★ユダヤ教の背景の教えである「タルームード」の実体★

●タルムード的人間は成功する?

 なぜアシュケナジー・ユダヤ人達は、ドイツやロシア、東ヨーロッパ等で、その土地の人々と衝突したのか。それは彼等の宗教の根本である「タルームード」が原因なのである。

(この本を含む宇野正美著で間違いを犯そうとしている点を云うけれど、其れはアシュケナジー・ユダヤ人とステファラディ・ユダヤ人の区別である。この考えは間違いである。基本的に悪魔の法典である「タルモード」と「ゾハール」を信じているユダヤ人を気を付ける事である。悪の大元の一人であるロックフェラー一族の出身は、スペイン・ポルトガル系ユダヤ人(セファルディック)の最高貴族の出身である話がある。ロスチャイルドも基本的にステファラディ・ユダヤ人の出身でしょう。そして、アシュケナジー・ユダヤ人は、基本的に庶民階級が多いとの話である(『ロックフェラー・ファイル』ゲイリー・アレン著、日本語名は『ロックフェラー帝国の陰謀2』高橋良典訳P37から。ロスチャイルドの場合は、色々の方面に古代ユダヤ貴族出身であると書かれている。其れにこの問題の根本的な秘密団体は、古代ユダ王国王のヘロデが形成した『秘密の力』から発している事を忘れてはならない。その事に付いては『ヘロデの呪いー暴かれたユダヤ古写本』に載っている!愛)。


 ユダヤ教は旧約聖書に基づき、旧約聖書を分かり易く解説したものが「タルムード」だと一般では言われている。しかし多くの日本人は、その「タルムード」を読んだ事がない。解説書や「タルムード」について書かれた書物なら読んだ事があるかもしれない。だが実際に手にとって読んでみるなら、旧約聖書と「タルムード」とは天と地程の隔たりがある事がすぐに分かる事だろう。
 日本に長期滞在したアシュケナジー・ユダヤ人のラビー・トケイヤーは、彼の著書『ユダヤ人の発想』(徳間書店)の中で次の様に述べている。

 「勿論ユダヤ人は『(旧約)聖書の民』である。そして『聖書』がユダヤ人の
 文化の基礎を作っているとすれば、『タルムード』はしばしば中央に建った太
 い柱であると言われる。なんと言っても『タルムード』はユダヤ文化に於いて
 最も重要な本であり、そしてユダヤ人の創造力のバックボーンを成している。
 『タルムード』という本が生き続ける限り、ユダヤ人は滅びる事はない。ユダ
 ヤ人は発展を続けるだろう」

 「『タルムード』はユダヤ人の魂であり、頭脳である。ユダヤ人はタルムード
 的な存在であると言われて来た。言い換えれば、タルムード的人間であったか
 らこそユダヤ人は成功して来たのだ。
  キッシンジャーはタルムード的人間である。マルクス、フロイト、アインシ
 ュタインもそうであった(この言葉から、シオンの議定書っは真実である考え
 られる。しかし、アインシュタインは、日本こそ『神の国』と考え、原爆も日
 本に落とす事は反対していた事は事実である!忍)。タルムード的人間であっ
 たところに、成功の秘密があった。そして来るべき21世紀にもタルムード的
 人間は成功するだろう」

 彼は「タルムード的」という言葉を頻繁に使い、しきりに賞賛している。そんなに素晴らしい書物ならば、なぜ全巻を日本語に翻訳して出版しないのか・・・。しかし、例えば誰かが日本語に翻訳する許可を求めても、彼等はそれを許可しないだろう。
 何故なら、ユダヤ以外の民族、謂ゆる異邦人にとっては不快感を抱くに十分な内容がそこに書かれているからである。「タルムード」は、当に秘本なのである。
 先程のラビー・トケイヤーは、「タルムード」から次の様な言葉を紹介している。

 「一人の古い親友は、新しく出来た10人の友人よりも良い」
 「豚は食べ過ぎる。苦しんでいる人間は話し過ぎる」
 「ロバは長い耳によって見分けられ、愚か者は長い舌によって見分けられる」
 「貧しい者は僅かな敵しかいないが、金持ちは僅かな友しかいない」
 「人から秘密を聞き出す事は易しいが、その秘密を守る事は難しい」
 「三つのものは隠す事が出来ない。恋い、咳、貧しさ」
 「侮辱から逃げろ。しかし名誉を追うな」

 以上は差し差し障りのない箇所のみを引用したに過ぎないのである。
 
 

●「ユダヤ人が異邦人を騙す事は差し支えない」

 「タルムード」は全部で19巻ある。そして他の箇所、差し障りのある秘して置きたいところには日本人が戦慄する様な事が書かれている。

 「法廷においてユダヤ人が異邦人を騙す事は差し支えない」(Baba Kamma 113a)

 アメリカの謂ゆる優秀と言われる弁護士達にはアシュケナジー・ユダヤ人が多い。しかし、彼等の多くがこの「タルムード」的発想に立っているとするなら、事は重大である。
 アメリカで夫婦が離婚訴訟を起こした場合、夫も妻もそれぞれが弁護士を雇う。だが話がうまく纏まった場合(ケース)は稀で、悲劇的な結果を招く事が殆どである。
 又今日アメリカでは、親が子供に注意し激しく怒った場合、逆に子供が親を裁判所に訴える事があるという。
 すると親と子の間に裁判上の争いが起き、それぞれ弁護士を雇うのだが、結局親子の間は修復不可能な程に破壊されてしまうのである。
 アメリカは訴訟社会だ、と言われている。日本の企業も様々な問題(トラブル)によってこの様なアメリカに引き込まれていくのである。だが、自らが雇った弁護士がこの「タルムード」発想を持つユダヤ人であれば、結果はどうだろうか・・・。

 「異邦人の財産は砂漠の砂の様である。初めにそれを得る者が誰でもそれを
 得る事が出来る」(Baba Bathra 54b)

 ある時私はイスラエルの高官と会見した際、次の様に尋ねた。

 「リクード党は占領地を絶対に返さないと言っているが、なぜ労働党は返す
 と言うのでしょうか。同じユダヤ人であるながら、それ程意見が分かれるの
 はどうしてでしょうか。その原因は何処にあるのですか」

 するとその高官は言った。

 「リクルード党は勿論占領地を返さないが、労働党とても同じである。我等
 は共に返す事はない」と。

 私(宇野正美氏!忍)の友である、あるユダヤ人は、この点についてこう言った。

 「労働党のシモン・ペレスは中々賢い人物である。占領地を返すと公言する
 事によって、イスラエルに対する世界の世論を和らげる事が出来るからであ
 る。ユダヤ人である限り労働党の党首であっても、その本心では占領地を返
 す事等毛頭考えていないのである」

 シモン・ペレスは政治的配慮によって発言していたのである。
 又アラブ人達に取材した時、その内の一人が次の様に言った。

 「イスラエルには二大政党があるが、その考え方は両者とも全く同じである。
 彼等は対立しているか様に見えるが、それは表向きの見せかけに過ぎない。
 彼等は内側では完全に通じ合っているのである」

 もしこの様な見解が正しいなら、テレビや新聞等のマスコミを通して報道される事は単なる建前上の事に過ぎない、という事になってしまう。
 広大な砂漠の砂は確かに誰のものでもない。しかし「タルムード」は言う、異邦人の財産も砂漠の砂の様なものだ、初めに関係した者がそれを得る事が出来る・・・。
 言葉を換えて言えば、イスラエルが占領した地域を元のアラブ諸国やパレスチナ人に返すなら、それは「タルムード」違反になるのである。
 従って、リクード党も労働党も「タルムード」を知らない他の国々に対しては、それぞれ異なる態度を示してはいるが表向きに過ぎず、結局は同根に過ぎなかったのである。つまり、私の友人やアラブ人達の言葉は真相を語っていた事になる。
 
 

●ユダヤ人は異邦人に賃金を支払う必要はない

 外資系の某銀行の前をよく通るが、その銀行の前にはいつも大きな横断幕が張られている。外銀労働組合の主張がそこに書かれているのである。

 「我々の賃金は10年間も上げられていない。ベースアップをしろ」

 それが数カ月毎に掲げられるのである。この訴え、しかも街行く人々にまで訴えているのに、どうしてこの外資系の銀行は賃金を上げてやらないのだろうか・・・・と思ったものである。
 しかし「タルムード」を読めば良く分かる。
 そこには賃金について次の様に書かれている。

 「異邦人はユダヤ人に賃金を支払わなければならないが、ユダヤ人は異
 邦人に賃金を支払う必要はない」(Sanhedrin 57a)

 日本の実務家の選ばれた人達が今までいた日本の企業から外資系の企業によく転職する。行く時は域揚々たるものである。しかしやがて彼等は不平を漏らす事になる。
 その一つは、日本企業の家庭的な暖かさ、横の繋がりの強さ・・・それを嘗ては煩わしいもの様に思ったが、それとは全く対照的なのが外資系の企業である。日本人の発想や生活意識の中で、外資系の冷たさとも思える様な人間関係は日が経つと共に耐えられない様になって来るのである。やがて日本企業に勤めていた頃の事を懐かしく思う様になる。
 そしてもう一つ大切な事は、自分の働きの責任量がグラフに成っていて、賃金はそれによって裁定される。多く働いて良き成果を得れば多くの賃金を貰えるが、少しでも息を抜くと怱ち少なくなってしまう場合が多い[これは、企業の発達の方向が、善であれば正しいが、もし破壊の方向に走っているならば、それは悪魔に魂を売っているのである。物が売れれば正しいと思うのは、悪魔に魂を売っている人間である。その判断が神の言葉として表れている。今、現実問題は、カネの流れは悪魔に儲ける方向に走っている!忍]。
 特にそれがユダヤ系の企業である場合、「タルムード」発想が背景になっているのだろう。
 ガラン洞になったアメリカ・・・、ユダヤ資本はアメリカから既に出て行ってしまった。その穴を埋める為に円高ドル安が演出され、日本のカネはアメリカへアメリカへと流れて行った。それは今も流れている。
 彼等は異邦人の財産を砂漠の砂の様だと考えている。日本のカネも絶対に返って来ることはないと明確に分かる。
 
 

●ユダヤ人のみ人間、異邦人は動物

 「もし異邦人がユダヤ人の物を略奪するなら、ユダヤ人はそれを
 取り返さなければならない。しかしもしユダヤ人が異邦人を殺し
 たなら、ユダヤ人は罪を問わない」(Sanhedrin 57a)

 将に驚きである。異邦人とされる私達日本人は、「タルムード」にこの様な事が書かれている事を教えられていなかった。
 因みにここで引用する「タルムード」の箇所は都合のいい所だけを引いて来ているのではなく、それぞれの精髄(エキス)や主題(テーマ)となっている所を引いている事を覚えておいて頂きたい。
 又「タルムード」には次の様に書かれている。

 「異邦人と性交渉したならばラビに鞭打たれる。ラビは、その懲ら
 しめられたユダヤ人は雌驢馬と性交渉したからだと言った」(Bera
 koth)

 「タルムード」は常にユダヤ優位なのである。ここでは、相手が異邦人なら雌驢馬と同じだから鞭打たれるだけですむと言っている。
 しかし「タルムード」がユダヤ人によって日本人に紹介される時には、次の様に語られる

 「そこで『タルムード』では人を殺す事を戒める為に、『一人一人
 の人間はアダムである』と教えている。この話は如何に一人の人間
 が重大であるかを示している。もしエデンの園に居たたった一人の
 アダムが殺されてしまったら、今日の人類はなかったろう。即ち今
 日世界に住む42億人の人間の一人一人がアダムと同じ様な尊厳を
 持っているのである」(前出『ユダヤ人の発想』)

 「タルムード」は絶対に人を殺してはいけないと教えている、というのである。だが、それを裏付けする様に、「タルムード」には次の様な言葉も書かれている。

 「ユダヤ人を攻撃する異邦人は死に値する。ユダヤ人を攻撃する事
 は神の前で聖所を襲撃する事である」(Sanhedrin 58b)
 「異邦人に律法(この場合はタルムード)を教える事は禁じられて
 いる」(Hagigah)
 「律法(この場合はタルムード)を研究する異邦人は死に値する」
 (Sanhedrin 59a)
 
 

●世界のタブーを心得てこそ国際化

 ユダヤ戦略について語る事は大変危険だ、と多くの人が私に忠告してくれる。
 過去のユダヤ人の真実を暴露した為に命を落とした人々が多くいたのだろう。だから皆がそう言うのかもしれない。
 実際、世界中でこの様な事件が起きている。何故か。それは当に宗教集団(悪魔ダビデ教徒!忍)のなせる技である。外から見ていると不可解だが、内部の人々はとっては真剣そのもの、これが宗教集団に見られる特徴である。日本でも宗教集団と呼ばれるものは多くあり、やはりこの法律が当てはまる様である。
 が、ユダヤ教(悪魔ダビデ教!忍)においても全くそうである。宗教集団の力が小さければ何等問題はない。しかしそれが大きくなり、政治、経済、マスコミやエネルギーを握り、その信じる所に従って世界支配をしなければならないと使命を持ち出しながら、事は重大である。加速度を増して彼等は世界をファシズムの渦へと巻き込んでしまう。
 再三述べる様に、ユダヤ問題はヨーロッパでは勿論、アメリカでもタブーである。
 世界各地に派遣されている特派員達は、タブーとされている事を日本に打電する事は出来ない。そのマスコミ自身が攻撃を受けるからである。彼等が流すニュースは、知ってか知らずか覆ってしまっている訳である。だから世界のタブーが何であるか知らないと、そのニュースから真実を読み取る事が出来ない。
 日本にも多くのタブーがある。知っているが故に口を開かないのがタブーである。知らないので口を開かないのは只の無知に過ぎない。
 謂ゆる国際化の時代、日本が世界の中を泳いでいかねばならない時、世界のタブーを無知で済ましているなら、やがて足を深みに取られるか、沈んでしまう事だろう。が、タブーをタブーとして知った上で口を噤むなら、生き残れるのである。

 「ヨーロッパを旅行していてドイツに入ると大変心の安らぎ を覚
 える。ドイツ人達の親切さ、家の中の清潔さ、国自体の美しさ・・。
  ドイツはヨーロッパの中のオアシスの様にいつも感じます」

 ある日本人がその様に言った事がある。ドイツを取材で訪れる度に、同じ共感を覚える。
 では、なぜこの様なドイツ人達とユダヤ人達の間に嘗てのホロコーストの様な衝突が起こったのだろうか。
 結局、ドイツ人とアシュケナジー・ユダヤ人との衝突の原因は、この「タルムード」にあったのである。ユダヤ人優位・・・。この発想が生活や商売上で生かされたなら、事は問題である。
 では、「タルムード」はいつごろ出来たのだろうか。
 紀元前586年、イスラエルの12支族の内のユダとベニヤミンの2支族からなるユダ王国が滅亡し、バビロンに捕囚として引かれていった。そして彼等は、そこでバビロンの宗教の影響を多分に受けた。それが取り入れられて「タルムード」となった。
 旧約聖書とはかけ離れたユダヤ教(悪魔ダビデ教!忍)の基礎はこの様にして出来た。
 この「タルムード」ははじめ伝承されていたが、紀元後500年頃、書物となって今日の形を取った。謂ゆる「バビロニア・タルムード」である。これはヘブライ語で書かれていたが、近代になるとヘブライ語の読めないアシュケナジー・ユダヤ人が多くなって来たので英語にも翻訳されたのである。
 それで一般の欧米人でも初めて「タルムード」を読める様になり、その内容に改めて驚く人々も多い。
 
 

●映画『最後の誘惑』はタルムード思想で作られた

 ところで、1988年8月、『キリスト、最後の誘惑』という映画、それも「R」ランク、つまりポルノ(今現代用語ではアダルト範疇)一歩手前のものがアメリカ各地で上映された。だが、その映画に対してアメリカ人から猛烈な抗議が起きた。何故なら、これは「タルムード」発想のイエス像を映画化したものなのである。
 イエスは当時の「タルムード」の影響を受けたユダヤの指導者達を痛烈に批判した。従って、その内容はイエス攻撃に終始している。
   

 この映画がイタリアのベネチア映画祭で上映され様とした時、イタリアの映画監督フランコ・ゼフィレリは次の様に語った。

 「謝りに満ちた醜悪な時代遅れの作品。常にキリスト教世界を吹き
 飛ばそうと考えているロサンゼルス(ハリウッド)のユダヤのクズ
 文化の仕業である」

 それ故、その様な「タルムード」発想の映画が上映される事は、アメリカの根底を揺るがす事にもなりかねないのである。当時アメリカ各地で抗議の声が上がった。
 丁度その時、私はワシントンに滞在していた。
 上映中の映画館へ行くと、キリスト教会のデモ隊が、ある者は演説し、ある者はビラを配ったりして抗議していた。それを多くのテレビ局から遣わされたテレビ・スタッフが取材しており、映画館の前は騒然としていた。
 その日の午後から夜にかけて流されたテレビやラジオのトップ・ニュースは、全てこの話題だった。
 私が友人と共にワシントンの町を車で走っていた時、アナウンサーと聴衆者との会話番組がラジオで流れていた。その時、一人の聴衆者が次の様に言った。

 「今までハリウッドで作られた映画で、どれ程多くの牧師や神父達
 が馬鹿にされて来た事だろうか。彼等は笑いの対照として登場して
 来たのだ。しかし一度もユダヤ教のラビは笑い者になった事がない。
 何故ならその様な映画を作れないのか」

 やはりこの回答も「タルムード」の中にあった。「タルムード」は次の様に言う。

 「ラビの命令は聖書の命令よりも重要である。ラビの命令に従わな
 い者は誰でも死に値し、沸騰している糞の地獄で罰せられる」(Erubin 21b)
 「ラビを冷やかす者は死に値する馬鹿ものである」((Baba Bathra 75a)

 彼等の行動様式や考えは、全て「タルムード」から来ている事が、これによって分かる。
 
 
参考文献
「ユダヤ人と彼等の嘘/仮面に剥がされたタルムード」 マルチン・ルター I・B・プラナイティス師著 歴史修正研究所訳 雷韻出版
「ヘロデの呪いーー暴かれたユダヤ古写本」 ローレンス・D・H・ローレンス等著 林 陽訳 中央アート出版

『仮面に剥がされたタルムード』 I・B・プラナイティス師著
第一部 基督教徒に関するタルムードの教え
 第一章 タルムードの中のイエス・キリスト
  第一節 イエス・キリストの名前について
  第二節 キリストの生涯
       十字架についての注
  第三節 キリストの教え
 第二章 タルムードの中の基督教徒(正統なるユダヤ教徒!愛)
  第一節 タルムードの中で基督教徒に与えられているいくつかの呼び名
  第二節 タルムードは基督教徒について何を教えているか
  第三節 基督教徒の儀式及び礼拝

第二部 基督教徒(正統なるユダヤ教徒!愛)に関するタルムードの戒め
 第一章 基督教徒は忌避されねばならない
  第一節 基督教徒がユダヤ的習慣を分かち合うに値しないが故に
  第二節 何故なら基督教徒は穢れているから
  第三節 何故なら基督教徒は偶像崇拝者であるから
  第四節 何故なら基督教徒は邪悪であるから
 第二章 基督教徒は絶滅されねばならない
  第一節 基督教徒に対し間接的に危害を加えよ
     壱、 基督教徒に善行を施してはならない
     弐、 基督教徒の仕事に対しては損害を与えられねばならない
     参、 基督教徒は法的な事柄によって危害を与えられねばならない
     四、 基督教徒は生活に必要なものに損害を与えられねばならない
  第二節 基督教徒は殺さねばならない
     壱、 最後にタルムードは基督教徒は無慈悲に殺されねばならないと命じる
     弐、 洗礼を受けたユダヤ人は死なねばならない
     参、 君主達取り分けローマの君主(教皇)は殺されねばならない
     四、 最後に彼等(ゴイム(異教徒))最良の部分を含む全ての基督教徒は殺されねばならない
     五、 基督教徒を殺したユダヤ人は罪を犯してはいない。かえって喜ばれる犠牲を神(悪魔ダビデ)に捧げるのである
     六、 エルサレムの神殿破壊後の唯一のなくてはならない生贄は基督教徒の根絶である
     七、 基督教徒を殺す者達は天国で高い位を獲得する
     八、 ユダヤ人はゴイム絶滅を止めてはならない、 彼等を平和にしておいてはならない、彼等に服従してはならない
     九、 全てのユダヤ人達は彼等の中の反逆者を抹殺する為に互いに一つに結び合う義務を負わされている。
     十、 例えどんなに荘厳な祭りでも基督教徒の首を切る事を妨げてはならない
     十一、 ユダヤ人の全ての行動と祈りのただ一つの目的は基督教を破壊する事でなければならない
     十二、 その祈りの中でユダヤ人は復讐に燃えるメシヤの到来を待ち焦がれる、とりわけ過ぎ越しの祭りの前夜には

エピローグ                                                                  以上

 上の内容を実際に念じて行動を起こしたのが、イスラエルをユダヤ王国と考え、そしてダビデ王の再来を考えている悪魔ダビデ教徒(通称ユダヤ教徒)である。上にも書いたが、中心人物は、「ヘロデ王」一族から成り立っている旧南ユダ王国の貴族達の秘密結社「秘密の力」である。其れは、宇野氏が云うアシュケナージユダヤ人ではなく、完全なる
ステファラディ・ユダヤ人の貴族出身である事を忘れてはならない。カザール出身にユダヤ人から始まっていないのは、タルモードの歴史から分かる筈である。宇野氏もユダヤのタルモードに騙されたのである。

ユダヤのタルムード戦略の一つ
イオレ・ディア(157、2 ハガー)
「もしユダヤ人が星の礼拝者であるふりをする事によって、彼等(偶像崇拝者)を騙す事が出来るなら、彼はそうする事を許される」
(この章句は1873年のヴィルナ版にも見られる)
ユダヤ人は基督教徒(というか、異教徒)を有罪とする為に、嘘をつき偽証をしてさしつかえない。
ハブハ・カーマ(113a)
「我々の教えは、以下の様である。ユダヤ人とゴイ(異教徒)が法廷に来た時は、もし出来るならイスラエルの法によって、ユダヤ人の罪を赦免せよ。もしゴイが勝った場合、其れは我々の法律が命じた事であると云う事を彼に告げよ。しかし、もしユダヤ人が異教徒の法によって赦免され得た場合、彼を無罪とし、それが我々の法によるものであると告げるべきである。もしこの事がなされなければ、ラビ、イシュマエルが忠告する様にゴイに対して情け容赦なく訴えを起こすべきである。ラビ、アキブハはしかしながら、神の名を汚したりユダヤ人に偽証を犯させたりしなうように、ユダヤ人は不正手段で行動する事は出来ないと主張している」。
 しかし、欄外の注は、ラビ、アキブハのこの制限を以下の様に説明している。
「神の名はユダヤ人が嘘をついたと云う事をゴイによって知られない時には汚される事はない」(この神は悪魔である)
バブハカーマ(113b)
「例えば、ユダや人がゴイムに対して『私はあなたの父上にある物を与えたが彼は死んでしまった。だからあなたは私にそれを返さねばならない』と云う事によって嘘をつく時、あなたが嘘をついていると云う事をゴイが知らない限り、神の名が汚される事はない」(この神は悪魔である)

参考資料HP