其の後TOの敵として日本政府の手で「処分」された。
 ロヘリオとレアンドロが、米国側の監視対象者として監視されていたという理由が見えてくる。TO派遣の二人が詳細な原爆開発情報を送れば送るほど、二人を隠していた秘密のベールは剥ぎ取られ裸にされていくからだ。そしてロヘリオはラスベガスの路上で何者かに射殺され、その事件は地元新聞に載ることさえなく終わる。
 

○ナチス原爆は完成していた

 アブヴェールやSS情報部を出し抜いて米国の原爆開発情報を最初にとらえたTOの実績が、ベルリンのカナリスやシューレンベルグに信頼感を与えたのはいうまでもない。ところが意外な事に、彼等はベラスコに寄せる信頼感を通して、逆にナチス原爆の開発機密の所在をベラスコに感づかせ、その邪心までを悟られてしまう事になる。邪心とは、彼等ナチス情報高官が実は敵の連合軍の作戦に秘かに加担している事だ。むろんその邪心はベラスコの洞察力が探り当てた疑義であって、決して証拠を見せられたわけではない。しかし彼等の米国原爆開発に対する奇妙な無関心ぶりは、何となくベラスコに異様さを覚えさせるに充分だった。ベラスコは、そこに一抹の疑念を感じ始めたから、よけいに洞察力を働かせた。彼等の態度はいわばナチスの情報収集能力を試すOSS(米国戦略情報局)の代理人そのものであった。
 それにしてもTOの米国原爆の開発情報入手には幸運もあった。太平洋艦隊の動向を探る為にあらかじめ米国西海岸の軍港にTO工作員を配置していたこと、その軍港と地理的に近い場所に原爆開発実験場が設置されていたこと、それらの所在地域がスペイン語圏メキシコに隣接しており、スペイン人スパイの活動を容易にした事など、情報入手環境が偶然に整っていた幸運からだ。
 ロヘリオ青年は失ったが、ベラスコに忠誠を誓った後任のモリネール青年は更に詳しい原爆開発情報を次々と送ってきた。研究所内部の人間模様や外部実権場に設置された核爆発実験用鉄塔小路の様子や者や内部の使用目的までを逐次報告してきた。須磨公使からの積極的な原爆情報依頼もなく、ましてやる気を失った様な独逸情報本部(アプウェールとSS)の無反応ぶりにもかかわらず、負けん気のベラスコは二人の部下を励ましてせっせと原爆開発情報をベルリンに送り続けた。その徒労とも思えるベラスコの努力がカナリスとシューレンベルグを注目させたのだった。
 ベラスコの米国原爆開発情報収集実績が、逆にナチス原爆の開発情報をベラスコにもたらしていく。アプヴェール長官カナリスとSS情報部長官シューレンベルグは個別にだがベラスコに対して、実はナチス陣営も原爆を研究開発しており、その完成も間近で最高機密扱いになっていると念を押して、ベラスコにナチス原爆の秘密を直接洩らしはじめる事になる。
 ベラスコが米国の原爆開発の過程を克明に提供するにつれて、独逸の二大情報機関のトップがナチス原爆の製造過程と完成機密をベラスコに耳打ちするその腹の奥底に、ヒトラー打倒の意図が見え隠れしている事にベラスコは完全に気付かされる。彼等は米国原爆の進捗ぶりに表向き無関心を装いつつ、実際はベラスコのTOがどこまで開発詳細を入手しているか、そこに特別な関心を寄せて必死だった。二人の口振りを聞いている内に、ベラスコの脳裏にロヘリオが消された理由が彷彿と浮かんできた。
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 後日其の事実をベラスコに問いただしたが、ロヘリオを誰が殺害させたのか、或いは誰がナチス原爆開発情報をベラスコに教えたのか、そんな事はもうどうでもよいことだとウソぶいた。此の戦争を支配し、情報機関を操った人々の存在を知ってしまえば、ナチスの原爆開発事情や二人の裏切り者の事等、些末な事柄に過ぎないと云う事らしい。いかにも強気のベラスコらしい詭弁だった。スペインの僻地にある寒村の豆粒ほどの教会の地下室で生まれた少年ベラスコも、第2次大戦の末期には、世界覇権を競う大国のパワーゲームの舞台裏をほぼ完全に掌握する大物スパイにのし上がっていた(戦っている敵は、国際ユダヤ銀行家達を指している。ユダヤ系スペイン人のベラスコの考えは、第1点は、いわゆるユダヤの議定書(プロトコール)は、1888年にバレンシアで開催されたシオン賢人らの秘密会議で纏められた秘密議定書だ。議定書の内容はスパイした人物は優れた仕事をしたものだ。外部に漏れた会議録は、ロシアのセルゲイ・ニールの手でペテルスブルグで1902年に出版された。同年に同じくペテルスブルグで、そのニールスの出版物が今度は『われらが諸悪の根源』と題されて出版された。その現物は英国博物館が保存している。整理番号3269号で、購入年月日は1906年だ。当時、ユダヤ人らはこの教典の真相を否定したが、後年には数名ラビ僧の忠告で、教典が指示している目的については、否定せずに沈黙する事になった。プロトコールこそがユダヤ主義の権力の根源なのだ。ユダヤ教の教典タルムードには、陰謀のすすめが含まれているが、この教典と議定書の存在を知らないユダヤ人が当時は8割もいた(此のユダヤ人を迫害する事を快感を覚えたのが悪魔ダビデなのです)。世俗的な註釈本を通して人々は理解したつもりだったようだが、実際にはよく分かっていない。第2点は、ユダヤ民族がソロモン帝国樹立の具体化作業に入ったのは1838年。スイス(国際ユダヤ資本家の隠れ政策国)のバーゼルで開催されたカハル(GRAN KAHALユダヤ賢人会最高会議)の場で決定された。しかし事業の具体的日程は見送られた。この会議でテオドール・ヘルツル博士らの支援で、アルゼンチンをイスラエル建国の地と決定した。国家樹立事業名称を「天井に舞うオーロラ」としたのが、其の後に帝国の本拠地が変更された。ヘブライ国家をアルゼンチンからイスラエルに変更したのだ。其の後更に、国家名を地中海帝国と呼ぶことに決めた。この名称は1961年まで秘密にされたが、同年にニューヨークのホテル・ヒルトンで開催された賢人会で、「帝国」の呼称を「政府」に改称する事が決まった。改称理由は、マスコミに「帝国」を非難宣伝された為だった。そのあと「地中海連邦政府」の名称が世界に紹介された。西暦2千年には、その名前が正式に世界に発表されるだろう。実験的なこの連邦政府の拠点は3カ所。エルサレム、トレド(スペイン)、バリローチェ(チリ)だ。繰り返すが、ユダヤ民族は19世紀末に自前の国家が完成する確証を得ていた。4000年の労苦を最後の場面でフイにしない為に、完璧な独立つまり非ユダヤ人、反ユダヤからのどんな策略や干渉も徹底排除出来る万全の体制をしいた。事実上の世界支配を果たしておけば、その構えは完璧だ。ユダヤ民族は、世界支配を第1次と2次の戦争を手段として達成した。二度の戦争で、戦争当事国の富をユダヤ資本家に移動させて(非ユダヤ人の富を回収して)完全な世界支配を確実にした。世間でいう「戦争」が、これだ。が、ユダヤ教が解釈する戦争は、国家樹立の為の事業でしかない。あの戦争の当事国にとっては(日本を含む)、第2次大戦の終結は戦いの終わりだろうが、その戦争を支配したユダヤ民族にとっては、目的達成過程(悪魔イスラエル王国完成)の一瞬にすぎない。従って、ユダヤ世界連邦政府樹立の必要に応じた戦争は、いつはじまっても不思議ではない。今や世界諸国は戦争を起こす自由も権限も失っている。戦争が一部の国際ユダヤ資本家と指導者等によってキャスティング・ボートを握られている以上は、そうなってしまうほかはないのだ。第3点は世界連邦政府(GOBIERNO UNIVERSAL)の民族主義者等の一種の教育マニュアルの点である。(世界連邦政府による)第3次大戦(沈黙の武器で実行)は遂行されている。これは第2次大戦が終わる以前から始まっている。戦争遂行は矛盾する諸策を含みつつ遂行されているが、それらはユダヤ民族の一つの頭脳から出ている事に変わりはない。この40年間、政治的失敗と同数の戦略的修正も重ねて今日に至る。完璧な政策や戦略は存在しない。現在進行中の第3次大戦がどの様に準備されてきたかを知る前に、まず明確にして置くべき事がある。進行中の第3次大戦は世間の日常用語で言う「戦争」ではない。ユダヤ民族の頭脳がそれをもって全世界を統治しようとするエレクトロ・ポリティック・システム(電脳政治体制)に到達する為の一連の理論をいう。西暦2007年迄続くとみなされるこの戦争は、特定の国や地域を相手にしたものではない。歳月が地球人類に残した文明の破壊が戦争目標だー戦術は変化している。1940年代後半は核の脅威で人類を無差別に屈伏させたが、現在は無用だ。新たな有害要素(ディスコ、騒音、光線、ドラッグ(麻薬等)、セックスとその感情の乱れなど)が核と交替した。既存の物質や人間の精神破壊においては、これらが核を凌ぐようになっているのは日常で見るとおりだ。広範な戦争プロジェクトが含む数々の頭脳的かつ犯罪的な思考の結合結果を個々に問うのは容易ではない。膨大な努力を要求される反面では矛盾した結果も数多い。普通の人間(人類の95%は普通の人間)には知る由もないのだが、政治家やジャーナリスト、金融関係筋などの小才のきく者が食らいつくように準備された死肉には注意が肝要。良心的な歴史がそれらの積み重ねでつくられてしまうからだ(要するに感ずかれないようにしろ。良心的な歴史構築を潰す目的か)ープロジェクトの全貌はCIAやモサド、それに他国の政府や情報機関も知り得ない。計画はいずれもイラン、イラク、アフガニスタン、レバノン、ユーゴスラビアなどの地域限定戦争の中で既に実行されている。これらの地域は将来の体制維持に備え、人類という名の昔ながらの「兵器」を試験使用中の現場だ。この「人間兵器」は、作戦を指揮、敵の思考と記憶を消滅させるなど、精神的能力をもっている。ー古典的な戦争は完全に放棄されていない。しかし現在の主流は、例えば植物体系の中から材木になる木を排除し、果樹そして庭の植物までもバクテリアやビールスを植え付けて萎えさせ、最後は枯れさせてしまうという細菌遺伝学による広範な風土病という手段を用いた生態系戦争にも突入しつつある(今、現在は、電磁波による攻撃が主流になっている。それはスカラー波だ。テスラ系列の科学武器も真剣に考える必要がある)。これらの出来事は既に世界中で試されているが、決していいかげんなものではない。誰かが薄々気付いたり、大騒ぎして抗議する事などないよう、周到に準備し実行されている。という3つの点を考えている!忍)。
 ユダヤ民族が冷戦の計画を建てた根拠。イスラエル首相デーヴィッド・ベングリオン[1886?1973、初代首相(1948?53、55?63)]による1962年の次の警鐘以上のものはないだろう。

 「これが私の想像による1987年の世界のイメージである。冷戦は過去のものとなる。
 更なる自由を求めて絶え間なく成長し続けるロシアの知識人による国内の圧力、加えて
 生活水準の向上を求める大衆の圧力が、ソ連を次第に民主化してゆくかもしれない。
  他方、労働者と農民の増大する影響力と科学関係者の高まりゆく政治的重要性が、ア
 メリカを計画経済を標榜する福祉国家へと変容させるかもしれない。東西ヨーロッパは
 自治権をもった国家連邦となり、社会民主主義体制を採用する。連邦ユーラシア国家と
 してのソ連を除いて、他の全ての国々は世界連合に統合され、国際警察軍を持つように
 なる。全ての軍隊は完全に解体され、戦争はなくなる。エルサレムでは、イザヤが予言し
 たように、国連が全大陸の連合国家に仕える予言者の為の神殿を建立するだろう(ユダ
 ヤ教から来ている。しかし、ユダヤの本家は日本である。そして、メーソンが戦略した
 悪については沈黙している。これは悪魔ダビデが人を誘う甘言である!忍)。全世界の
 人々は高等教育を受ける権利を持つようになる。妊娠を予防するピルが中国とインドの
 爆発的な人口の自然増加を抑制する事になろう」!忍)
 

 英国国会と軍部の奥深くに高度な情報源を確保した。そのチャンネルの安全保障を英国の盟友フィルビーに託した。ベラスコをスペイン内戦以前からスパイとして育ててくれた独逸国防軍情報部長官カナリスの開戦以来の利敵行為もシューレンベルグの「寝返り」もつかんだ。戦時であるにも関わらず、ナチスの敗戦を見込んで敵側OSSのアレン・ダレスと手を組み、ヒトラー(と個人的にはカナリス長官)の打倒にまわったSS情報部長官シューレンベルグの寝返りには驚いた。しかしベラスコはそ知らぬフリを続けて、カナリスとシューレンベルグからの米国OSSの動向を観察した。
 連合軍、枢軸軍の両軍が手出しする以前に、日本政府(須磨公使)から得たTO情報活動資金を流用してスペイン・ポルトガル語文化圏内(メキシコ、中南米)の諸地域に、いわば第3世界の情報網を拡充強化していった。
 更に枢軸国伊太利のムッソリーニの娘婿チアーノ外相の裏切り(OSSのダレスから大金をもらい受けて連合軍の伊太利上陸作戦を手助けした)もバチカンにも枢軸国側にも通報せず、その沈黙を活用してバチカン情報部との間に「信頼関係」を作り出す事にも成功した。
 実力者ベラスコはナチス・独逸の戦争遂行指導者等とフィルビーからリクルート争いをされたものの、結局はフィルビーのモスクワ(スターリン)ではなくベルリン(ヒトラー)を選ぶ。フィルビーはベラスコを英国に「招待」する機会を失ったが、Dデイは成功させた。 
 
 ベラスコはフィルビーに共感を抱いており、スペイン市民戦争でフィルビーとは肝胆相照らす仲になっていたに違いない。だが、その同志関係を一切伏せたままフランコの陰謀、つまり日本政府須磨公使を騙すスパイ活動に加担したいた。だからベラスコには、須磨に対する良心の呵責と敗戦国側のスパイになった屈辱とが輻輳した複雑な心境であり続けたに違いない。その思いがベラスコは須磨公使の人格と出会いの感動だけを語り続けたのであろう。
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 須磨公使を陰謀に巻き込み、スペインと英国を騙していた陰謀の黒幕は、フィルビーを使ったソビエト・ロシアのスターリン、いや、ベラスコだったのだ!ベラスコはフィルビーが英ソの二重スパイで、しかもフランコとも気脈を通じ合っているのを知りながら、TO情報機関の対日契約をそ知らぬ顔で実行していたのである。
 ベラスコの陰謀の根底にあったのは、単にフィルビーに寄せる心情だけではなかったろう。英米の動向はフィルビーの利益になる。ドイツのスパイでもあるベラスコには、フィルビーからスターリンの動向もチャーチルの作戦も入手出来る。一石二鳥のギブ・アンド・テイクだ。
 ベラスコは50年前の「裏切り」を認めた。
 

○必然と偶然

 高橋五郎は仮説のトリックを詫びた。だがベラスコは私の騙し打ちを非難しなかった。私はいささか拍子抜けしたが、ベラスコが叱責しなかったのには理由があった。
 ベラスコは、もっと大仕掛けの陰謀ゲームの渦中にいたのである。そのベラスコの世界から見れば、50年前に須磨公使を操ったフランコの陰謀や、フィルビーに英国側を密偵させたスターリンの欺瞞、それに、私の振る舞いなどは、まるで取るに足らない陰謀だったようだ(ユダヤ戦略の問題、ベラスコ氏の本には、書いていないが、そのユダヤ戦略を含めて異星人悪魔ダビデの地球乗っ取り戦略の問題もある!忍)。

 仮説の一件は、ベラスコが住む世界の一端を引き出す結果になった。ベラスコはソファーに深く腰を沈めて「昔話」を語りはじめた。
「そうだ、子供のスパイごっこだった」
 ベラスコは、日本の須磨公使を含むスペイン首相フランコ、英国首相チャーチル、米国大統領ルーズヴェルトらの諜報戦を、ソ連首相スターリンの手の平の「子供の遊び」に例えた。
 スターリンだけが第二次世界大戦参戦諸国の裏の裏を知り尽くしていたようだ。ゾルゲ事件(大東亜戦争開始前、日本政府の機密や日本の国内情勢、駐日独逸大使館の秘密などをソ連に通報した為に、昭和16年10月にリヒャルト・ゾルゲ、尾崎秀美らが処刑された事件)でゾルゲと尾崎が入手したとされる日本軍の南進情報も、実はスターリンは事前にフィルビー情報網から入手していた。ゾルゲをソ連国内でスパイの英雄として祭り上げたのは、フィルビーの正体を西側から隠す必要があった為だった。ソ連の「フィルビー隠し」を戦後になっても知らずにいたのは、ソ連国民と連合国、そして日本だった(それは、ウソ。一部の連合国の上位は、既に知っていた。ソ連という国は、共産主義の実験場だったから。英国は知っていながら使っていた!忍)。とすれば、マジック(日本側のエニグマ暗号機による無線暗号通信文を解読して得た情報の秘匿名称)と呼ばれた秘密暗号文などは、単なる通信手段に過ぎなかった事になる。

 雑誌などで見かけるモスクワのフィルビーの書斎には、レーニンの肖像を入れた写真立てがテーブルに置いて在る。ベラスコの書斎にレーニンの肖像写真はないが、その雰囲気はあたかもモスクワのフィルビーの書斎に似ていて、私は時々フィルビーに語りかけられているような機がした。ベラスコとフィルビーは、まるで一卵性双生児。彼等の育ちは対照的だったが、他の点で違いを捜すのは困難に思えた。思想・信条に絶対の忠誠を誓う意識、世界の眺め方、可愛くてひたむきな女性を好む趣味、砲弾が飛び交う戦争の裏面で敵を欺く才覚・・・、二人は同一人物といっても過言ではなさそうだった。

 フィルビーのソ連に対する貢献度は、はかり知れなかったらしいが、その活躍ぶりは、あまり世間には知られていない。超大物スパイたる所以かもしれない。
 スペイン市民戦争、ヒトラーの開戦、真珠湾攻撃、ソ連侵攻、ベルリン占領、原爆投下、マッカーサーの日本占領、朝鮮戦争、イランのパーレビ国王復帰クーデター、スカルノ失脚工作、U2スパイ機撃墜事件・・・それらの舞台裏は、つい最近までベラスコ=フィルビー・ネットワークを通してソ連に筒抜けだった。フィルビーはそんな舞台裏の主役だった。

 フィルビーは、学生時代の1933年から熱烈なレーニン主義信某者で筋金入りのソビエト・ロシアのスパイ。米国中央情報局(CIA)は、フィルビーの正体を1960年代初頭には薄々感づいていたといわれるが、フィルビーは1963年頃にモスクワに逃げてしまった。逃げたというよりも、CIAが逃したというほうが、ベラスコのいう「良心的な歴史観」に沿っているかもしれない。 
 フィルビーがモスクワに逃げて、西側は大打撃を受けた。フィルビーは戦前・戦後を通して英国情報網の組織強化に情熱を燃やし、米国戦略情報局(OSS)をCIAに改組強化するうえで力を貸し、両機関のソ連対策にまで智恵を授けてきた人物だったからだ。(此の考えは、180度逆でソ連の国は、フリーメーソンとイルミナティの戦略で出来た国で、只、スターリンがフリーメーソンの言葉を従わなくなったからスパイ合戦になったのである。しかし、第2次世界大戦の時は、これら全て連合国に繋がっていた。マルクス共産主義はイギリス国で出来て独逸に伝えた事を忘れている。)

 ところで、フィルビーの正体をCIAが見破った事で、皮肉にも西側戦勝国の歴史や政治史の信憑性が疑われる事になる。歴史学者はパニックに陥った。それまで戦勝国の公表してきた第二次大戦史と、それにそって再生産された秘密諜報活動史、軍事作戦史をはじめとして、それらに準拠したスパイ小説、戦争指導者達の得意げな、或いは控え目な回顧録、映画、新聞、雑誌記事、テレビ番組など、特に1960年代前半までに公開された「史実」は書き換えを余儀なくされた。しかし一度知った「歴史」を世間の人々は面倒がって書き直さない。それをよいことに戦勝国は、スクープされない限りは、未だに歴史の修正に無関心を装っている。
 「アウシュヴィッツの大虐殺は、ためにする伝説だ。いつまで作り話を楽しんでいるのだ!」
 ナチ「ガス室」はなかった に参考
[参考]
 戦前、ドイツ国内のユダヤ人口は30万人。その内の推定「600万人」のユダヤ人が殺されたとする「アウシュヴィッツ物語」の背後には、きっちりとした経済的理由があった。そこに語られている「600万人分」の殺人の代償として、イスラエル国家は独逸国民に年間8億ドルを10年間、報奨金として賦課した。蛇足だが、第2次大戦中、イスラエルは未だ独立国家ではなかった。
 世界連邦政府は、2000年の経験から、ユダヤ民族の団結が「離散」という名の教義に根ざすものだと心得ている。そしてナチスによる「600万人ユダヤ人殺害」という「発明」が、ユダヤ主義によってつくられた幾つかの政府を通じて、ほぼ全世界を支配する事を可能にした以上、ロシアでの次の戦争でなされる筈の偽の「ユダヤ人大量殺戮」を、総ての非ユダヤ人とロシア人を支配し奴隷にする為の大義名分にするだろうと予測されている。