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ずに入ったというのだろうか? そして、
「タバコを吸いながら」という描写はどうだ
ろうか? 青酸ガス(シアン化水素)は、水
素化合物、即ち爆発性の気体なのだ。
 さらに言えば、「ガス室」のシャワーから
青酸ガスが噴霧されたというよく知られた話
も全く馬鹿げている。
 青酸ガスは、空気より軽いのである。その
青酸ガス(シアン化水素)をガス室の屋根の
穴から缶ごと投下し、シャワーを経由してそ
の下にいるユダヤ人達を殺したという話が、
広く信じられているが、空気より軽い青酸ガ
スが、「ガス室」の天井からその下のユダヤ
人達へと、上から下へ拡散するだろうか?
 もう一つ、読者を驚かせることを言おう。
 ヒトラーは、「ユダヤ人絶滅」など、一度
も命令していなかったのである。

プロパガンダとして流布
された「ガス室」の話が、検証
されぬまま「歴史」に転化した
のが「ホロコースト」

 連合軍は、戦後ドイツで大量のドイツ政府
公文書を押収した。それによって、戦争中ド
イツ政府が何を検討し、何を命令していたか
が明らかになるからだが、その押収されたド
イツ公文書の量は、アメリカ軍が押収したも
のだけでも千百トンに及んでいる。
 ところが、戦後、連合軍が押収したそれら
のドイツ政府公文書の中に、ヒトラーもしく
は他のドイツ指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定、
命令した文書は一枚もなかったのである。実
際、連合国は、ニュールンベルク裁判において、
ドイツの指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定、命
令した証拠となる文書を提出していない。
 これに対しては、「ナチが証拠を隠滅した
から文書が残らなかったのだ」とか、「ユダヤ
人絶滅計画は極秘事項だったので、命令は全
て口頭でなされたのだ」とかいう反論が予想
されるが、そうした主張は、あくまでも「仮
説」でしかない。事実としてそのような文書
は、今日まで一枚も発見されていない。
 もし証拠となる命令文書はあったが隠滅さ
れたとか、命令が口頭でなされたとか主張す
るなら、その証拠を提示するべきである。実際、
アメリカにはこのような主張をする人々がお
り、それなりの「証言」や談話の記録、会議録、
手紙などを引用する人すらいるが、結論から
言うと、彼らが引用するそれらのものは、全く
と、全くそんな文書ではないのである。
 それどころか、ドイツ政府が計画した「ユ
ダヤ人問題の最終的解決」なるものの内容が、
実はユダヤ人の「絶滅」等ではなく、ユダヤ
人の強制移住であったことを明快に示す文書
が、押収されたドイツの公文書の中に多数発
見されている。
 それらの文書は、ポーランドに作られたア
ウシュヴィッツ収容所等へのユダヤ人移送が、
ドイツ政府にとっては「一時的措置」でしか
なかったことを明快に述べている。そればか
 くどいようだが、私は、強制移住ならよい
などと言っているのではない。私は、このよ
うなナチスの差別的政策を支持、正当化する
つもりは毛頭ない。私が問題にしていること
は、「歴史家」や「ジャーナリスト」たちが戦
後語り続けてきた「歴史」が、余りにも事実
と懸け離れたものだったということなのであ
る。彼らは、誰かがそれを指摘することを
「ナチスの弁護」というのだろうか。
 アウシュヴィッツに収容された一人にマリ
ア・ファンヘルヴァーデン(Maria Vanher-
waarden)という女性がいる。全く無名の人
ではあるが、この人が一九八八年の三月に、
カナダのトロントで述べた証言は極めて興味
深いものである。
 彼女は、一九四二年にアウシュヴィッツ及
びそこに隣接するビルケナウ強制収容所に収
容されたのであるが、列車で移送される途中、
同乗したジプシーの女性から、アウシュヴィ
ッツに着いたら、彼女たちは皆「ガス室」に
よって殺されてしまうのだという話を聞かさ
れた。当然、彼女は、ジプシーが語ったその
話に恐怖を抱いた。
 興味深いのは、その後である。彼女の証言
によると、アウシュヴィッツに到着すると、
彼女たちは服を脱ぐよう命令された。そし
て、窓のないコンクリートの部屋に入れられ、
シャワーを浴びるよう言われたという。ここ
で、彼女たちの恐怖は頂点に達した。列車の
中でジプシーの女性から「ガス室」で殺され
るという話を聞かされていたからである。と
ころが、彼女の頭上のシャワーから出てきた
ものは、「ガス」ではなく、水だったのである。
 読者は、この証言をどう思うであろうか?
このような証言は、他にもいろいろあるのだ
が、戦後半世紀もの間、何故か、こういう証
言は「ガス室」が存在したと主張する人々に
よって徹底的に無視されてきたのである。証
上は「ガス室」とされる部屋だが、内部のどこにも青酸の沈着を示す青いシミは見られない。下は隣にある死体焼却室。爆発性の強い青酸ガスの充満した部屋の横で火を使うのは危険が大きく、本当ならあまりに不合理な設計だ。
「証拠」になるようなものではない。
 具体的には、ニュールンベルク裁判におけ
るハンス・レマースの証言、ハインリヒ・ヒ
ムラーが一九四三年十月四日に行なったとさ
れる談話の筆記録、ヴァンゼー会議という会
議の記録、ゲーリングが一九四一年七月三十
一日に書いた手紙、ベッカーという軍人のサ
インがあるソ連発表の手紙等々であるが、こ
れらの文書は、しばしばそれらの反論者たち
によって「ユダヤ人絶滅を命令、記録したド
イツ文書」として引用されるものの、よく読む
りか、当時のドイツ指導部が、その「一時的
措置」の後には、収容したユダヤ人達を「東
方地域」に移送する計画であったことをはっ
きりと述べてもいるのである。
 これは、アウシュヴィッツをはじめとする
収容所の建設目的が、これまで言われてきた
ような「ユダヤ民族の絶滅」ではなく、「東
方地域への移送」であったことの動かぬ証拠
である。これこそが、ナチスドイツが計画し
た「ユダヤ人問題の最終的解決」という用語
の本当の意味だったのである。

 

 

言は、証言でしかない。しかし、一つの事柄
について対立する証言がある時、物証も検証
せずに、一方の「証言」だけを取り上げ、他
方を検討すらしないというやり方が、正当な
ものといえるであろうか?
 このファンヘルヴァーデンという女性の証
言で興味深いことは、彼女の証言に出てくる
ジプシーの女性が、何処で「ガス室」の噂を
聞いたかという問題である。それを確かめる
方法はないが、それに関連して、アメリカの
歴史家マーク・ウェーバーは、戦争中、連合
軍が、ラジオやビラによってドイツ占領下の
ヨーロッパに対してこの「ガス室」の噂を意
図的に流布させていたことを『アウシュビッ
ツ神話と真実』の中で指摘している。
 すなわち、戦争中の心理作戦としてのプロ
パガンダの一つに、この「ガス室」の話が織
り込まれていたのである。そのようにして流
布された戦争中の「ガス室」の話が、戦後検
証されぬまま「歴史」に転化してしまったの
が「ホロコースト」に他ならない。
 アウシュヴィッツをはじめとする強制収容
所で戦争末期にチフスが発生し、多くの死者
を出したことは、明白な事実である。このこ
とについては「ホロコースト」があったとする
人々も異論を唱えてはいない。
 ナチスが建設したユダヤ人収容所で衛生業
務に当たったドイツ軍軍医による記録、ドイ
ツ西部で解放直後の強制収容所の衛生状態を
観察したアメリカ、イギリスの医師たちによ
る報告などは、一致して、戦争末期から戦争
直後にかけての強制収容所でのチフスの発生
のひどさを詳細に記録しており、このことに
ついては論争の余地はないものと思われる
(J・E・ゴードンなど)。
 問題は、ドイツがそのような状況にどのよ
うに対応したかであるが、ドイツ軍当局は、
ユダヤ人を戦時下の労働力として温存したか
ったのであり、意図的に衛生状態を悪化させ
たと考えさせる証拠は見つからない。
 例えば、ドイツ政府の中でユダヤ人問題を
総括する立場にあったハインリヒ・ヒムラー
は、チフス等の病気によるユダヤ人の死亡が
多いことに神経をとがらせ、収容所の管理者
たちに対し、もっと死亡率を低下させよとい
う命令を出してすらいる。例えば、一九四二
年十二月二十八日の日付けで強制収容所の統
括司令部がアウシュヴィッツ収容所に送った
命令書には、こう書かれている。
「収容所の医師達は、これまで以上に被収容
者の栄養状態を観察し、関係者と連携して改
 しかし、こうした生の資料(一次資料)か
ら気付くことは、ナチスの政策自体は非道で
あったにせよ、我々が『シンドラーのリス
ト』などから与えられてきた強制収容所のイ
メージは、歴史的事実とは懸け離れたものだ
ということである。一例を挙げるなら、『シ
ンドラーのリスト』の中で、ゲートという収
容所の司令官が、朝、ベランダから面白半分
にユダヤ人を銃で撃ち殺すショッキングな場
面があるが、これは絶対にウソである。
 何故なら、当時の強制収容所では、確かに
ユダヤ人等の被収容者が体罰を加えられるこ
とはあったが、それには事前に書類を提出し
のは不当であったにせよ、そのドイツにおい
て、ユダヤ人などを虐待したという理由で死
刑に処せられたドイツ人がいたのである。
「ユダヤ民族の絶滅」がドイツの目標であっ
たなら、何故そんな厳罰に処する必要があっ
たのだろうか?
 ナチスドイツがユダヤ系市民に対して行な
った様々な差別政策や弾圧は、民主主義の原
則に対する明白な挑戦であり、その最終局面
としての強制移住計画は、私自身を含めて、
誰もが不当と言わざるを得ないものである。
 しかし、だからといって、ドイツがやって
いないことまでやったと強弁することは間違
っているし、そのことで、戦後生まれの若い
ドイツ人が罪人扱いされることも、こうした
事実を検証しようとする言論を政府が抑圧す
ることも明らかに間違ったことである。
 詳しく述べることが出来なかったが、六百
万人という犠牲者数にも全く根拠がない。そ
もそも、ドイツが最も占領地域を広げた時で
すら、そこにいたユダヤ人の数は、四百万人
もいなかったという指摘もある。
 最後に、一言言っておきたい。
 アウシュヴィッツをはじめとする強制収容
所で生命を落としたユダヤ人達の運命は、悲
惨である。彼らは、その意志に反して各地の
収容所に移送され、戦争末期の混乱の中でチ
フス等の疾病によって生命を落としていった。
その運命の悲惨さは、日本軍によって苦しめ
られた中国の民衆や、原爆の犠牲者と同様、
現代に生きる我々が、忘れることを許されな
い今世紀最大の悲劇の一つである。現代の世
界に生きる我々は、それを忘れる権利を持た
ない。しかし、そうであるからこそ、真実は
明らかにされなければならないし、虚構を語
ることは許されないのである。
 この記事をアウシュヴィッツその他の地で
露と消えたユダヤ人の霊前に捧げたい。

善策を収容所司令官に提出しなければならな
い」
 これは、ヒムラー自身の言葉ではないが、
この命令書はヒムラーの次のような言葉を引
用しているのだ。
「死亡率は、絶対に低下させなければならな
い」
 この命令は、言われているような「民族皆
殺し」と両立する命令であろうか?
 当時のドイツ指導部がこのような命令を出
したのは、ユダヤ人達が労働力として貴重だ
ったからだろう。それが別に「人道的理由」
で出されたものだとは思わない。
て許可を得ることが義務づけられていたから
である。その書類は、ベルリンにまで送らな
ければならなかったし、もし、この手続きを
無視すれば、そのドイツ兵は、軍紀違反で厳
罰に処せられたのである。
_このことは、戦後西ドイツで法務官吏を勤め
たヴィルヘルム・シュテークリッヒ(Wilhelm
Sta"glich)が自著 "AUSCHWITZ:A Jude
Looks at the Evidence"の中で述べている
し、アメリカの歴史家セオドア・オキーフェ
(Theodore O'keefe)なども述べている。中に
は、死刑に処せられたドイツ人すらいる。
 お分かりだろうか? ナチスの政策そのも


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