秘密結社の歴史について
 

第1章 古代の秘密伝承

  中東こそは、秘密結社の揺籃の地だ。設立の目的が何であれ、世界史の表舞台で重大な役割を果たして来た、其の種の神秘的な組織の殆どは、記録に残る偉大な人類のドラマが初めて演じられた地域ーーエジプト、バビロニア、シリア、ペルシャ(此れはゾロアスター教の本拠地で、ユダヤ人のバビロニア捕囚の時にユダヤ人を助けた国で天上界が関与している!忍)ーーから啓示を受け、方法を学んで作られた事が明らかだ。中東的な神秘主義と、東洋的な陰謀好きとが合わさって組織の枠組を成し、其れが後に西洋に伝えられて、壮大かつ圧倒的な結果を齎らしたのである(完全に、180度逆を言っている。陰謀な事を考える国は、米国の囮調査も含んで、西洋に盛んに行われているのである。此れは起源がアトランティク大陸から来ている白人の思想である!忍)。
 其処で、秘密結社の研究に際しては、二つの線を辿る事になる。秘密の教義追求の為に自分
達を秘密のベールに包んでしまう組織、及びある隠された、多くの場合は政治的目的の為に「宇宙の大自然の真理」と「霊的儀式(秘儀)」を利用する組織である。
 ところが、「霊的儀式」にも2重の側面がある。凡そ世俗社会では常にそうだが、硬貨には
両面があるーー黒と白、明るさと暗さ、天国と地獄と云った様に(此の対比の仕方は可笑しい。此の時に使う対比は、善と悪の対比である。物理的な現象の違いの区別は、此処では使わない。読者に間違った心象を与えてしまう。其の意味では、天国と地獄の使い方は認識出来る。例えば、真実と嘘とか、結婚と姦婬とかの区別を指す!忍)。「霊的儀式」追求は、神聖な真理に至る事もあれば、暗く忌わしい宗儀に堕する事もある。あの世交信出来るかどうか等、どんな力の持ち主に分るというのだろう?
 詰まり、善かれ悪しかれ、魂の力を利用する宗儀に加入
すれば、肉体と云う地平に留まっていては到底到達出来ない高みに人を導く事も、奈落に連れて行く事も可能なのだ(霊が、脳に其の体験を与えているだけの話である!忍)。しかも、こうして組織に自分達を結集させると、世界全体に巨大な影響力を揮える様な、集団としての力が生み出される。秘密結社の重要性は此処にある。
 一度しか言わないが、秘密結社は邪悪な目的で結成されると決まったものでは無い。其の逆
に、人間の心の中にある最高の願望ーー永遠の真理を知りたいと云う願いーーから発生した物が多くある(此の心を餌食として、活動しているから宗教団体が解散の目的となった。宗教の目的は、基本的に飽く迄、心の浄化と霊的活動も含む間違った宇宙の真理や社会悪の是正である!忍)。そういう組織(上の言葉の範疇では、「善悪の概念」が定まらない!忍)に悪が発生するのは、最初は純粋で神聖であった原理の誤用による事が多い(大宇宙の自然の真理は基本的に「力」だけなのです。其の活用の仕方に「善悪」が生じるのです。其の意味で神聖か邪悪かを区別されるのです。原理の「誤用」は、「悪」では無く、「過失」なのです。悪とは、其の人の心の目的と方向性で考える問題なのです。悪魔教団体は、「誤用」では無く、意図的に破壊の目的で活用してる団体を云う!忍)。
 扨(さて)、古代から、秘儀(霊脳!忍)を授かった人々とか「賢人」の集団は存在した。
彼等は、庶民には理解出来ない内容で、人間の誕生とか滅亡、死後の魂の世界、神(或いは神々)とは何か等を述べた「秘儀」と呼ばれる秘密の教義を持っていると主張した。古代社会の「秘儀を授かった人々」と偉大な宗教家との本質的な違い(現代の霊脳活動者は両者をごちゃまぜにしようとしている)は、此の排他性である(違う。偉大な宗教家にも、人々が悟る時を待って説かない秘儀もあった。此れは完全な誤解である。だから、古代にも正しい宗教があった事を理解して欲しい。只、其れを指導している霊が、悪魔か神のものか分かれる。善為る宗教は、「徳」と「義」と「愛」に従って教えを説いている。此処で善悪が分かれる。ラファエル大王補佐様の言葉で理解して頂きたい!忍)。佛陀やマホメット等の宗教指導者は、世界中に広める目的(人・生物等を救う目的!忍)で神聖な知識を捜し求めたのに、「秘義を授かった人々」の方は、聖(「聖」と云う言葉は、「智徳に優れ道理に極めた最高」を意味してあって、「秘義」が必ずしも「智徳に優れ道理に極めた最高」には成らない。逆に云えば「道理から人々を外し、破滅の道」に導く「鬼儀」もある。此処は単なる宗教的の秘義を指していると思うから「宗儀」になると考えられる。此れは必ずしも「聖」とは成らない!忍)なる秘密は俗衆に漏らしてはならぬ、自分達だけのものにしておかなければ、と信じていた。従って秘儀追求の動機は気高くても、其の願望が実際に、或いは想像上でも満足された結果は、しばしば精神的傲慢や忌まわしい専制に導き、新参者が上級者に依って恐怖裁判や肉体的・精神的拷問に掛けられ、時に死ぬ事もあった。  

●神秘

 カルト界やフリーメーソン会員に馴染の理論に依ると、そもそも重要な「神秘」には共通の思想があって、其れは様々な国々の結社に代々受け継がれて、絶えざる伝統と成っていると云う。其の思想の一つに唯一神と云う概念がある(唯一神の概念は、基本的には霊界の統一している「万軍の主」である天帝を指している。此れをユダヤ教系列の「創造神」に迄発展させたの、堕天使である「ダビデ」なのです。宇宙には、宇宙を造った唯一の「創造神」は存在しないけれども、誰にも変える事が出来ない宇宙の唯一の「創造の法」は存在している。天帝は、其の法を預かる「聖」なる「聖霊」でもある。只、「生物」の肉体が滅びると基本的には「霊体」になるので、多数の霊体が増えるのである。其の中の悪の霊体が、「神」の名を偽って活動し、そして其の活動している団体が其の「鬼」の霊体に向かって「唯一神」とし、本当の唯一の聖なる「神」を否定し、「社会」を混乱する目的と人の悲しみと痛みを喜びとする「サド」的な行動を正当化する目的の団体もある。普通其れを「悪魔教団」と名付けている!忍)。庶民にとっては多神教を信ずる方が容易に決まっている。神と云うものの様々な面を、此れなら庶民も理解出来るからだ。ところが「結社の人々」は、あらゆるものを広め、支配する最高神、宇宙の創造者の存在を信じた。マヤ文明の「秘儀」とエジプトやカルデア(訳註=古代バビロニアの南部)、ギリシャの其れとの類似を著作で証明しようとしたル・プロンジョン(LePlongeon)は、

  「あらゆるものを作った全能の唯一神と云う考え方は、古代に高度な文
 明を作り上げた全ての国に共通する概念だと思われる、これこそエジプ
 ト人祭司の教義だった」

 と主張している。彼は更に言葉を続けて、

  「最高神と云う教義は、夫々に違う3つの部分で構成されながら大きく
 一つに纒まっているのだが、其れは米国や亜細亜の文明国、其れにエジ
 プトに広く普及しており」、

 エジプトやカルデア、印度、中国の祭司や学者達は 

 「……其れを絶対の秘密にし、秘儀を伝授された少数の者達だけにしか
 明かさなかった」

 と言う。此の見解は他にも多くの歴史家が述べているが、明白な史的証明はなされていない。
 しかし、モーゼ以前のエジプトに一神教が存在した事は確かである。アドルフ・エルマン(
Adolf Erman)は、「既に古代から知識階級は」エジプトのあらゆる宗教の神は同一であると信じており(此れは嘘である。事実上多神教国家であった。) 

 「聖職者は此の原理に目を背けず、詩や神話では複数に分かれてしまっ
 ている単一神の概念を掴もうと努力はした。……しかし、重要でないと
 自ら言う些細な違いを捨て切れず、一つの名の下に単一神を崇めると云
 う最後の一歩に踏み切れる勇気が無かった」

 と主張している。此の教義を公に宣言する仕事は、後にイクナートンと呼ばれたアメン・ホテップ4世に委ねられた。イクナートン自身がアマルナの墓所の壁に刻んだ太陽神礼賛詩を、ブリーステッド(Breastead)教授は次の様に解説している。

  「其れは、唯一神を信仰する若い王の信念の純粋さや美しさを示してい
 る。王は、神は下等な動物ばかりで無く、全ての人類ーーエジプト人も
 外国人も作られたと云う信念を得た。更に、其の神の中に、あらゆる生
 き物を善意の心で生かす、優しい父を見た……何千年に亙る人類発展を
 辿っても、あらゆるものの偉大為る父と云う、此の様な概念を掴み取っ
 た者は彼より以前にはいない」

 {イクナートンについて、天上界の言葉質問
 第18王朝のファラオ、イク・エン・アトン(イクナートン)王について御尋ねします。
或る学者は此の王の宗教改革の影響をモーセ様が直接受けて、ヤーヴェ1神教を興した、と主張しますが、年代的にも両者は繋がらず、場所的にも上エジプトに下エジプトと、離れていて直接の影響は有り得ない。しかし其の理念はヘリオポリスの神学等を通して間接的にモーセ様が学んだかも知れない。天上界の御計画から見ると、一神教の運動を、ラー信仰ー>アトン一神教運動は、ヤーヴェ1神教運動をある程度準備しえた。ーーと結論しましたが、此れで良いでしょうか。又イク・エン・アトン王及び其の宗教改革への天上界の評価を御聞かせ下さい。王を大変評価する学者もありますが、

回答 ミカエル天王

 私達天上界は現代の狡猾で人もなげな、神を軽んじ真理を疎んずる人々と違って素朴で純真な古代の人々、特に其の中でも天に目を向け、心正しき人々をこよなく愛し、大切に致しました。イク・エン・アトン王は真に正義と真理と平和を愛した人として高く評価しております。只余りに精神過ぎて理想家で、反核・反戦・反安保運動と同じ結果となり、不本意に植民地の人々の生命を失わせ、無責任な王となってしまいました。現実を忘れたが為に、愚かな治世に終わったのです。『天の奇蹟(中)』より

 イクナートンについては、『天の奇蹟(中)』第5章 「イク・エン・アトン王の宗教改革とモーセ」に記述している。此の「イク・エン・アトン」王と「イクナートン」王は同じ王である。此の『天の奇蹟(中)』を指している太陽神ラーは、ムー王国の神ラーを指している。唯一の神の設定は、基本的にムー王国迄蘇り、神ラーを指している。そして別名はエルランティ・ドヌーブを指しています。法華經の言葉では、「妙法蓮華経化城諭品第7」の『大通知勝如來』を指しているのです。今、此の王を継承しているのが、テシウス星系霊団(ベーエルデ星)のエル・ミカッティライエルナ侯爵 (日本武尊と合体)(ミカエル大王)様が、本当のエル・ランティ様として継承するのです。テシウス星についての詩文は、ゾロアスター教の『アヴェスター』に描かれています!忍}。

 イクナートンが後に「異教徒」と呼ばれた理由は、秘密の教義を俗衆に暴露して聖職者の戒律を破った事では無いのではないか。だからこそイクナートンは、自分が真理と思う事を大衆の心から隠し続けた聖職者を抑圧する必要を感じたのだろう(此の考え方は、行き過ぎている。簡単に云えば、科学技術の悪用は、地球其の物が滅びるので、道義に関して、善悪に関して正しい人に、生物・人類に救う為に与える物である。先ず、性格を直し、そして科学的真理を、悪用は、厳禁である事を諭しながら与えるのである。此処で云うのは、当時のエジプト時代の聖職者の生き方が余りにも、俗的な生き方をしていたから、抑圧をしたのである。聖職者あるまじき行為しているから、抑圧したのである。後世は、此の聖職者の悪行を善行であると言い触らして、民を誑(たぶらか)しているのです。異教徒は、当時の聖職者を指しているのです。逆に云えば、当時のイクナートンを「異教徒」と云っている宗教関係者全てが、本当の「異教徒」なのです!忍)。
 古代欧州で秘義の中心と云えばギリシャだったようだ。ギリシャには非常に昔からエレウシ
スの秘義があった。紀元前582年頃サモスに生まれたピタゴラス(指導者はイエス様と同じく、エル・ビルナビル・カンタルーネ様!忍)は、エジプトで何年か過ごした事があり、其処でイシスの秘義に入信した。ギリシャに帰国後彼はエレウシスの秘儀に入信し、サモスに秘密結社を作ろうとしたと言われている。が、旨く行かなかったので、イタリアのクロトーナに旅行し、其の他で非常に多くの門弟を集め、漸く自らの結社を作り上げた。秘伝を受ける者は二つに分かれる。秘伝を受ける者は二つに分かれる。第一階級は師の秘密でない理論しか教えて貰えず、其れも5年の見習い期間終了後でなければ他に話してはならなかった。第二階級は本当に秘儀を授かった人達で、ピタゴラスの秘密理論を全て教わった。此の教育はエジプト人の遣り方に習って図形や記号を使って行われたが、ピタゴラスがエジプト滞在中に大家になっていた幾何学と共に始まったもので、最終的に其れは魂の転生や神の本質に関する深遠な考察へと昇華していく。神は有らゆるものを通じて散財する<普遍的精神>と云う概念として表された。しかし後に西欧州で形成された先駆的秘密結社と同様に、ピタゴラス学派も本書の範疇に入る事は確かだ。初期のフリーメーソン的結社の伝統の一部は、イングランドを旅行した事もあったと云うピタゴラスに源があり、彼の幾何学的概念がメーソンの手工業ギルドに取り入れられたと信じても良い理由が幾つかある(同じ事を書くかも知れないが、宇宙には、永久に変わらない「真理」は一つしかない。其の「真理」に対して人間が善用と悪用に分かれるのである。ピタゴラスは、只、「真理」を求めて幾何学を説いたのであって、其れを悪用して秘密結社を作ったならば、其れを悪用した秘密結社が悪いのであって、ピタゴラスには関係無いのである。是の認識が「基督教徒」には無いのである。宇宙を造った創造神の存在は無いけれど、是の唯一宇宙の真理である「正法」を預かる最高責任者であり、聖為る「霊」は存在する。其れは、「天帝」を指し、ユダヤ教系列の唯一の神「ヤーベ(アラー)」を指しているのです。ユダヤ教系列の人達は、天帝は宇宙の何処でもいると考えているけれど、実際は、或る1ヶ所に限定されるのである。今は千乃裕子先生の所にいる。だから、他の所で、「神(天帝)」の名で現象を起こしたならば全て偽物であり、詐欺師である。只、個人の守護霊が、其の人に守護する又は戒める為に正直の「名」の下で正しい方向の現象を起こせば、其れは「悪」では無いのです。ユダヤ教系列は、現象起こせば、即「悪魔」と定義する悪い所があります!忍)。  

●ユダヤのカバラ

 ファーブル・ドリヴェに依れば、「エジプトのあらゆる英知に通じた」モーゼの言い伝えは、代々イスラエル人の指導者に伝わっているが、其の一部はエジプトの秘儀から取ったものだと云う。こうした口伝はモーゼの五書に書かれた言葉とは違っており、後にタルムードやカバラとして書き表されたと云うのが、多くのユダヤ歴史家の意見である。
 タルムードの最初の版はミシュナと呼ばれるが、紀元2、3世紀頃に登場し、程なくゲマラ
の名で注釈が加えられた。此の二つの文書を合わせてエルサレムのタルムードと言い、3世紀から5世紀に掛けて改訂されている。此の改訂版がバビロニアのタルムードと呼ばれ、現在使用されているのも之だ。
 タルムードは主に毎日の生活の事柄――物の売買や契約に付いての法律――を扱っているが
外国の宗教について」の観察もあり、何れも微に入り細を穿った叙述が為されている。あるユダヤ人歴史家は次の様に言う。 

 「何の巻にも最高の弁証法で奇妙極まり無いラビ的比喩の装飾が施され、
 全くくだらない疑問が最高の知的能力を用いて議論されている。例えば、
 赤牛は白い毛が何本あったら赤牛でなくなるかとか、どう云う皮膚病に
 はどんな祓いがいいか、安息日にはノミやシラミを殺してもいいのかー
 ー一匹は許されるが、二匹殺すと死罪になるーー、動物の屠殺は首の所
 ですべきか、尻尾で遣るべきか(此れは、動物が痛み無く死ねる方法を
 考えた方が正しく感じる!忍)、高僧は最初に上衣を着るのか、其れと
 もズボンを履くのか、ジャバム、詰まり子供が出来ない儘死んだ男の兄
 弟で法律では未亡人と結婚しなければならない男が、屋根から落ちて見
 動き出来なくなったら、其の義務を免れるのか、と云った具合である。」

  しかしヘブライ語で「受容」、即ち「口伝えの教義」を意味するカバラには、ユダヤの思索的且つ哲学的な、否寧ろ神智学的教義を見る事が出来る。其れは2冊の書物、『セフェル・イェツィラー(Sepher Yetzirah)』と『ゾハール(Zohar)』に記されている。 「創造の書」とも呼ばれる『セフェル・イェツィラー』は、エデルスハイムに依れば「アブラハムの独白(モノローグ)であり、其の中で彼は自分の回りのあらゆる事を考察して遂に神は一つと云う結論に達した」と云う。しかし此れは10人のセフィロス(Sephiroths)の名で神のお告げを組み合わせた結果そうなるのであり、ヘブライ語の数字やアルファベットをどう組み合わせても、カバラの門外漢にはそうした思想を読み取る事は出来ないーーいや恐らく、実際には何の思想も伝えてはいまい。『セフェル・イェツィラー』は、実際には非常な曖昧な文書(註:『セフェル・イェツィラー』程理解の困難な書物はユダヤ文献には他にない」ーー”the Jewish QuarterlyReview”新版、第2巻557頁に於ける、PhineasMordellの言)と云うのが通説で、しかも非常に古い書物である事も確かだ。ポール・ヴュリオーは、最近出版されたカバラ研究の労作の中で、『セフェル・イェツィラー』の成立は早ければ紀元前6世紀、遅くても紀元後10世紀だと述べているが、何れにしてもタルムードの中にラビ達が魔法を学ぶ為に『セフェル・イェツィラー』を勉強していると云う説明がある以上、タルムードより古い事は事実だ。又『セフェル・イェツィラー』は、コーランの中にも、「アブラハムの書」と云う名で触れられていると云う。
 一方、『セフェルーハーゾハール(SepherーHaーZohar)』、或いは「光の書」
と呼ばれる膨大な編纂書は、カバラの哲学研究にとって重要性が高い。『ゾハール』自体の記述に依れば、「神秘の知恵」は神に依って、又エデンの園にいるアダムに天使ラザエルが渡した書物の形で分け与えられた。其の本はアダムからセトに、それからエノク、ノア、アブラハムと受け継がれ、後に最も有名な解釈者の一人モーゼに伝えられた。ところが、モーゼこそがシナイ山で最初に本を授かり、其れを70人の賢者に伝え、彼等がダビデやソロモンに、其の後エズラやネヘミアに、最後に基督教の初期のラビ達に伝えられたと断言するユダヤの歴史家もいる

(全く嘘である。セトは、悪魔に魂を売って神の子であるオシリスを暗殺した大悪人である。エノクは、「ノア」の後に出現した人物である 「ノア」は、もしかしたら沖縄王族の子孫かもしれない。ノアの箱船からシュメール文明が出来たと考えられる

天上界への質問(6)エノク書で、其の著者名に擬せられた、アダムから数えて7番目の義人エノクについては、『エルバーラム』中で、約5千3百年前の人と知らされておりますが、此の人物は丁度其の頃のメソポタミアの南部に栄えた都市国家であり、技術の大革新がなされたウルク(聖書ではエレク)の指導者(王)であった方なのでしょうか。エノクの天上界の位置、合体された方、そしてエノク書の著者との関係につき、ダニエルと同様に御知らせ下さい。又、ダニエル書にもある「日の老いたる者」とは、ヤーウェなるエル・ランティ様を指したのですか

回答 ガブリエル次期大王 其の通りです。エノクは第7番目の王、エンメドウランキ王の事です。但しエノクと云う名前と業績は、其の著者が遠くメソポタミヤ地方に、紀元前3300年前に興った、ウルク期の文明と重ねて、ウルク即ちエレクと云う都市名を「エノク」として第7代(完全数として必要不可欠の数)の王名の代りに当てたものです。事実を有りの儘伝えるのでは無く、個人の名声と力を誇張し、偉業を讃える古代の人々の習慣に従い、其の名も神の栄光を表すものに変えて書き録したのです。
 善為る王は死後総て如来界に上り、高位の霊となりました。天使、大天使は特に天の心に叶
う義為る人、信仰篤き祭司や修道僧、聖人が其の名を与えられ、使命を与えられました。尚、エンメドゥランキ王は、エル・ルネラエル・カンタルーネ様が合体され、ダニエル即ちウルカギナ王はエル・ビルナビル・カンタルーネ様の本体でした。
 『天国の扉』や『天国の証』の合体表は、私達の小さな弟子、土田展子さん等の高校生達が
求めた合体霊と合体者名のみで、総てを列記したものではありません。
 「エノク書」は、エル・ランティ様の指導の下に(或いは他の高次元の方か)、追放され暗
殺されたオニアス3世の死を傷み、”義の教師”と呼ばれる人物を中心に、ハンディームの弟子達が追記、編纂して実現したものです。「第一エノク書」はオニアス3世の資料を草案として、後の四書を弟子達が書き加え、「ダニエル書」も同様にして完成されました!忍)。

 此の時点迄、『ゾハール』は口伝以外の何物でも無かったが、此処で初めてシモン・ベン・ヨカイ(Simon ben Jochai)の門徒達に依って文書にされた。タルムードの叙述では、ラビのシモンと息子のエリーゼは洞窟に身を隠し、其処で首まで砂に埋もれて神の律法について黙想していたところ、屡(しばしば)預言者エリヤが現れた。ユダヤの伝説に拠ると、かくして偉大なる『ゾハール』が編纂され、シモンの息子のエリーゼや其の秘書役のラビのアッパが其れを書物に記したと云う。 『ゾハール』が初めて世に知られる様に成ったのは13世紀の終わりの頃で、スペインのユダヤ教信者、モーゼ・ド・レオンの手による。ギンスバーグ(Ginsburg)博士に依れば、彼はシモン・ベン・ヨカイの原書を発見して、更正させたと言っていると云う。ところがレオンの妻や娘は、彼が自分で全部書いたと断言している。どちらが真実だろうか。ユダヤ人の見解は此の問題では分裂していて、『ゾハール』は比較的新しい、モーゼ・ド・レオンの創作だとする派もあれば、否非常に古いものだと云う者もいる。ヴュリオー氏は、そうした説を全て50頁近くに亙って比較対照して、『ゾハール』と云う名称はモーゼ・ド・レオンの創作かもしれないが、中身の思想は13世紀よりも遥かに古い起源である事を証明していると云う。では、中世のラビ達が、完全に新しく作られた物を古代の書物と認める程、すっかり騙されたのは何故か、とヴュリオー氏は続けて疑問を投げる。『ゾハール』はモーゼ・ド・レオンの創作では無い事は明らかだが、彼は非常に古い文書を材料にしていた。しかも、ヴュリオー氏の説明に従えば、『ゾハール』の古さを否定した連中はグレーツを筆頭とする反カバラ主義者で、彼等の狙いはカバラが正統のユダヤ教とは違う事の証明であった。テオドール・ライーナッハ(Theodore Reinach)はカバラを「ユダヤ教の血管に潜り込み、全てを荒らし回る猛毒だ」とまで言い切っている。又ザロモン・ライナッハ(Salomon Reinach)は「人の心が生んだ最も異常なものの一つ」と呼ぶ。カバラ研究者の多くは此の見解を否定しないが、カバラがユダヤ教とは無関係だと云う事とは、又別の問題である。事実は、『ゾハール』の思想の主要部分はタルムードの中でも肯定されている。『ユダヤ・エンサイクロペディア』が述べている様に、「カバラは実はタルムードと反対の事を言っている訳では無く、タルムード信者の多くがカバラを支持しカバラに貢献している」のだ。アドルフ・フランク(Adolphe Franck)等はカバラを「ユダヤ教の心であり、生命そのものだ」と言って憚らない。彼曰く、「17世紀や18世紀の著名なラビの圧倒的多数は、『ゾハール』の神聖さと、其の教えには絶対に誤りが無い事を堅く信じていた」
 従ってカバラが古い文書であるかどうかの問題は、実際には主に名称の問題である。非常に
古くからユダヤ人の間に神秘主義の伝統が存在した事は誰にも否定出来ない。だからヴュリオー氏の言う様に、「ユダヤの神秘主義がカバラと云う名を持ったのが何時かを知る事が問題」なのに過ぎない。エデルスハイムは次の様に言う。

  イエス・キリストの時代にも、大衆から注意深く隠された教義や思索
 を集めた物が既に存在した事は否定出来ない。異端思想扱いされるのを
 恐れて、其れは普通の学者には秘密にされていた。此の種のものがカバ
 ラと呼ばれ、語義(受け入れ、伝える)の示す通り、古代から受継がれ
 た魂の伝統を表した。勿論、時が経つにつれて不純な、或は外国の要素
 が混ざり合っている。

 其れでは、グージュノ・デ・ムソー(Gougenot des Mousseaux)も肯定する様にユダヤ民族よりも起源の古いカバラは、世界を最初に作った人々から伝わった伝承なのだろうか。此の仮説が証明不能である事は認めなければならないが、神秘主義の伝統の研究者お気に入りの仮説が証明不能である事は認めなければならないが、神秘主義の伝統の研究者お気に入りの仮説の一つなので、無視は出来ない。カバラ自体はユダヤ人が登場する前に生きた世界の創始者達ーアダム、ノア、エノク、そしてアブラハムーに其の起源を遡らせている。エリファス・レヴィは此の系譜を認めて、「神聖なカバラ」はセトの子孫の伝承でアブラハムがカルデアから運び出したものであり、アブラハムは「エノクの秘密の継承者で、イスラエル創始者の父」だと関連づける[此処から読むと、悪魔であった「セト」が、アブラハムを支配したと云う意味である。基督教徒は、オシリスを「悪魔」と見なしている。此れは完全に間違いである。「セト」がエジプトを悪魔王国として作った張本人である。「セト」とは、ロバの顔をしたエジプトの悪魔で、曾って善なる神々の統率者であった天帝「ラー神」の善きの羊飼い「オシリス」の君主の地位を奪った悪魔で、オシリスの子ホルスの永遠の敵手である。聖書記者達によって旧約聖書に取り込まれ、セトはSeth(セツ、善き羊飼いアベルの「地位掠奪者」として現れた。此の辺りの神話は、名著普及会の『エジプト神話伝説』の中で名前は「セット」、標題は「文化神オシリス」の中で描かれている。此の中で「セット」は、「オシリス」の弟神として描かれているから、もしかしたら神ヤーベの弟堕天使ダビデの意味の子かもしれない!忍)。
 此の理論は亜米利加のフリーメーソン会員マッケイ博士も提唱しているが、其れに従うなら、
セトの子孫の神聖なカバラ以外に、カインの子孫の神秘的カバラがあり、サバイスト(Sabeists)、即ちカルデアの占星術師であり天文や降霊術の専門家である者達に伝えられた事になる。周知の様に、イスラエル人のパレスチナ移住以前、カナン人は魔法を用いていた(魔法とは、存在しない。霊又は地球の外にいる宇宙物理学者関係者が宇宙自然の法則を利用して現象を起こしているだけの話である!愛)。エジプトやインド、ギリシャ人にも、独自の預言者がいた(此の太陽系には、天帝は一人しかいない。其れを仲介する天使達が幾人はいるし、必要ある場所には其の都度、使いを渡して神の言葉を預ける!忍)。モーゼの戒律には魔術を呪う教えがあったが、其の警告を無視したユダヤ人は其れに伝染し、祖先から受継いだ神聖な伝承と、一部は他の民族から借り、一部は自分達の発明でもある神秘思想とを混ぜ合わせた。同時に、ユダヤのカバラの思索的側面は、ペルシャのマギや新プラントン主義、新ピタゴラス主義から借りた。だから、今日のカバラは純粋なユダヤ起源では無いと云う反カバラ主義者の主張にも、一理ある事になる。
 神秘主義(オカルティズム)を詳しく研究したグージュノ・デ・ムソーは、従ってカバラは
二つあると主張する。人間の創始者達から伝えられた古代の神聖な伝承と、此の神聖な伝承をラビ達が野蛮な迷信とごちゃ混ぜにし、其の勝手な想像を付け加え、従ってラビ風の色合いが付いているもの、の二つである。此れと同じ見解は、改宗ユダヤ人ドラグの優れた著作にも見られる。ドラクは次の様に言う(註:P.L.B.Drach,”De I’Harmonie entre I’Eglise et la Synagogue”,Vol.1、p.xiii(1844).)。 

  古代の本当のカバラは、現に有る誤った、非難すべき、そして実際に
 も非難の的となっているラビ達の作品とは全く違う物だ。ラビ達はタル
 ムードの伝承をも歪曲し、曲解した。シナゴークの学者達は(本当の)
 カバラの起源はモーゼに遡るとする一方、其の中の真実の多くは世界の
 創始者達が神によって知らされたものだと認めている。

 又ドラグは、同じ様にユダヤ教からの改宗者で、教皇ピウス5世の保護を受けたドメニコ会修道士のシエナのシクストゥスの言葉を引用している。

  異端審問所の布告に拠って、カバラに関するあらゆる書物が最近弾劾さ
 れているが、カバラには二つある事を知るべきだ。本当のカバラと偽の
 カバラである。真の、敬虔なカバラは、アナゴージーの原理(即ち象徴
 的解釈)に従って神の律法の神秘を述べたものだ。従って、此のカバラ
 を教会が非難した事は無い。偽の、不遜なカバラは、ユダヤ教の伝承の
 偽物であり、数え切れない程の虚飾は誤りに満ち、魔術とは殆ど変わる
 所が無い。即ち、此の種の不当にカバラと呼ばれる邪教をこそ、此処数
 年間、教会は当然に弾劾してきたのである。

  今に残るユダヤのカバラは二つの面を持っているーー論理的側面と実践的側面である。前者は神智的考察、後者は魔術を扱っている。カバラ流の神智論の全貌を此処で説明するのは不可能だ。セフィロートについての常識外れの想像、良い天使と悪い天使の外見や役割、悪魔の本質についての論述、其の上に、祖先の中の祖先と云う名で呼ばれる神ーー40万世界が其の後光を受けているーーの外見が詳しく記されているからだ。「神の顔の長さは10万世界の370倍ある。其れは”長い顔”と呼ばれる。祖先の中の祖先の名だからである」。『ゾハール』のイドラ・ラバ物語の大部分は、此の巨大な顔に付いている髪の毛と髭の説明に終始している。 カバラに依れば、聖書のあらゆる語句は、「秘伝を授かった人々」にしか分からない神秘を含んでいる。こういう解釈法を用いて、旧約聖書は普通の読者には全く読み取れない意味を持つ事が示される。かくして『ゾハール』に依ると、ノアは方舟にいる時にライオンに噛まれた為に命を落した事になり、ヨナの鯨の腹の中の冒険は異常な程豊かな想像力で語られる一方、エリシャとシュンナミテの女性の美しい物語は如何にも滑稽な話として茶化される。
 実践的カバラでは、此の「解読」法は、病気の治療が主要部分を占める魔術や魔法に格下げ
されている。数字や文字の神秘的な組合せや、恐れ多い名を口に出したり、御守りや魔除け、ある種の神秘的性質を持つとされる化合物等を使って行うのである(数字や文字を使うと云う意味は、只後ろの背後霊の遊びである。そして気粉れで、霊が電磁力を利用して、生理学的知識を用いて外科手術を行って直しているのである。其れを、数字や文字と繋げているのである。今、現代の教科書的科学知識では、未だ解明されていない人間内部の電磁的性質を利用して直しているのである!忍)。
 こうした事は、全て古代の儀式が元になっている。神の名を用いて奇蹟を行うのは、ユダヤ
にカバラが広まった後にユダヤ人祈祷師の得意技になったのだが、其れさえ起源はカルデアにあると思われる。タルムードやカバラの著述の基本になっている、選民を強調する理論も、決して純粋にユダヤ教が始まりとは云えない。古代エジプト人も自分達を「神が特に愛された人々」(此れは、神々が地球のエジプトの地に「ベーエルデ星(テシウス星?)」から到着した場所であるから。記念の場所でもある!忍)と、同じ様に考えていた。しかしユダヤ人の手に掛かると、神の恩寵を自分達だけが受けていると云う信念になってしまう。『ゾハール』には、「全てのイスラエル人は来世にあるべき場所を与えられ」、来世に到着してもゴイム(Goyim:非ユダヤ人)の様に堕天使ドゥーマの手に渡され、地獄に落とされる事は無いと書かれ、地獄に落とされる事は無いと書かれ、又、「エホバ、エロヒム(「神々」の意!忍)が人を作った」と云う言葉は、神がイスラエルを作ったと云う意味だと説明されている。17世紀のラビの物語本、エメク・ハ・メレクには次の様な叙述がある。「我が、み恵み深きラビ達は言われた、『我等ユダヤの民は、最高の人(即ち神)より魂を頂きし故に、人である。しかし世界の民は、聖なる最高の人より、ネシャマ(輝かしき魂)を受けておらず、アダム・ベリアル、即ち邪悪な、あらざるべき者、サマエル[此れこそ、悪魔(ベリアル)の甘言で神を否定した言葉である。サマエルは立派な大天使で、今は9次元(最澄、空海、アポロ、聖観音、ミカエル大王様を抜いた元六大天使)にいるサミュエル大天使を指していて、サマエルこそ最後の神の民のユダヤの審判者である。ミカエル大王様の言葉として

 「堕落の天使に関する記述は、此れこそ悪魔ダビデの暗躍と天上界の真実
 を伝える証言の歴史です。霊能ある人間を通して霊は伝えたい事を伝え得
 るのですから、ダビデは共産主義者と全く同じ様に、正しい心の天使達や
 大天使を中傷し、デマを流したのです。私達がGLAや正法会や多くの背
 反者及び悪霊に操られる者から悪霊と誹謗されている様に。
  ダビデの魔手に掛かり、秘かに殺された天使や聖人の霊も数知れず、1
 977年、78年の悪魔ダビデとの大決戦に於て失った義人、聖人、天使
 達は数知れずあります。其の名を公開するのは避けたいのですが、代表的
 な所ではジャンヌ・ダルグ、アブラハム、エリヤ、モハメット等も現在に
 至る長い期間に暗殺されて、自らが証言出来ない立場にあります。ダビデ
 王は勿論(此れには疑問を持っている。ダビデ王は堕天使ダビデの傀儡で
 は無かろうか。名前がダビデと付いているから!忍)、古代の預言者達、
 其の他多くの大天使も天の戦いに於て(暗殺されたでしょう!忍)。私達
 7人が生き永らえたのは、悪魔ダビデや、幸いにもエル・ランティ様の親
 族ですから、エル・ランティ様の報復を恐れたのと、

  深く考えて欲しいです!忍]と云う名の最高の悪魔からネフェシュ(Nephesche)を受けているが故に、人とは呼べない』と」。 こうした、他の民衆に対する排他的態度と対を為す様に、カバラの支配的主題(テーマ)となっているメシア思想も、ユダヤ人だけを救う様に出来ている。しかし、此の思想の起源は恐らくユダヤでは無い。ユダヤ人以外の民衆にも共通する古代の秘密伝承があると信じる人達に依れば、此の伝承の一部は、人に何の心配事も無く、悪は存在しない黄金時代が曾ってあったが、軈て人は堕落して此の至福を失い、しかし最後に損失の回復と、世界を救い黄金時代を復活させる救世主の到来を告げる神のお告げがある事を物語っているのだと云う。ドラクは次の様に言う。

  神が堕落した人類の教師として、且つ救済者として姿を現すと云う、
 人間と神の伝説は、地球上の有らゆる文明で常に言い習わされている。
 スエトニウスの云う様に、Vetus et constans op
 inio(万古不易
 の信仰)なのだ。何の時代にも、何の土地にも見られる。

 又彼は、東洋を旅したヴォルニーの証言も引用している。 

  古代の神聖且つ神話的伝承は、亜細亜中に、偉大な仲介者信仰を広め
 た。其れは、将来、救世主として、或いは王や神、征服者、立法者とし
 て訪れ、地上に黄金時代を回復させ、人類を悪の帝国から救い出すと云
 うのだ。

  此の信仰について些かでも確実に言えるのは、其れがユダヤ教徒だけで無く、ペルシャのゾロアスター教信者の間にも存在したと云う事だけだ。デルベロ(D’Herbelot)はアブルファライト(Abulfaraj)を引用して、基督より500年前に、ゾロアスター教の指導者ゼルダシュト(Zerdascht)が救世主の到来を預言し、メシア誕生の時には星が現れると述べたと書いている。ゼルダシュトは弟子に、救世主は処女から生まれる事、弟子達が最初に救世主の話を聞く事、そして救世主に贈り物をすべきだと告げたそうだ。 ドラクは、此の伝承は古代のユダヤ教会堂で行われたと考えており、パウロの「神のお告げはユダヤ人のみ伝えられた」と云う言葉は其れで説明出来るとしている。

  此の口伝えの教義が即ちカバラだが、目的は最も厳粛な真実を伝える事
 で、約束された救世主を絶えず思い起こさせ、古代伝承の全体の体系を
 作り上げた。

  又ドラクは、三位一体論が此の伝承の一部を成すとも主張している。

  ユダヤ教会の古代の祈祷師、特に基督以前の教えに詳しい人なら、只一
 人の神の三位一体は古代から彼等の間で秘められていた真実だと云う事
 をご存知だ。

  ヴュリオー氏も『ゾハール』に此の思想が存在する事をグレーツは認めたと指摘している。「其れは基督教の三位一体の教義(ドグマ)に賛成するかの様な教義を確かに教えている!」。又ヴュリオーは、「『ゾハール』が三位一体や神の顕現と云う考え方に触れている事は、争いようのない事実だ」として、「従って三位一体の考えはカバラの中で重大な役割を果たしているに違いない。何故なら『ゾハール』、特に其の固有の概念は三位一体論への傾倒が特徴だからだ」と付け加える。更にエデルスハイムを引用して、「カバラ主義者の著作で行われている説明の大半は、基督教の最高真理(「三位一体」説は、最高真理では無い。基督教の過ちの理論の一つである。此れを是正する為に、ガブリエル次期大王様が、マホメットを通してイスラム教を説いたのである。要するに過去に神が使わした預言者の中の一人であると云う意味である!忍)に驚く程よく似ている」と云う。詰まりカバラには、古代の秘密伝承の名残が確かにありそうなのである。『ユダヤ・エンサイクロペディア』は、無意識だろうが此の見解を支持している。と云うのは、16世紀の基督教信者のカバラ主義者がカバラには基督教の痕跡があると主張したのを馬鹿げているとしながら、カバラにある基督教的に見える部分は単に古代の神秘的教義だと云うに過ぎないと云い切っているからである。其処で本書(ネスター・H・ウェブスター著の『世界秘密結社』東興書院)では、現代のユダヤ教学者の権威を盾に、古代の秘密伝承は、基督教の教えと調和すると主張しておこう。ところが其の後ユダヤ教会の教えは、其の初歩的な哲学もユダヤ教の排他的な階層制度に合う様に矮小化され、堕落した人類が失った至上の幸福を取り戻させてくれる筈の救世主願望は、専制的で復讐心の強い救世主の手に依るユダヤ人だけの救済と云う思想に変形させられた。700年前に基督の到来に依って揺るがされた、是の救世主思想こそが、今も現代のカバラに生き残っているのだ。