[pp.170-171|pp.172-173|pp.174-175|pp.176-177|pp.178-179|back]


れている。ちなみに、「ホロコースト」とい
う言葉は、前述した通り、いけにえの動物を
火にあぶるユダヤ教の儀式に由来するが、こ
の儀式名が「ナチスのユダヤ人大虐殺」を意
味するものとして使われだしたのは、このよ
うに戦後まもない時期には、「ナチスは、ユダ
ヤ人を生きたまま火に投げ込んで殺した」と
いう話が語られていたことに由来している。
 今日、アウシュヴィッツのユダヤ人が「ガ
ス室」ではなく、「火」に投げ込まれて殺され
た、と主張する歴史家はいないのだが……。
 このように、「ホロコースト」に関しては、
「間違い」とか「見間違い」では、到底説明
し得ない内容の書き換えがくりかえされてき
た。そして、もっと重要なことは、そのよう
ないい加減な「証言」だけに「ホロコース
ト」の内容が依拠していると言うことなので
ある。つまり、「ホロコースト」には、「証
言」以外に何も物証がないのである。
 そう言うと、読者は驚くかもしれない。
「アウシュヴィッツには、ガス室が展示され
ているじゃないか」とか、「あの靴の山は何
なんだ」「あの髪の毛は何なんだ」等々、読
者が当惑する顔が私には目に浮かぶ。私もそ
う思っていた。しかし、ああした「物証」は
何ら物証ではない。ただ、それらに付けられ
た「解説」だけが、それらの物品を「物証」
のように見せているのである。
 例えばここに靴の山があったとして、一体
その靴の山だけで、どうして靴の持ち主たち
が「ガス室」に入れられ、殺された、と証明
できるのだろうか? 髪の毛も同じである。
こんなたとえは不謹慎かもしれないが、私が、
靴や髪を沢山集めてテレビ局に赴き、「隣の
人が浴室をガス室に改造して、人を殺してい
た」と言ったら、テレビは私の言ったことを
ニュースとして報道するだろうか? ただし、
死体は何処にもないので、私は、「灰になる
まで焼却したのだ」と言う。
 これが、「ホロコースト」である。この話
と「ホロコースト」の違いは、靴の山や髪の
山を「発見した」と言ったのが私ではなくソ
連軍であったことだけである。仮りに私が靴
や髪を見せても、それだけでその持ち主が
「ガス室」の死者だったと鵜呑みにする人は
いないだろうが、同じことをソ連がポーラン
ドでやったら、世界中が信じたのである。何
故、信じたかと言えば、世界中のマスメディ
アが、それを伝えたからである。何故ソ連の
発表をアメリカをはじめとする世界のマスメ
ディアが何の検証もせずに報じてきたのかは、
実在しなければならないが、まず第一に、今
日のポーランド領内でその「ガス室」として
展示されているものがある場所は二カ所しか
ない。一つは、アウシュヴィッツであり、も
う一つはマイダネックという場所だ。あとの
「ガス室」は、「存在したが、戦争末期にドイ
ツが証拠隠滅の目的で破壊し、なくなった」
と説明されている。
「破壊され、なくなったガス室」がどうして
実在したといえるのかといえば、またしても
「証言」なのである。
「ガス室」の「実物」とされるものはアウシ
ュヴィッツとマイダネックにしかないのだが、
とに気付く。窓というより、窓を取付ける穴が
何処にも開けられていないのである。
 窓そのものは、処刑用ガス室にとって必要
とはいえないが、窓を取付ける穴が一つもな
いということは、換気扇を付ける場所がない
ということである。
 処刑用ガス室においては、一回処刑が終わ
るたびに換気をしなければならない。換気を
しなければ、次の犠牲者たちを「シャワー
だ」とだまして「ガス室」に入れることは出
来ないのだから、これはガス室にとって必要
欠くべからざる機能なのである。
 しかし、そのために必要な換気扇を付ける
場所が、アウシュヴィッツの「ガス室」には
ない。アウシュヴィッツの「ガス室」で使用
されたことになっている「毒ガス」は青酸ガ
スだが、青酸ガスの物理的性質の一つに、壁
や天井に吸着しやすいというやっかいな性質
があり、例えば倉庫などで青酸ガスによる殺
虫作業を行なった場合、自然の通風では、殺
虫作業後の換気に二十時間前後を要したとさ
れている。
 とすれば、アウシュヴィッツの「あの部
屋」が「ガス室」だった場合、換気扇がない
のだから、出入り口または天井の小穴(そこか
ら青酸ガスが投げ込まれたことになってい
る)から換気したとして、一日に一回しか
「ガス室」での処刑は行なえなかった筈であ
る(何という非効率的な「民族絶滅」だろう
か?)。
 その上、アウシュヴィッツの「ガス室」に
は、処刑用ガス室の設計において常に要求さ
れる高い機密性がなく、青酸ガスで内部を充
満させた場合、外部に青酸ガスが漏れるのは
必至であると、アメリカのガス室専門家ロイ
ヒターは指摘している(彼のレポート"THE
LEUCHTE REPORT" は一九八九年ロン
ドンで出版)。つまり、外にいるドイツ兵が

ここでは論じない。
 しかし、気が付いて欲しいことは、このよ
うに証拠能力のない「物証」も、マスメディ
アが伝えると、「物証」のように思われてし
まうということである。それが、「ホロコー
スト」を支えるものなのである。
 では、「ガス室」はどうかということになる
が、これも物証ではない。今日の「定説」によれ
ば、ナチスドイツは、自国ドイツ領内には「ガ
ス室」を作らなかったが、占領したポーランド
に「ガス室」を作り、六百万人のユダヤ人を計
画的に殺した、と説明されている。
 だから、「ガス室」の実物がポーランドに
実はそれら「ガス室」というコメント付きで
ポーランド当局が展示している部屋は、処刑
用ガス室に必要な構造、特徴を全く備えてい
ないのである。
 例えば、今日アウシュヴィッツに展示され
ているあの有名な「ガス室」は、半地下式の
「ガス室」で、すぐ隣に四つの焼却炉を持つ
「焼却室」が併設されている。というよりも、
そのような半地下室をポーランドの共産主義
政権が、戦後「ガス室」として展示してきたの
である。この部屋が仮りに説明されている通
り、殺人用ガス室だったと仮定してみよう。
すると、まず、この「ガス室」には窓がないこ

青酸中毒になってしまうのである。
 サイクロンBの成分であるシアン化水素自
体は確かに猛毒だが、使用に際し、長時間の
加熱を必要とする。つまり、長時間の加熱を
行なわなければ「毒ガス」それ自体が発生し
ないのだが、それは、サイクロンBが、もと
もとそのような方法で使用する殺虫剤だった
からに他ならない。ただ缶を開ければ、青酸ガ
スが発生するようなものではないのである。
 ここは、非常に重要な点なので分かりやす
く説明しよう。DDTを持たなかった第二次
世界大戦中のドイツ軍は、このサイクロンB
を殺虫剤として使用していたが、問題は、
「ホロコースト」があったと主張する人々が、
この殺虫剤サイクロンBが「ガス室」で使わ
れたと主張していることにある。つまり、彼
らは、ドイツが殺虫剤サイクロンBを大量殺
人用に転用し、アウシュヴィッツなどの「ガ
ス室」で使用したと、戦後一貫して主張し続
けているのである。
 これは、「ホロコースト」という物語の核
心部分であるが、実は、物理的、化学的、医
学的に不可能なことなのである。
 サイクロンBは、缶に入っている。「ホロ
コースト」を扱ったテレビドラマや映画では、
この缶をドイツ兵が開け、「ガス室」の屋根
に取付けられた穴から放り込むと、直ちに缶
の中から「毒ガス」が出て、ドイツ兵の足下
の地下式「ガス室」にいる人々が「毒ガス」
に悶え苦しみ、死んで行くという場面が描か
れているが、これは絶対にあり得ない。サイ
クロンBの缶の中身はシアン化水素(HC
N)、すなわち青酸ガスが吸着したチョークや
パルプのかけらなのである。青酸ガス(HC
N)を発生させるには、それらの(青酸ガスを
吸着した)チョークやパルプをヒーターで長
時間加熱しなければならないのだ。これを燻
蒸という。

戦後、連合軍が押収した
ドイツ政府公文書の中に、
「ユダヤ人絶滅」を命令した
文書は一枚もなかったのである。

 アウシュヴィッツ等の強制収容所では、戦
争末期に発疹チフスなどの感染症が多発し、
それらの病原体を媒介するシラミの駆除が大
問題になっていた。こうしたシラミが、被収
容者の衣服に付着することが多かったため、
ドイツ軍当局は、被収容者の衣服をサイクロ
ンBによって燻蒸、消毒していた。
 もっとも十分な効果は得らず、ある資料に
よれば、サイクロンBによる燻蒸では、蛾を殺
すのにも二十四時間が必要だったという。こ
の程度の殺虫剤をドイツは大量殺人用の毒ガ
スに転用したということになっているのだが、
蛾を殺すのに二十四時間もかかった殺虫剤で、
人間を数十分以内に殺せたのだろうか?
 このサイクロンBが、アウシュヴィッツな
どの「ガス室」で「大量殺人」に使用された
という主張は、「ホロコースト」の中心的「教
義」である。しかし、その根拠も、実は、
「証言」しかないのだ。その「証言」の中で、
最も重要なものは、アウシュヴィッツ収容所
の所長ルドルフ・ヘスのもので、「自白」の
調書や、処刑される前に書いたとされる「回
想録」がある。
 しかし、これらの文書は、イギリス軍やポ
ーランド当局が一方的に発表したもので、ヘ
スが本当に述べたという証拠は何もない。
(このルドルフ・ヘスは、戦後イギリス軍に
捕らえられ、イギリス当局の取り調べを受け
た後、ポーランドに引き渡され、ポーランド
で処刑された人物で、戦時中英国に渡った大
物のヘスとは別人)
 アウシュヴィッツ収容所の所長(司令官)
だったルドルフ・ヘスが書いたとされる文書
が重視される理由は、ヘスこそが、アウシュ
ヴィッツ収容所でサイクロンBによる大量殺
人を立案した人物だとされているからだ。し
かし、これらの文書を読むと、科学的には絶
対あり得ないことが沢山書かれている。
 例えば、ポーランドでヘスが書いたとされ
る「回想録」の中にこんな描写がある。「ガ
ス室」でユダヤ人達が死んだ後、ドイツ兵達
が「ガス室」に入り、ユダヤ人達の死体を外
に搬出する様子の描写なのだが、ドイツ兵達
は物を食べたり、タバコを吸ったりしながら
黙々と死体を運び出したと述べられている。
 しかし、これは絶対に嘘である。「物を食べ
ながら」ということは、ガスマスクを付けずに
処刑直後のガス室に入ったことを意味する。
 サイクロンBで人間を殺せるかどうかの議
論は棚上げして、仮りに殺せたとしよう。と
すれば、処刑が終わった「ガス室」内部は、
人間の致死量を超える濃度の青酸ガスが充満
している筈である。そこにガスマスクを付け

 


[pp.170-171|pp.172-173|pp.174-175|pp.176-177|pp.178-179|back]