これを徳島県と淡路島の間の淡海とするならば、自然と理解する事が出来る。磯崎山と高島に狭まれた小鳴門海峡をこぎ抜けると淡海に入る。船上からは多くの島々や淡が見えた事であろう。「八十の淡」とは阿波を海上から眺めた光景なのである。
そのような事は多くある。
香具山についてはどうであろうか。
私達は天香具山といえば直ぐに大和三山の1つであると思う。しかし今日の小松島湾の所に香具山がある。
遥かなる昔、即ち『万葉集』が詠まれた時、阿波の国は「倭(和)」と言われ、大和の国の奈良県は大倭と呼ばれていたのである。
「やまとには郡山あれど、とりよろふ天乃香具山 登り立ち、国見をすれば
国原は 煙り立ち立つ 海原は かもめ立ち立つ うまし国ぞ やまとの国は」
倭(ユダ)の国には数多くの山があるが、海原はない。かもめが飛立つ事もありえないのである。
そして天香具山も、阿波国の天香具山を指している事になる。
本来、阿波国にあった地名が主に近畿地方に多く作られ、その他にも作られていった。このようにして阿波の国が隠匿されていっただけでなく、本来の『万葉集』の歌の意味も日本人には分らなくなってしまったのである。言葉を換えればそれほどに阿波の地を隠し、四国山上の世界最高の宝を覆い隠そうとしたのではないか。
(「万葉集」は、悪魔ダビデによって改竄された旧約聖書の中身を真の意味の旧約聖書の内容を伝えているヘブライ語聖書を日本語文法にそって表現された歌謡集。基本的にはヘブライ語で表現されている。内容の中身はJI出版「古代日本と七大天使」に詳述している。そこからヘブライ語の和歌から、標準日本語がどの様に発展、発達していったか、細部に渡っての問題は、研究課題の一つである。そしてもう一つ問題を提起しますと、万葉集の中に語られる地名や山の名には、被実在のものがある事が知られている。これはどう言うことを示すかと申すと、即ち、地名や山の名は、万葉集の中で、ヘブライ文が隠蔽されていく中で作られ、そして、隠蔽された後のその作られた地名や山の名が、日本国内に、それぞれの山や地名として名付けられ、振分けられた、と考える事が出来るわけです。万葉集の中に今も残された非実在の地名や山の名は、その選に漏れたという事である。つまり、万葉集に語られた地名、山の名、河の名を、日本国中に名付ける事、これもヘブライ隠蔽政策一掃政策と新しい日本国へ向けた倭奴(ユダ)国、大和朝廷の新しい政策の一環でもあったと考える事が出来る。勿論、それ以前の古くから存在した地名や、山の名はそのまま、漢字に当字され残された。実例が今まで上文で説明出来る事である!忍)
「ユダヤ人の王として生れた方はは何処にお出でになられるのか。私達
は東の方でその方の星を見たので、拝みにやって来たのである」
これを聞いたヘロデ王は恐れた。エルサレム中の人々も同様であったという。
なぜヘロデ王は恐れたのか。ヘロデ王はユダヤ人ではなかった。イドマヤ人だったのである。此の頃ユダヤ国家はローマ帝国の属国であった。それ故ローマ人はイドマヤ人をユダヤの王として立て、ユダヤ人を統治していたのであった。将に巧みな植民地政策というべきであろう。
ユダヤの新しい王が生れたとなれば、自らの立場が危うくなる。ユダヤ人による反乱が起きるかも分らないと、ヘロデは恐れたのであった。
ヘロデ王は『旧約聖書』の学者達を呼んで「キリスト(救世主、ギリシャ語では『クリスト』)は、どこで生れるのか」と尋ねた。彼等は『旧約聖書』の中の「ミカ書」を聞いて「キリスト(クリスト)はベツレヘムである」と答えたのであった。
直ちにヘロデ王は東方から来たマゴス達を呼んで、彼等から星の出現の時間を聞き出し、
「ベツレヘムに行ってその幼子の事を詳しく調べ、わかったら自分にも教えて頂きたい。自分も行って拝まなければならないから」と言った。
勿論ヘロデ王は拝む爲ではない、その幼子を亡き者にする爲であった。
東方から来たマゴス達は、直ちにベチレヘムへ向った。星が再び彼等を先導して行ったと「マタイ伝」は記録している。
彼等はベツレヘムに着き、イエスがいる家を訪ね当てた。そして母と共にいる幼子イエスを見、ひれ伏して拝んだ。そして彼等は肌身話さず持ってきた宝の箱を開けて、その中から黄金、良い香りのでる乳香、藥である没藥を出して、贈物として捧げた。
東方から来たマゴス達は、其後、夢のお告げでエルサレムに戻る事なく、ヘロデには会わず、別の道から東方へと帰っていったのであった。同時その夜に天使がヨセフに危機を伝え、そのヨセフが母マリヤに伝えて、イエス様と母マリヤと一緒にエジプトへ脱出していったのであった。
怒り狂ったヘロデ王が、ベツレヘムの2歳以下の男子を全て剣で殺したのは、それから数日後の事であった。
「剣山参拝者は栗枝渡神社を参拝しなければその意味がない、と
毎年5月頃より11月頃までの間、白衣の行者姿が、毎日のよう
に『六根清浄(法華經)』を高らかに唱えて長蛇の列が続いていた」
この事からも分るように剣山と栗枝渡神社は一体なのである。
ではなぜ東祖谷村のこの神社が栗枝渡神社と名付けられたのだろうか。
それは「マタイ伝」の東方から来たというマゴス達のベツレヘム訪問と併せて考えれば解ける。
彼等はベツレヘムで幼子イエスに会った。当時のユダヤ国家ではアラム語と共にギリシャ語が、一般の人々の言葉として使われていたのである。
恐らく彼等はエルサレムそしてベツレヘムを訪ねる内に、アラム語と共にクリストという言葉を耳にした事だろう。彼等は救世主イエス様を訪ねて、旅していたからである(もし、正統なる天上界が守っている場所であるならば、基本的にギリシャ語は広まっていると考えられる。ギリシャ文化の基本的なゼウス・アリストテレスを通して、神ヘホバが直接、地球人に法を説いたから、宇野氏が自覚していないのは、日本国家は「神の国」天帝(エホバ)が存在している国であるという自覚がない。「モーセの契約の箱」が日本に在るのもその証の1つに過ぎない事である!忍)。
そして彼等はイザヤの遺言通り、ベツレヘムで生誕したばかりのクリスト即ちイエス・キリスト自身に出会った。
彼等は十分に目的を果すと共に、彼等が持っていった非常に高価な黄金、乳香、没藥を、クリストに捧げたのであった。そして彼等は元来た道を、再び東方に向って帰っていったのである。
即ち彼等の出発点が、この東祖谷村の栗枝渡神社の辺りだったのであろう。
彼等の帰りを待ちわびる多くの人々がいた。当時はイザヤが没して以降、700年しかたっていない(その間に、イザヤの計画が遂行出来る環境を悪魔ダビデが行ったのである。イザヤ書の計画は、神エホバの双子の弟悪魔ダビデの計画であり、天上界は心からは支持する事は無かった。今、現在もイスラエルは、ダビデ王の再来を待っているが、神天上界は、千乃裕子先生を中心に世界の宗教を統一する事を考えている。悪に対して戦いは、許されるけれど、調和のある社会に、わざわざ破壊の道を計画するのは許されないのである。神の言葉を聞きたいならば、今現在は、神の言葉は日本語だけになったのである。イスラエル人は、日本の文化を学び、日本人になる事が救いの道になるのです。それは、キリスト教の正しさとイスラム教の正しさをも学ぶ必要があるのです。あくまでも「宇宙の法」に添っての調和のある社会なのです!忍)。
この剣山山系において、イザヤの精神はまだ生きていたのであった。
このように日本離れした神社も、古代ユダヤとの関係で見るとき、その名の重要性が鮮明なものとなるのである。
「かごめ かごめ
かごの中の 鳥は
いついつ 出やる
夜明けの 暁に
鶴と亀が すべった
後ろの正面 だーれ」
昔、四国・剣山は「鶴亀山」と書いた。
現に剣山山頂に登り、すぐ崖の下を見るならば、自然石で作られた大きな鶴と亀を見つける事が出きる。長い歳月の内に、鶴の首は落ちているが、亀はそのままの形を保っている。
この童歌にも「鶴と亀」が出てくる。その鶴と亀が崩落した時、後ろの正面からそれまで隠されていた物が登場するというのである。
昔、物を覆う時に竹で籠を作り、それを被せた。竹で籠を編むが故に、多くの籠目模様が出来上がる。
鶴と亀が崩落した時、その中から大切なものが登場する。
それはいつの事なのか。
「夜明けの晩に」とある。これは将に不思議な言葉である。夜明けと云えば朝日が昇る時であるから、ますます光が溢れてしかるべきである。しかし夜明けにも関わらず、晩のように暗い状態を指している。
全世界が夜明けを待っているのに、夜明けが来ない状態の時に、鶴と亀は崩落すると言っているのだろうか。
これを剣山に古代ユダヤ最高の秘宝、「モーセ契約の箱」が隠されているとしたならばどうであろうか。
後で詳しく述べる事であるが、その「契約の箱」の上には、金の打ち物作りで出来た翼を広げた二つの天使「ケルビム」があった。これまで日本人の思想には、天使というものはなかった。それ故に遥かなる昔、それを見た人が子孫に伝える時、ケルビムが分からず、翼を広げているが故に鳥と表現したのではないだろうか。
確かに日本の神輿の上には鳳凰が大きな翼を広げている。
「モーセ契約の箱」が剣山に隠されているならば、しかもそれを登場したならば、どれほど世界的発見となり、世界歴史を変える事になるだろうか。
「筆者は自己の研究の学術的価値を実証の爲、昭和11年7月、四
国剣山に登山し、果たして人工なりや否やを実証すべく、その調査を
着手し、その年の12月10日までその研究を継続して帰京し、翌
12年7月に再度登山してその研究を続け、同年12月10日まで
にて打切りとなして帰京、翌13年7月に3回目の登山をなし研究
を継続し、同年12月29日まで山に留まりて、これが実証に没頭
したり。
その同調査の為に地下の発掘延べ485尺(147m)の長さに
及びたり。この研究の内容発表は省略する事とするが、その人工な
る1点の確証は完全に把握したのである」(『四国剣山千古の謎』
四剣山顕彰学会刊)
剣山は標高1955mの山である。それもその山だけではなく、多くの山が連なり、その中の1つとして剣山があるのである。
昔、人々が剣山に近づくだけでも大変な努力を要した事だろう。
この高い剣山は夏であっても夜には気温が下がり、非常に寒くなる。高根氏は夏だけではなく、秋から冬にかけてもこの山頂近くに留っていたのである。しかもそれは数ヶ月に及んだ。
冬の剣山には多くの雪が降る。如何なる自然の苛酷な条件であっても、高根氏の執念を挫折させる事は出来なかった。
彼はその当時、剣山を奥へ奥へと掘っていったのである。血の滲むような労苦、そして多くの費用は費やされた事だろう。そして彼はその目的を果す事が出来た。「その人工なる1点の確証は完全に把握した」のである。
高根氏は続けてこう書いている。
「しかしこの発掘は決して内臓物の発掘の為に非ずして、徹頭徹尾『人工』
の確証であった事をここに名言しておく必要があると思う」(前掲書)
「それから大洪水が40日間、地の上にあった。水かさが増していき、
箱船を押上げたので、それは地から浮び上がった。水はみなぎり、地の
上に大いに増し、箱船は水面を漂った」(「創世記」7章17節、18
節)
箱船は何日も水の上を漂い続けた。そしてやがて雨は止み、水は引出した。箱船が到着したのは、今日トルコとアルメニアとの国境にあるアララテ山腹であった。ノアはその後、新天地で人類の始りを体験する事になる。
それ故7月17日とは、新しい時代の始りを指している。剣山山頂で神輿がかつぎ上げられる7月17日に行う(因みに、八坂神社が7月17日に山鉾巡業が行われているが、それは悪魔ダビデが、わざと京都で昔は、悪霊が人々に病気させて、多くの人が死んで、ノアの箱船の日に疫病が止む様にさせた。そして真のノアの箱船の儀式である剣山山頂での神輿が担上げる儀式を無にさせる目的で行われた。八坂神社が祀っているのは、牛頭大王であり、それはパール神信仰であり、悪魔ダビデを指している。陰陽道で、牛頭大王は、残虐な悪神である事を教えられている。これを著した宇野正美氏は八坂神社が秦氏が行われている事を気付いてユダヤ教と繋げたが、これはユダヤ教でなく、聖書で禁止されているパール神信仰である。同じ神主の秦氏が祀っている伏見稲荷神宮が、素盞鳴尊を正確に午(馬)頭大王として祀っているのでユダヤ教系列である!忍)。
7月17日、剣山山頂に向って神輿は古代ユダヤとどのような関係があるのであろうか。
世界広しと雖も、多くの人々が御神体を担いで練り歩くという習慣がどこにあるのだろうか。そればかりか日本の神輿は、今から3500年前、モーセが『出エジプト記』に書留めた形と大きさがほぼ一致し、飾付けも非常によく似ているのである。
かって古代ユダヤ人達が日本に来ていたと云う事は、今日でも神輿が日本各地でかつぎ上げられ、古代ヘブライ語「エンヤラヤー」(我こそは神を誉め讃えまつらんの意味)」がかけられ、練り歩かれているのを見ても、証明する事が出来るのではないだろうか。
「幕屋の型と幕屋の全ての用具の型とを、私があなたに示すのと全く同
じように作らなければならない。
アカシヤ材の箱を作らなければならない。長さは2キュビト半、幅は
1キュビト半、高さは1キュビト半」(「出エジプト記」25章9、10
節)
ここでいうアカシヤ材とは私達が並木等で見かけるアカシヤではない。砂漠アカシヤである。砂漠アカシヤは多くの棘を持っている。素手で掴む事は難しい。しかし一旦その皮を剥ぐならば、硬質の白い木材を得る事が出来る。
1キュピトとは約44cmである。従って長さ110cm、幅及び高さが66cm。このアカシヤ材で作られた箱は、神輿とほぼ同じ大きさになる事が分る。
「これに純金を被せる。それはその内側と外側に被せなければならない。
その回りには金の飾り縁を作る」(同25章11節)
そのアカシヤ材の箱は純金で覆われていた。
今日、日本で担がれている神輿の全ては、内も外も金で覆われているではないか。それを保存し、担ぐ人々に、神輿はなぜ金で覆わなければならないのかと尋ねてもそれは分らない。しかしハッキリ云える事は3500年前の「出エジプト記」の通り、神輿は金で覆われていると云う事である。
しかもアカシヤ材の周りには、金の飾りぶちが作られているのである。
将に日本の神輿はその通りではないか。
更に神輿は、必ず”担ぐ”という習慣がある。本来、神輿を車に乗せると云う事はない。必ず担がなければならないのである。従って神輿の下には、担ぐ為の棒が縦横に組まれている。
アカシヤ材で作られた「契約の箱」も担がれた。
それ故にその箱の基部には4つの環に棒を通すだけでは担ぐ事が出来ない為、縦横に棒を組んで多くの人が担ぐ事が出来るようにされた神輿であった。しかし今では使っていないにも関わらず、4つの環はそのまま取付けられているのである。
この事は神輿は元々4つの環、及びそこに通した棒で担がれていた事を暗示している。将に「モーセ契約の箱(Ark)」そのものだったのである。
「箱の為に4つの金の環を鋳造し、それをその4隅の基部に取付ける。
一方の側に二つの環を、他の側に他の二つの環を取付ける。
アカシヤ材で棒を作り、それを金で被せる。
その棒は、箱を担ぐ為に、箱の両側にある環に通す」(同上25章12
〜14節)
神輿は夏祭、秋祭に引出されて、担がれる。普通は神社の倉庫にしまい込まれているが、だからと云って神輿に差込まれた棒が抜かれているわけではない。殆どの場合、差込んだままの状態で保存されている。
それと全く同じ様に「モーセ契約の箱」も、棒は箱の環に差込んだままにしておかなければならなかったのである。
「棒は箱の環に差込んだままにしなければならない。抜いてはなら
ない。
私が与えるさとしをその箱に納める。
また純金の『購いのふた』を作る。長さは2キュビト半、幅1キュビト
半」(同上25章15〜17節)
そしてその「契約の箱」の中には、神自身が「私が与える聡」といった10戒が書かれた契約の石板が2枚入れられ、マナという食べ物が入った壺と、モーセの兄のアロンの杖が入れられていたのである。
更に「契約の箱」の上には、箱の上と同じ面積の純金の「購いのふた」というものが置かれていた。その購いのふたの両側に二つの金のケルビムが、打ち物づくりで置かれていたのである。
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東祖谷村、西祖谷村は「平家落人部落」といわれる。
そこには平家の旗なるものが伝わっている。世にいう平家の赤旗である。その平家の赤旗には、二羽のアゲハチョウが向い合い、かつ大きく羽根を広げている姿を描かれている(平家というと「平治の乱」を思い出すけれど、あの当時で本当の問題の戦争は、神との関わりの戦争は「保元の乱」であるのです。其の結果、崇徳上皇の恨みが日本に蔓延されたのです。神は源為朝を通して沖縄に琉球王国を作り、実質的にここから南北朝問題が発生したのです。「保元の乱」の時は、平家も源氏も分裂して戦った戦争なのです。でなぜこれを書いたのかというと東祖谷村、西祖谷村の平家は、桓武天皇の子孫が直接に伝えているのではないかと調べる必要があるのです。それは、平家の没落と無関係であるのではないかと考えているのです。桓武天皇と云えば、空海と深く関係があるのです!忍)。 はるかなる昔、「契約の箱」の二つのケルビムを見た人々は、そのままを表現する事が出来なかった。ある人は鳳凰として、ある人は二羽の羽根を広げたアゲハチョウとして伝えたのではないだろうか(自分は黙示として表現したのではないかと考えている!忍)。
「槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。
一つのケルプは一方の端に、他のケルプは他方の端に作る。ケルビム
を『贖いのふた』を覆うようにする。互いに向い合って、ケルビムの頭
が『贖いのふた』に向うようにしなければならない」(同25章18節
〜20節)
今から3500年前、古代ユダヤ人はエジプトを出て、砂漠の旅を続けていた。そしてシナイ山で宇宙の法則を預る天帝(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がいう唯一絶対の神を指している!忍)が、神と古代ユダヤ人との契約の印として、「契約の箱」を作るようにと命じたという。
神はモーセにその原型を示した。モーセがその通りに作ったものが「モーセ契約の箱」と云われるものである。
これに比べるものは他にはない。その原型となるものを、世界中何処においても見出す事は出来ないのである。しかし只日本においてのみ、昔から日本人が崇めてきた神輿にそれを見出す事が出来るのである。
日本人が独自で神輿を考え出したのではなく、日本に伝えられた「モーセ契約の箱」(アーク)を模倣して作り、それが日本に広がっていったのであろう。
古代ユダヤ人はその「契約の箱」を大切にした。モーセの命令通り、それを肩に担ぎ、力の限り神を誉め讃えつつ練り歩いたのであった。
21世紀を迎えようとする今日、日本各地でそれと同じ様に光景を見る事が出来るのである。
「剣山への素朴な信仰は、修験道の霊山(大日如来)と崇められ
るずっと以前からのものだったと考えられる。つまり修験道の行
場としての剣山の性格性、即ち厳しい自然を持つ登山困難な山と
いう意味だが、それだけの理由で修験道がこの山を求めたとは考
えにくい(修験道の修業は、神から霊能力を頂ける為に、そして
仏法でいうと金剛力を頂けるための修行として実行しているので
す。これはブッダ様が行者の寓として批判されているが、当時空
海様が此の近くに霊界の結界を張ったので、それと霊現象を起し
たのではなかろうか。今、霊現象を科学的に明かすのが、千乃裕
子先生が出す『超物理現象を物理学解明』に証されるのです)。
剣山の側で、既にある種の信仰を集め得たからこそ、修験道をも
招く事が出来たと考える方がよいと思われる」
剣山は修験道の霊山になる前から、非常に崇められていた山だったのである。
四国は殆どが山である。しかも高い山々が連なっている。平野は少なく、盆地は殆どないといっても良いだろう。
JR土讃線に乗って高知を出発して、間もなく列車は山間に入る。それもV字型の谷底をはうように走り続けていく。
筆者も、今から20数年前、その土讃線に乗ったとき、車窓から見上げるようにしてV字型の切立った山肌を見上げた事があった。そこには家がへばりつく様に建てられているではないか。
どうして人々はそのような場所に家を建てるのか、どの様にしてそこに行くのか、生活はどうしているのか、水はどの様にして得ているのか等と思い巡らしたものである。
四国以外の人々は筆者と同じように、東祖谷村、西祖谷村の山肌に立つ家々を見てその様に考えるものである。
ここで大切な事は四国を思う時、四国以外の人々はその考え方を逆転させなければならないという事である。
即ち四国の人々は、遥か昔から山の尾根を古代の幹線道路が走っていたのである。
当時、人々は山の尾根づたいに移動していた。山の尾根を古代の幹線道路が走っていたのである。
東祖谷村、西祖谷村では、今は谷にそって道路が走っている。しかしその道路は大正年間に開通したに過ぎないのである。
人々は尾根づたいに移動し、尾根にそって家を建て、焼畑等をして何不自由なく生活していたのである。
例えば徳島県山城町の塩塚高原にはカヤ等の雑草が生茂っているだけで、木は一本も生えていない。展望台から塩塚峠(標高1043m)までの約1Kmに亘る道は、尾根づたいの道である。このような道が四国の山の頂上近くの至る所にある。これが古代の幹線道路だったのである。
「四国の山々は往古から明治の頃まで山焼き風習が続いていて、大体
中原から上には木がなかったのである。そして山上に飲料水用の大き
な溜池を無数に造り、人々は山上に住んでいた。四国の山上からは既
に多数の遺跡や遺物が見つかっている。現在も山上に村落が多いのは、
その余波なのである」(『四国は死国にされていた』倭国研究所刊)
確かに四国山上には多くの池がある。それも一目で人工の池であると分るのである。
日本文芸社 宇野正美著『古代ユダヤは日本で復活する』P46に掲げた写真は、剣山に至る見越峠近くにある夫婦池である。標高1000m以上の所になぜこの様な池を造る必要があったのか。とても水田の為に造ったとは思えない。現にこの様な山の上に池を造った所で、どのようにして水田に引く事が出来るだろうか。
これは生活用水であると共に、身を清める為のものであったと思われる。
大杉博氏によると四国山上には周囲が1Kmもある巨大な池跡から、小は30平方m程の池跡まで無数の池が存在するという。
大杉氏は調べ尽した。そするとそのような池及び池の跡は四国山上に約200カ所程もあるという。そしてこれらの池は例外なく、山頂や尾根の頂上部、更には段丘の上等に存在している場合が多いのである。
どの道も、造られたという言伝えを残してはいないが、弥生式土器が発掘されている事から、弥生時代以前に造られたものであると分る。
四国では幹線道路を確保する為に山の上には木を植える事なく、山焼きの習慣をほぼ近年に至るまで保っていた。剣山もしかり、次郎笈もしかりである。
今日でも祖谷地方の農村では焼畑でソバを栽培している。そのソバから作った純ソバ粉、干ソバ、生ソバ等、将に素朴な味で大好評である。
そのような日、筆者(宇野正美氏)がスタッフと共に剣山山頂に上がった時、そのスタッフは思わず次のように言った。
「これはパレスチナの地形と非常によく似ている」
将にその通り、古代ユダヤ人達の古里パレスチナと四国山上は地形が非常によく似ているのである。
今、問題となっているイスラエルのエルサレムは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地である。このエルサレムはどのような町であるのだろうか。
エルサレムは800mの山上にある。パレスチナでは人々は皆山の上に住んでいる。
約2000年前、イエス・キリストは次のように言った。
「あなた方は、世界の光です。山の上にある町は隠れる事が出来ません。
・・・この様にあなた方の光を人々の前で輝かせ、人々があなた方の良い
行いを見て、天におられるあなた方の父を崇めるようにしなさい」(「マ
タイ伝」5章14、15節)
この後、宇野氏は「イヤサカ」について述べていますが、いけにえの儀式は悪魔ダビデ、大サタンが起させた儀式なので、この悪しき風習は無くすのが、賢明であるのです。ユダヤ人の象徴である割礼も同じです。