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法華経 ー (ムー大陸の聖なる蓮の花の教え、聖なる霊感の書、心の垢を洗い流す教え)

 

佛所護念会の紫紺の教え(佛所護念会(お釈迦様が負託した宗教団体)の基本的な法華経の教えの現在の漢字表現)

「無上甚深御妙の法は
 百千万劫にも遭いたてまつること難し
 我今見聞し受持することを得たり
 願わくば如来の第一義を解せん
 
 南無妙法蓮華経

 南無東方善徳佛(ムー大陸の天王の流れを受け継いでいる沖縄王族の子孫で源為朝の子孫の北面武士の総大将の千乃裕子先生の所にいらっしゃるミカエル大王様) 
 南無久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊(お釈迦様)
 南無証明法華之多宝如来(エル・ランティ様)
 南無十方分身諸佛(「十方」と書いてあるから10人を指すのではないでしょうか。そうすると数が揃います。上のお釈迦様を入れると救世の神々11人揃います。そうなると、
 ミカエル大王様、ガブリエル次期大王様、ラグエル様、パヌエル様、ラファエル大王補佐様、ウリエル大王補佐様、サリエル様、イエス様、モーセ様を指しているのではないでしょうか!忍)

追加

アポロ様、最澄様、空海様、空華様、聖観音様

(これらのお方は、9次元の人達ですから法華経教徒にとっては大切にしなければならないお方です!忍)ここで、日蓮聖人が空海様を激しく批判をしているので、エル・ランティ様から注意されているが、しかし、純粋に神であるお釈迦様の教えである佛教は、明らかに法華経第一と言っているのです。そして、日蓮聖人は、佛教徒は、お釈迦様を第一にして、教典の第一である法華経を大切にし、「大日如来」は架空であると説いたのです。事実、佛教はお釈迦様が説いた教えですから。只、空海様の親は、ゼウス様であり、そしてゼウス様は、法華経でいう南無証明法華之多宝如来が直接指導したお方であるから、ここも注意しなければならない。基本的には、空海様は、佛教徒ではなく、ユダヤ教徒に近いのです。直接大梵天様から教えを受けているのです。日蓮聖人は間違っているのかというと、間違っていないのです。純粋に佛教徒であったと言う事です。天帝であるエルランティ様が直接指導した空海様の事績の中で、四国の剣山に霊界の結界を貼った事です。ミカエル様がいう日本が正統なるユダヤ教の証明である契約の箱(アーク)の存在は、やはり、ユダヤ教の正統なる神であり、法華之多宝如来であるエル・ランティ様が直接指導した空海様が結界した剣山にあるのではないでしょうか。前に自分は、伊勢神宮に置いてあるのではないかと考えたが、イエス様の教えの基本は、悪魔ダビデが間接に指導しているから、ダビデを正統化する為に、偽物を置いてあるでしょう。剣山に置いてあると言った宇野氏の本の中は、基本的にミカエル大王様が指導したルターを大切にしている人ですから善霊が導いているのではないでしょうか。後もう一つ現象として、ここHPで契約の箱を「伊勢神宮」にあると書いたら、自分の家に雷が落ちた。雷を落とすより口で間違いを説明して頂いた方が嬉しく思うけれど!忍)。

 一天四海皆帰妙法
 南無法華経弘通大導師真の高祖日蓮大菩薩(ここから、日蓮聖人は「大菩薩」と書いてあるから、明らかに「如来」とは言っていません。これにより、「天国の証」で書いたミカエル大王様の言葉は「嘘」になるのです!忍)
 南無大慈悲深義常不軽菩薩
 南無仁生院法正晃浄行秀理迦葉徳善士(佛所護念会を開いた会長先生)
   仁生院妙慈無上施常精進徳大善女(2代目の女会長先生)
 南無無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩、南無普賢菩薩、文殊師利菩薩、薬王菩薩、薬上菩薩、弥勒菩薩、勇施菩薩、常精進菩薩、妙音菩薩、観世音菩薩、勢至菩薩、千手観世音菩薩、南無鬼子母尊神、十羅刹女、南無不動明王、愛染明王、南無七面大明神、南無大持国天王、南無大毘沙門天王、南無大広目天王、南無大増長天王、南無大梵天王、帝釈天王、沙竭羅龍王女、南無当地産神、南無諸大菩薩諸天善神
 南無妙法蓮華経

 回向唱
 唱え奉る経典は、極めて大威神の力ましまして、文理真正に尊にして過上なし。三世の諸佛の守護したもう所、衆魔・群道得入すること有ること無し。一切の邪見生死に壊敗せられず。是の功徳力を以ての故に先祖代々過去帳一切今日命日に当る精霊、志す所の有縁無縁の諸精霊、家内一同の者心得違い思い違い、不知不識(しらずしらず)に犯したる罪咎は、霜露の如く消滅作さ令め給え。今謹みて読誦し奉る、諸佛諸天来臨擁護なさ令め給え。
 南無妙法蓮華経

 無量義経十功徳品第3
  佛の言わく。善男子、汝、是の経は何れの所よりか来り、去って何れの所にか至り、住って(とどまって)何れの所にか住すると問わば、当に善く諦かに(あきらかに)聴くべし。善男子、是の経は本諸佛の室宅の中より来り、去って一切衆生の発菩提心に至り、諸々の菩薩所業の盧(処)に住す。善男子、是の経は是の如く来たり是の如く去り是の如く住したまえり。此の故に、此の経は能く是の如き無量の功徳不思議の力あって、衆をして疾く無上菩提を成ぜしむ。佛の言わく、善男子、第一に、是の経は能く菩薩の未だ発心せざる者をして菩提心を発さしめ、慈仁なき者には慈心を起さしめ、殺戮を好む者には大悲の心を起さしめ、(姦婬(邪婬)の心を生ずる者には、配偶者を愛し裏切らない心を起さしめ、忘恩を為す者には、恩人の苦労を学ぶ心を起さしめ、肉食を愛する者には穀食の心を起さしめ!忍)、嫉妬を生ずる者には随喜の心を起さしめ、愛著(愛着)ある者には能捨の心を起さしめ、諸々の慳貪の者には布施の心を起さしめ、驕慢多き者には持戒の心を起さしめ、瞋恚(しんに)盛んなる者には忍辱(にんにく)の心を起さしめ、懈怠を生ずる者には精進の心を起さしめ、諸々の散漫の者には禅定の心を起さしめ、愚痴多き者には智恵の心を起さしめ、未だ彼を度する(迷いから救う)事能わざる者には彼を度する心を起さしめ、十悪(殺生・偸盗(盗み)・邪婬(姦婬であり、正式な配偶者(婚約者も含む)以外との性交渉する事)・妄語(偽り)・綺語(巧みに偽り飾った語)・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・愚癡(愚痴)の十種を言う!忍)を行ずる者には十善の心を起さしめ、有為を楽(ねが)う者には無為の心を志さしめ、退心ある者には不退の心を作さしめ、有漏を為す者には無漏の心を起さしめ、煩悩多き者には除滅の心を起さしむ。善男子、是の経の第一の功徳不思議の力と名付く。

 妙法蓮華経方便品第二
 その時に世尊、三昧より安祥として起って、舎利弗に告げたまわく、諸佛の智恵は甚深無量なり。其の智恵の門は難解難入なり。一切の聲聞辟支佛の知ること能わざる所なり。所以は何ん、百千萬億無数の諸佛に親近し、尽くして諸佛の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞こえたまえり。甚深未曽有の法を成就して、宜しきに随って説きたもう所、意趣解り(さとり)難し。舎利弗、吾成佛してより已来(このかた、以来)、種々の因縁・種々の譬喩(比喩)をもって、広く言教を演べ、無数の方便をもって、衆生を引導して諸々の著を離れしむ。所以は何ん、如来は方便・知見・波羅密、皆已に具足せり。舎利弗、如来の知見は広大深遠なり。無量無礙・力・無所畏・禅定・解脱・三昧あって深く無際に入り、一切未曾有の法を成就せり。舎利弗、如来は能く種々に分別し、巧に諸法を説き、言辞柔軟にして悦可せしむ。舎利弗、要を取って之を言わば、無量無辺未曾有の法を、佛悉く成就したまえり。止みなん、舎利弗、復説くべからず。所以は何ん、佛の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯佛と佛と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。

 妙法蓮華経法師品第十
 若し善男子・善女人あって、如来の滅後に四衆の為に是の法華経を説かんと欲せば、云何してか説くべき。是の善男子・善女人は、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の(この)経を説くべし。如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり。是の中に安住して、然して後に不懈怠の心を以て、諸々の菩薩及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし。
 
 妙法蓮華経見宝塔品第十一
 諸々の善男子、我が滅後に於て、誰か能く此の経を、受持し読誦せん。今、佛前に於て、自ら誓言を説け。此の経は持ち難し。若し暫くも持つ者は、我即ち歓喜す。諸佛も亦然なり。是の如きの人は、諸佛の歎めたもう所なり。是れ則ち勇猛なり。是れ則ち精進なり。是れを戒を持ち、頭陀を行ずる者と名付く。即ち為れ疾く無上の佛道を得たり。

 妙法蓮華経提婆逹多品第十二
 諸々の衆生の為に、大法を勤求して、亦己が身、及び五欲の楽の為にせず、故(かるがゆえ)に大国の王と為って、勤求して此の法を獲て、遂に成佛を得ることを致せり。佛諸々の比丘に告げたまわく、未来世の中に若し善男子・善女人あって、妙法華経の提婆逹多品を聞いて、浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の佛前に生ぜん。

 妙法蓮華経如来寿量品第十六
 我佛を得てより来(このかた)、経たる所の諸々の劫数、無量百千萬億載阿僧祇なり。常に法を説いて、無数億の衆生を教化して、佛道に入らしむ。爾し(しかし)より来(このかた)無量劫なり。衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず。而も実には滅度せず、常に此に住して法を説く。我常に此に住すれども、諸々の神通力を以て、転倒衆生をして、近しと雖も(いえども)而も見ざしむ。衆我が滅度を見て、広く舎利を供養し、咸く皆恋慕を懐いて、渇仰の心を生ず。衆生既に信伏し、質直にして意(こころ)柔軟に、一心に佛を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜まず。時に我及び衆僧、倶に霊(靈)鷲山に出ず。我時に衆生に語る、常に此にあって滅せず、方便力を以ての故に、滅不滅ありと現ず。
 余国に衆生の、恭敬し信楽する者あれば、我復彼(か)の中に於て、為に無上の法を説く。汝等此れを聞かずして、但我滅度すと謂えリ。我諸々の衆生を見れば、苦海に没在せり。故に(かるがゆえに)為に身を現ぜずして、其れをして渇仰を生ぜしむ。其の心恋慕するに因って、乃ち出でて為に法を説く。神通力是の如し。阿僧祇劫に於て。常に霊鷲山及び余の諸々の住処あり。衆生劫尽きて、大火に焼かるると見る時も、我が此の土は安穏にして、天人常に充満せり。園林諸々の堂閣種々の宝をもって荘厳し、宝樹花果多くして衆生の遊楽する所なり。諸天天鼓を撃って、常に諸々の伎楽を作し、曼陀羅華を雨らして、佛及び大衆に散ず。
 我が浄土は、毀れざるに、而も衆は焼き尽きて、憂怖諸々の苦悩、是の如き悉く充満せりと見る。是の諸々の罪の衆生は、悪業の因縁を以て、阿僧祇劫を過ぐれども、三宝の名を聞かず。諸々の有ゆる功徳を修し、柔和質直なる者は、則ち皆我が身、此にあって法を説くと見る。或時は此の衆の為に、佛寿無量なりと説く。久しくあって乃し佛を見たてまつる者には、為に佛には値い難しと説く。我が智力是の如し、恵光照らすこと無量に、寿命無数劫、久しく業を修して得る所なり。汝等智あらん者、此に於て疑いを生ずることなかれ。當に断じて永く尽きしむべし。
 佛語は実にして虚しからず。医の善き方便をもって、狂子を治せんが為の故に、実には在れども而も死すというに、能く虚妄(こもう)を説くものなきが如く、我も亦為れ(これ)世の父、諸々の苦患を救う者なり。凡夫の転倒せるを為て、実には在れども而も滅すと言う。常に我を見るを以ての故に、而もきょうしの心を生じ、放逸にして五欲に著し、悪道の中に堕ちなん。我常に衆生の、道を行じ道を行ぜざるを知って、度すべき所に随って(したがって)、為に種々の法を説く。毎に自ら是の念を作す、何を以てか衆生をして、無上道に入り、速かに佛身を成就することを得せしめんと。

 妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十
 過去に佛いましき、威音王と号(名付)けたてまつる。神智無量にして、一切を将導したまう。天・人・龍神の、共に供養する所なり。是の佛の滅後、法尽きなんと欲せし時、一人の菩薩あり。常不軽と名(名付)く。時に諸々の四衆、法に計著せり。不軽菩薩、其の所に往き至って、而も之に語って言わく、我汝を軽しめず、汝等道を行じて、皆當に作佛すべしと。諸人聞き已(おわ)って、軽毀(きょうき)罵詈(めり)せしに、不軽菩薩能く之を忍受しき。其の罪畢(終)え已(おわ)って、命終の時に臨んで、此の経を聞くことを得て、六根清浄なり。神通力の故に、寿命を増益して、復諸人の為に、広く是の経を説く。諸々の著法の衆、皆菩薩の教化し成就して、佛道に住せしむることを蒙る。不軽命終して、無数の佛に値いたてまつる。是の経を説くが故に、無量の福を得、漸く功徳を具して、疾く佛道を成ず。彼の時の不軽は、則ち我が身是れなり。時の四部の衆の、著法の者の、不軽の汝當に、作佛すべしというを聞きしは、是の因縁を以て、無数の佛に値いたてまつる。此の会の菩薩、五百の衆、并及に(ならびに)四部、清信士女の、今我が前に於て、法を聴く者是れなり。我前世に於て、是の諸人を勧めて、斯の経の第一の、法を聴受せしめ、開示して人を教えて、涅槃に住せしめ、世世に是の如き、経典を受持しき。億億萬劫より、不可議に至って、時に乃し、是の法華経を聞くことを得。億億萬劫より、不可議に至って、諸佛世尊、時に是の経を説きたもう。是の故に行者。佛の滅後に於て、是の如き経を聞いて、疑惑を生ずることなかれ。応當(まさ)に一心に、広く此の経を説くべし。世世に佛に値いたてまつりて、疾く佛道を成ぜん。
 
 妙法蓮華経如来神力品第二十一
 佛の滅度の後に、能く此の経を持(たも)たんを以ての故に、諸佛皆歓喜して、無量の神力を現じたもう。

 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五
 世尊は妙相具(備)わりたまえり。我今重ねて彼を問いたてまつる。佛子何の因縁あってか、名(名付)けて観世音とする。妙相を具足したまえる尊、偈をもって無盡意に答えたまわく。汝観音の行を聴け、善く諸々の方所に応ずる、弘誓の深きこと海の如し。劫を歴とも思議せじ。多千億の佛に侍(つか)えて、大清浄の願を発(おこ)せり。我汝が為に略して説かん。名を聞き及び身を見、心に念じて空しく過ぎざれば、能く所有の苦を滅す。假使害の意を興して、大いなる火坑に推し落されんに、彼の観音の力を念ぜば、火坑変じて池と成らん。或は巨海に漂流して、龍・魚・諸鬼の難あらんに、彼の観音の力を念ぜば、波浪も没すること能わじ。或は須彌(しゅみ)の峯に在って、人に推し墜されんに、彼の観音の力を念ぜば、日の如くにして虚空に住せん。或は悪人に逐われて、金剛山より堕落せんに、彼の観音の力を念ぜば、一毛をも損ずること能わじ。或は怨賊の繞んで、各々刀を執って害を加うるに値わんに、彼の観音の力を念ぜば、咸く即ち慈心を起こさん。或は、王難の苦に遭って、刑せらるるに臨んで寿終らんと欲せんに、彼の観音の力を念ぜば、刀尋いで(ついで)段々に壞(お)れなん。或は枷鎖(かさ、首かせと鎖)に囚禁せられて、手足にちゅう械を被らんに、彼の観音の力を念ぜば、釈然として解脱することを得ん。呪詛(しゅそ)諸々の毒薬に身を害せんと欲せられん者、彼の観音の力を念ぜば、還って本人に著きなん。或は悪羅刹・毒龍・諸鬼等に遭わんに、彼の観音の力を念ぜば、時に悉く敢て害せじ。若しは悪獣圍繞して、利き牙爪の怖るべきに。彼の観音の力を念ぜば、疾く無辺の方に走りなん。がん蛇及び蝮蠍(まむし・さそり)、気毒煙火の燃ゆるがごとくならんに、彼の観音の力を念ぜば、声に尋いで自ら回り去らん。雲雷鼓掣電し、霰(あられ)を降らし大なる雨を注がんに、彼の観音の力を念ぜば、時に応じて消散することを得ん。衆生困厄を被って、無量の苦身を逼めんに、観音妙智の力、能く世間の苦を救う。神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸々の国土に刹(くに)として身を現ぜざることなし。種々の諸々の悪趣、地獄・鬼・畜生、生・老・病・死の苦、以て漸く悉く滅せしむ。真観・清浄観・広大智恵観・悲観及び慈観あり。常に願い常に瞻仰すべし。無垢清浄の光あって、恵日諸々の闇を破し、能く災の風火を伏して、普く明かに世間を照らす。悲体の戒雷震のごとく、慈意の妙大雲のごとく、甘露の法雨を注ぎ、煩悩の炎を滅除す。諍訟して官処を経、軍陣の中に怖畏せんに、彼の観音の力を念ぜば、衆の怨(あだ)悉く退散せん。妙音観世音・梵音海潮音・勝彼世間音あり。是の故に須らく常に念ずべし。念念に疑を生ずることなかれ。観世音浄聖は、苦悩・死厄に於て、能く為に依怙と作れり。一切の功徳を具して慈眼をもって衆生を視る。福聚の海無量なり。是の故に頂礼すべし。

 妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八
 普賢、若し如来の滅後後の五百歳に、若し人あって法華経を受持し読誦せん者を見ては、是の念を作すべし。此の人は久しからずして當に道場に詣(けい)して諸々の魔衆を破し、阿耨多羅三藐三菩提を得、法輪を転じ法鼓を撃ち、法雨を雨らすべし。當に天・人・大衆の中の師子法座の上に坐すべし。
 普賢、若し後の世に於て是の経典を受持し読誦せん者は、是の人復衣服・臥具・飲食・資生の物に貪著せじ。所願虚しからじ。亦現世に於て其の福報を得ん。若し人あって之を軽毀して言わん。汝は狂人ならくのみ、空しく是の行を作して終に獲る所なけんと。是の如き罪報は當に世世に眼なかるべし。若し之を供養し讃歎することあらん者は、當に今世に於て現の果報を得べし。若し復、是の経典を受持せん者を見て其の過悪を出さん。若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、此の人は現世に百癩の病を得ん。若し之を軽笑することあらん者は、當に世世に牙歯疎き缺け、醜唇・平鼻・手脚繚戻し、眼目角らいに、身体臭穢にして、悪瘡・膿血・水腹・短気・諸々の悪重病あるべし。是の故に普賢、若し是の経典を受持せん者を見ては、當に起って遠く迎うべきこと、當に佛を敬うが如くすべし。

 佛説観普賢菩薩行法経
 若し眼根の悪有って、業障の眼不浄ならば、但當に大乗を誦し、第一義を思念すべし。是れを眼(まなこ)を懺悔して、諸々の不善業を尽くすと 名(名付)く。耳根(にこん)は乱声を聞いて、和合の義を壊乱す。是れに由って狂心起すこと、猶お痴(おろか)なる猿猴(おんこう)の如し。但當に大乗を誦し、法の空無想を観ずべし。永く一切の悪を尽くして、天耳をもって十方を聞かん。鼻根は諸香に著して、染(ぜん)に随って諸々の触を起す。此の如き狂惑の鼻、染に随って諸塵を生ず。若し大乗経を誦し、法の如実際を観ぜば、永く諸々の悪業を離れて、後世に復生ぜじ。舌根は五種の、悪口の不善業を起す。若し自ら調順せんと欲せば、勤めて慈悲を修し、法の真寂の義を思うて、諸々の分別の想無かるべし。心根は猿猴の如くにして、暫くも停まる時有ること無し。若し折伏せんと欲せば、當に勤めて大乗を誦し、佛の大覚身、力・無畏の所成を念じたてまつるべし。身は、為れ機関の主、塵の風に随って転ずるが如し。六賊中に、自在にしてさわり無し。若し此の悪を滅して、永く諸々の塵労を離れ、常に涅槃の城に処し、安楽にして心憺怕(淡泊)ならんと欲せば、當に大乗経を誦して、諸々の菩薩の母を念ずべし。無量の勝方便は、実相を思うに従って得。此の如き等の六法を、名(名付)けて六情根とす。一切の業障海は、皆妄想より生ず。若し懺悔せんと欲せば、端坐(座)して実相を思え。衆罪は霜露の如し、恵日能く消除す。是の故に至心に、六情根を懺悔すべし。

 祈願唱
 諸佛世尊は常に世に住在したもう。我業障の故に方等を信ずと雖も、佛を見奉ること了(あきらか)ならず。今佛に帰依したてまつる。唯願わくば南無釈迦牟尼佛正遍知世尊・南無多宝如来・南無十方分身諸佛・南無高祖日蓮大菩薩・南無大慈悲深義常不軽菩薩・南無諸大菩薩諸天善神願わくば慧眼の法水を以て、我等一同の者の業障の六根を洗除し清浄ならしめ。我等を助護したまえ。今日方等経典を受持したてまつる。乃至失命し設い地獄に堕ちて無量の苦を受くとも、終に諸佛の正法を毀謗せじ。我今日に於て菩提心を発しす、此の功徳を以て普く一切を度せん。

 平等大惠 教菩薩法 佛所護念 広宣流布

( それから、佛所護念会の正統性は、法華経の品第11の妙法蓮華経見宝塔品第十一のP213の「善哉善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・佛所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたもう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊所説の如きは皆是れ真実なり。」と、説いています。
「平等大慧・教菩薩法・佛所護念」 = 「GLA」ですか。「妙法華經」 = 「般若心經」ですか。高橋信次氏は、「法華経」を説いていないのです!忍)

仰ぎ 願わくば此の功徳を以て
    普く一切に及ぼし
    我等と衆生と
    皆共に佛道を成ぜん

 南無妙法蓮華経

佛所護念会の人たちと協力するべきだと思います。
日蓮聖人は、親孝行を説いたのです。
そして、教えの基本は親孝行(法華経は内典の孝典である。親孝行の延長上に先祖供養があるのです。)を説いたのです。

「親は十人の子を養えども子は一人の母を養う事なし」
「心の内に父をあなずり母をおろそかにする人は地獄その人の心の内に候」
「子にすぎたる宝なし子にすぎたる戝なし」
「妙法なるが故に人貴し人貴きが故に所貴し」
「浄土といい穢土というも土に二つの隔てなしただ我等が心の善悪によると見えたり」
「世をあわれみ人を助けよこれわが罪を消し行く末の悪をのがるる道なり」
「一日の命は三千界の戝にもすぎて候なり」
「孝と申すは高なり、天高けれども孝よりは高からず、また孝とは厚なり、地厚けれども孝より厚からず。聖賢の二類は孝の家より出でたり。何に況や佛法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。佛弟子は必ず四恩を知って、知恩報恩を致すべし。」(開目鈔)
「佛法(千乃正法!忍)を習う身には、必ず4恩を報ずべきに候か。一には一切衆生の恩。二には父母の恩。三には国王の恩。四には三宝の恩。(三宝とは佛の恩・法の恩・僧の恩を云う)」(四恩鈔)
「世に四恩あり。之を知るを人倫を名け、知らざるを畜生とす」(聖愚問答鈔)
「孝養に三種あり。衣食を施すを下品とし、父母の意に違わざるを中品とし、功徳を回向するを上品とす(神佛から功徳を頂ける方向に法施する事!忍)。存生の父母にだに尚功徳を回向するを上品とす。況んや亡親に於ておや」(十王讃歎鈔)
「世を安んじ、国を安んずるを、忠となし、考となす」(一昨日御書)
「まず臨終の事を習うて後に他事習うべし」
「たとい貧なりとも信心強うして深からんは佛に成らんこと疑いあるべからず」
「それ一切衆生の尊敬すべきもの三つあり主師親これなり」
「わざわいは口より出でて身を破り幸いは心より出でて我を飾る」
「天晴れぬれば地明らかなり法華(天地大自然の法)を識る者は世法を得べきか」
「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財よりも心の財第一なり」
「法華經を一字一句も唱えまた人にも語り申さん者は教主釈尊の御使いなり」
「女人は水の如し。器物に従う。女人は矢の如し。弓に番はる。女人は船の如し、楫(かじ)の任するに依るべし。而るに女人は夫盗人なれば女人盗人となる。夫王なれば女人后となる。夫善人なれば女人佛になる。今生のみならず後生も夫に依るなり。」(桟敷女房御返事)
「矢の走る事は弓の力、雲の行く事は龍の力、夫の仕業は女の力なり。今富木殿の是へ御渡りある事、尼御前の御力なり。煙を見れば火を見る、雨を見れば、龍を見る。夫を見れば女を見る。今富木殿に見参仕れば、尼御前を見奉ると覚う。富木殿の御物語り候は『此のはわ(母)の嘆きの中に、臨終の能く御座せしと、尼が能く当り看病せし事の嬉しさ、何の世に忘るべしとも覚えず』と悦ばれ候なり。」(富木尼御前御返事)
「日本国と申すは天照大神(ヘフジバ様)の日天にてまします故なり」(撰時妙)
「此国は神国也。天神七代地神五代の神々(皇祖神)その他諸天善神等は一条擁護の神明なり。然も法華経を以て食を為し、正直を以て力と為す。ー神の為め君の為め一切衆生の為に言上せしむる所なり」(与北条時宗書)
「所詮天下泰平国土安穏は君臣の願ふ所土民の思ふ所なり、夫国は法に依て昌へ法は人に因って貴し、国亡び人滅せば佛を誰か崇むべき。法を誰か信ずべけんや。先ず国家を祈りて須らく佛法(法華經=天地大自然の真理)を立つべし。
 若し災を消し難を止むるの術ありや否や、予は是れ頑愚にして敢て件を賢を存せず、唯経文について所存を述べん。そもそも治術の旨内外の間、その文幾多(いくはく)ぞや具(つぶ)さに挙ぐべきこと難し。但し佛道に入って、しばしば愚案を回らすに謗法(今現在平成の時代は、ユダヤ・マルクス共産主義を支持している宗教団体、過去の宗教の歴史を偽っている団体!忍)の人を禁(いまし)めて正道の侶(ともがら)を重んぜば国中安穏にして天下泰平ならん。(中略)
 今生後生誰か慎まざらん、誰か和せざらん。この経文(法華経)を披(ひら)きて具さに佛語を承るに誹謗の科(とが)至って重く毀法の罪誠に探し。我一佛を信じて諸佛を抛ち(放ち)(此の行動は、日蓮聖人の過ちです。法華経の経文には、御釈迦様だけが、「法華経」を説いたとは書いていないのです。確かに御釈迦様は、「法華経」を説いたが、其れは、法華経を説いた過去の16佛の一人であると「法華経」の経文には書いてあるのです。『妙法蓮華経化城喩品第7』の所で「阿しゅく」佛、「須彌頂」佛、「師子音」佛、「師子相」佛、「虚空住」佛、「常滅」佛、「帝相」佛、「梵相」佛、「阿弥陀」佛、「度一切世間苦悩」佛、「多摩羅跋栴檀香神通」佛、「須彌相」佛、「雲自在」佛、「雲自在王」佛、「壊一切世間怖畏」佛(ミカエル大王様)、「釈迦牟尼」佛の16人王子・王女の内の一人に入るのです。そして、日本は「東北」の地であるので、御釈迦様がいらっしゃるので、其の意味で日蓮聖人が御釈迦様を中心に立てたのは正しいのです。法然、親鸞が言う「阿弥陀」佛を中心すると云う事は、東北の地である日本と云う場所で説く佛ではないのです。この「阿弥陀」佛は、イエス様(訂正:ゾロアスター教を説いたゾロアスターではないかとの話をがある)を指していると考えられます。イエス様が云うエホバ神(訂正:ヤーベ)は、「エル・ランティ」様であり、「法華経」で云うならば、「大通智勝」如來に当たるのです!忍)。三経(無量義経、妙法蓮華経、佛説観普賢菩薩行法経を指している!忍)を仰ぎて諸経をさしおきしは、是れ私曲にあらず則ち先達(天台師匠様等!忍)詞に随いしなり。十方の諸人も亦々是の如し。(中略)而るに今神術もかなはず、佛威も験(しるし)なし。世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず、是を以て魔来り鬼来り、災難起る。言はずんばあるべからず、恐れずんばあるべからず。」(立正安国論)
「国土乱れる時は、先ず鬼人(大正時代のイルミナティ、共産主義運動家!忍)乱る。鬼人乱るるが故に万民乱るる。百鬼(フリーメーソン運動家、山本五十六司令長官も含む)早く乱れ、万民多く亡ぶ。先難(大東亜戦争)是れ明らかなり。後難何ぞ疑はん。
 帝王は国家の基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方の賊来りて其国を侵逼し自界叛逆して其地を掠領せば豈に驚かざらんや、豈に騒がざらんや。
 国を失ひ、家を滅せば何れの所に世を遁れん汝須らく一身の安堵を思へば先四表の静謐を祷る者か。
 注.四表は四海、即ち世界。静謐は泰平の意味」(立正安国論)
「一切の大事が中に、国滅ぶ、最大事たり」(蒙古使護書)
「我、日本の柱(眼目、大船)とならむ」(開目鈔)
「日蓮は蒙古国退治の大将たり」(与極楽寺良観書)
「天に二日なく、国に二王なし(此処で日蓮聖人は、当時の天皇陛下が、日本の王だと勘違いしていた事は訂正しなければなりません。此の時代にはもう南北朝問題があったのです。其れは、陽成天皇陛下の廃帝が問題があり、其の流れが沖縄王朝を作ったのです!忍)」
「日蓮を用いぬとも悪しく敬わば国亡ぶべし」
「我がこの山(身延山)は天竺(インド)の霊山にも勝れ、日域(日本)の比叡山にも勝れたり。然れば吹く風も、ゆるぐ木草も流るる水の音迄もこの山には妙法の五字を唱へずと云う事なし。日蓮が弟子壇那等はこの山を本として参るべし。これ則霊山の契也」(波木井殿御書)
「縦いづくにて死に候とも、九カ年の間心安く法華経を読誦し奉れば、墓をば身延山に立てさせ給へ。未来際までも心は身延山に住むべく候。」(波木井殿御書)此処から、日蓮正宗(創価学会も含む)と日蓮聖人との関係は、全く無関係である。

 この教えを受け継いだのが佛所護念会なのです。此の佛所護念会の上のお経の中身では、日蓮聖人は、南無高祖日蓮大菩薩と書いてあります。明らかに、『天国の証』の中に書かれているミカエル大王様が言っている「日蓮佛」は嘘になるのです。それから、佛所護念会の正統性は、法華経の品第11の妙法蓮華経見宝塔品第十一のP213の「善哉善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・佛所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたもう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊所説の如きは皆是れ真実なり。」と、説いています。
「平等大慧・教菩薩法・佛所護念」 = 「GLA」ですか。「妙法華經」 = 「般若心經」ですか。高橋信次氏は、「法華経」を説いていないのです。

 法華経の歴史は、日本では、聖徳太子様から、始まって、最澄様、佛所護念会の流れであります。聖徳太子様(ラグエル様(律法の責任者)が合体霊)が法華経のことを
「『妙法蓮華経』という経典は、思うに、悟りに向かうあらゆる善をおさめとって、これを悟り得るための一因となす実り豊かな田地であり、限りある寿命を永遠の生命に転ずる不死の妙薬である。
 釈迦如来がこの人間世界に出現された意義を述べるならば、まさしく、人々にこの『妙法蓮華経』を説いて、あらゆる善が悟りの一因に帰するという道理を身につけ、無二の大いなる仏果を得させようと願われたからである。」(法華経義疏)
と申しています。何処に神の預言書として書いて有るのですか。あく迄も法典であり道理なのです。お釈迦様の合体霊は、ベーエルデ星の「神学」の最高権威であるエル・ルネラエル・カンタルーネ様がブッタ様に通して説いた法が仏教であり、その最高法典が法華経である。これはお釈迦様の言葉なのです。ブッタ様は神の法を説くときは第三者の眼で説く事が許されているのです。千乃先生が関係するムー大陸の聖なる花が蓮華(蓮の花)であり、「妙法蓮華經」はその聖なる蓮の花の教えであるのです。「妙法蓮華經」はお釈迦様が人類に救出する目的で善根を植える為に説いたものです。法華経は、天帝が守らなければならない法であり、帝王学であり、それ故に、千乃先生は法華経を勉強しなければいけないのです。ブッタ様は、はっきりと「法(法華経)か人(天帝の言葉)か」が選択する時は、法を選べと言っているのです。法華経は、「法」です。そう云うと千乃先生の所に、聖霊が来てそのまま法華経を説くであろう。法華経の説く場所は決まっているのです。家(佛所護念会)にお帰りになりましょう。佛所護念会は、ブッタ様がいます。
そして、ウリエル様(カセットテープNO.38)
「『法華経』というものは、誰が書いたかというものよりも、その概念が大切なんです。その考え方がね。『法華経』の概念が大切であるから、ブッタ様が説いたか、誰が説いたかというよりもそれを伝えることが大切である。当時としては後に伝えられていくことが、」
 『法華経』というものは、「心の良薬」、「内典の孝典」、「六根の清浄の教典」などといわれている。(六根とは眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、心根を指す。この六根に惑わされずに常に真実を見つめること。これを正法的にいうと第3者の目で見つめること)。大乗経典であるから、みんなが救う方向で物事を考え、行動する教えである事。
 『法華経』の始めの導入部分で、
「無上甚深微妙の法は
 百千萬劫にも遭遇たてまつること難し
 我今見聞し受持することを得たり
 願わくば如来の第一義を解せん」
と、この『法華経』が出会う事がとても大変である事を申しています。
 『法華経』の最後の結経の部分に当たる「佛説観普賢菩薩行法経」の中で、
「この大乗経典は、諸佛の宝蔵なり。十方三世の諸佛の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり。この経を持つ者は即ち佛身を持ち、即ち佛事を行ずるなり。當に知るべし、この人は即ちこれ諸佛の所使なり。諸佛世尊の衣に覆われ、諸佛如来の真実の法の子なり。汝大乗を行じて法種を断たざれ。汝今諦かに東方の諸佛を観じたてまつれ。」
と説いています。
 「妙法蓮華経安楽行品第十四」の中で
「文殊師利、此の法華経は、是れ諸の如来の第一の説、諸説の中に於て最も為れ甚深なり。末後に賜與すること、彼の強力の王の久しく護れる明珠を、今乃ち之を與うるが如し。文殊師利、此の法華経は諸佛如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上に在り。長夜に守護して妄りに宣説せざるを、始めて今日に於て乃ち汝等がために而も之を敷演す。」と、説いています。
又、「法蓮華經藥(薬)王菩薩本事品第二十三」の中で、
「宿王華、譬えば一切の川流・江河の諸水の中に、海爲(為)れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し。諸の如来の諸説の經(経)の中に於て最も爲れ深大なり。又土山・黒山・小鐵(鉄)圍山・大鐵(鉄)圍山及び十寶山の衆山の中に、須彌山爲(為)れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し。諸經の中に於て最も爲れ其の上なり。又衆星の中に月天子最も爲(為)れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し。千萬億種の諸の經法の中に於て最も爲れ照明なり。又日天子の能く諸の闇を除くが如く、此の經も亦復是の如し。能く一切の不善の闇を破す。又諸の小王の中に、天輪聖王最も爲(為)れ第一なるが如く、此の經も亦復是の如し。衆經の中に於て最も爲れ其の尊なり。又帝釋(釈)の三十三天の中に於て王なるが如く、此の經も亦復是の如し。諸經の中の王なり。又大梵天王(エル・ランティ様)の一切衆生の父なるが如く、此の經も亦復是の如し。一切の賢聖・學(学)・無學及び菩薩の心を發(発)す者の父なり。又一切の凡夫人の中に須陀C・斯陀含・阿那含・阿羅漢・辟支佛爲(為)れ第一なるが如く、此の經も亦復是の如し。一切の如来の所説、若しは菩薩の所説、若しは聲聞の所説、諸の經法の中に最も(為)れ第一なり。能く是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切の諸の經法の中に於て最も(為)れ第一なり。佛は爲れ諸法の王なるが如く、此の經も亦復是の如し。諸經の中の王なり。」と、説いています。
又、「妙法蓮華經囑(嘱)累品第二十二」の中で、
「我無量百千万億阿僧祗(祇)劫に於て、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。今以て汝等に付囑す。汝等當に受持・讀(読)誦し廣(広)く此の法を宣べて、一切衆生をして普く聞知することを得せしむべし。所以は何ん。如来は大慈悲あって諸の慳悋(吝)なく、亦畏るる所なくして、能く衆生に佛の智慧(恵)・如来の智慧・自然の智慧を與う。如来は是れ一切衆生の大施主なり。汝等亦随って如来の法を學すべし。慳悋を生ずることなかれ。未來世に於て、若し善男子・善女人あって如來の智慧を信ぜん者には、當に爲に此の法華經(経)を 演説して、聞知することを得せしむべし。其の人をして佛慧を得せしめんが爲の故なり。」と、説いています。

 『法華経』の修業の大変さは、「妙法蓮華経見宝塔品第十一」の中で
「諸々の善男子 各々諦かに思惟せよ 此は為れ難事なり 宜しく大願を發(発)すべし。諸餘(余)の經(経)典 數(数)恒沙の如し 此れ等を説くと雖も 未だ難しと為すに足らず 若し須彌(弥)を接って 他方の無數(数)の佛(仏)土に擲げ置かんも 亦未だ難しとせず 若し足の指を以て 大千界を動かし 遠く他國(国)に擲んも 亦未だ難しとせず 若し有頂に立って 衆の為に 無量の餘經(経)を演説せんも 亦未だ難しとせず 若し佛の滅度に 惡(悪)世の中に於て 能く此の經(経)を説かん 是れ則ち難しとす 假使人あって 手に虚空を把って 以て遊行すとも 亦未だ難しとせず 我が滅度に於て 若しは自らも書き持ち 若しは人をしても書かしめん 是則ち難しとす 若し大地を以て 足の甲の上に置いて 梵天に昇らんも 亦未だ難しとせず 佛の滅度の後に 悪世の中に於て 暫くも此の經を讀(読)まん 是れ則ち難しとす 假使劫燒(焼)に 乾ける草を擔い負うて 中に入って燒(焼)けざらんも 亦未だ難しとせず 我が滅度の後に 若し此の經を持つて 一人の為にも説かん 是れ則ち難しとす 若し八萬(万)四千の法蔵 十二部經を持つて 人の為に演説して 諸の聽(聴)かん者をして 六神通を得せしめん 能く是の如くすと雖も 亦未だ難しとせず 我が滅後に於て 此の經を聽(聴)受して 其の義趣を問わん 是れ則ち難しとす 若し人法を説いて 千萬億無量無數(数) 恒沙(インドのガンジス河の砂。数が極めて多いことを言う。)の衆生をして 阿羅漢を得 六神通を具せしめん 是の益ありと雖も 亦未だ難しとせず 我が滅後に於て 若し能く斯の如き 經(経)典を奉持せん 是れ則ち難しとす 我佛道を為て 無量の土に於て 始より今に至るまで 廣(広)く諸經を説く 而も其の中に於て 此の經第一なり 若し能く持つことあるは 則ち佛身を持つなり 諸の善男子 我が滅後に於て 誰か能く此の經を 受持し讀(読)誦せん 今佛前に於て 自ら誓言を説け 此の經は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我即ち歡(歓)喜す 諸佛も亦然なり 是の如きの人は 諸佛の歎(嘆)めたもう所なり 是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり 是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名く 則ち為れ疾く 無上の佛道を得たり」
と説いています。「法華経」を誹謗する人は、「妙法蓮華經法師品第十」の中で
「薬王よ、若し悪人有って、不善の心を以て、一劫の中に於て、現に佛前に於いて常に佛を毀罵せん、其の罪尚軽し。若し人、一の悪言を以て、在家出家の、法華経を読誦する者を毀呰せん、其の罪甚だ重し。」
と説いています。

法華経と護国の精神
(1)元帥・東郷平八郎
 明治37年に勃発した日露戦争は、近代国家仲間入りをしたばかりの日本が、ヨーロッパ列強の雄たる帝政ロシアと国運かけて戦った大戦争であった。
 戦いの白眉は日本海海戦ーー日本の連合艦隊は東郷平八郎司令長官の優れた指揮により大勝利を得た。東郷大将は元帥の称号を賜り、東郷御学問所総裁として、当時まだ皇太子であらせられた、昭和天皇の御教育に力を尽くされた。
 昭和9年歿、八十八。国葬を以て多摩墓地に。また生前の徳を讃えられ東郷神社に祀られた。
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 明治三十八年五月、ロシアのバルチック艦隊を待ちかまえていた東郷指令長官の双眼鏡の中に、不思議な像が映った。そばに控えた加藤参謀長がのぞいてみても、やはり見えた。参謀長曰く、「閣下、これは博多湾頭にそそり立つ”蒙古退治”の日蓮聖人の銅像に違いがありません」
 そして数日後ーー
 日蓮聖人像の見えた同じ方角にバルチック艦隊が現れた。もし敵が、津島海峡以外の海路を取って無傷のままウラジオストックの太平洋艦隊と合流したならば、日本は以後の戦いでどんなに大きな犠牲を払ったことだろう。
 東郷司令長官は、この回線に望み、「天佑を確信して連合艦隊の大成功を遂げよ」と訓示されたが、その言葉通り天の佑け、日蓮聖人の守護により大勝利を導き出した。世界一の大提督とうたわれた元帥なのに、決して人間の智慧や判断を過信されるようなことはなかったのである。戦いのあと、元帥はお忍びで博多・東公園の日蓮聖人銅像にお参りされている。
 東郷元帥と法華経の縁は、上村彦之丞大将の仲立ちによって生まれた。連合艦隊は三つの艦隊から成り、第一艦隊が東郷司令長官、第二艦隊は上村指令長官であった。
 上村大将は熱心な日蓮宗の信者で、日清戦争のときに大層な守護を頂いた経験から、東郷元帥をはじめ各艦の艦長クラスの将星に法華経と日蓮聖人の御遺文集を贈られた。そこで、日露戦争に備えて演習中の各艦の中で、指揮官たちは一心に法華経を誦み、日蓮聖人の不撓不屈の愛国心を学ばれた。すなわち、東郷元帥以下、全員が法華経の精神をバックボーン(背骨)として国を守ったのである。
 東郷元帥は、その後も深く法華経を学ばれ、勧持品第十三の有名な一偈、「我れ身命を愛せず、但無上道を惜しむ」という個所を特に重んじられた。
 東郷元帥は「日本という国に於ける無上道とは、皇室を尊宗し、君臣一体、陛下と国民が一つになって立派な国柄を維持していくことでありその思想的中枢をなすのが法華経である。」という考えに到達されたという。(小笠原長生書「東郷元帥と法華経の信仰」より要約)
 大正十一年に日蓮聖人に対して大師号が宣下されたが、その奉請(陛下に御願い申し上げること)に当たり、元帥は乞われて代表をつとめられるなど、晩年に至るまで法華経との縁は深かった。
 

(2)日蓮聖人
 国家の安泰とは、内政が安定し平和であること、外国の侵略の恐れがないことという二つの条件が満たされなければならない。
 七百年の昔、日蓮聖人が生きた時代の日本は二つながら危険な状態にあった。旱魃や地震が相次ぎ、皇室の権威が地に墜ちていた。王をさしおいて臣下が実権を握るならば善神は国を去る。自界叛逆、他国侵逼の二難を警告、北条幕府に「法華経採用により神佛の加護を・・」と聖人は強く説かれた。しばしば命を狙われる迫害にあわれたが、蒙古襲来の事実が、聖人の正しい事を証明した。
 聖人は、法華経こそ釈尊出世の本懐、一切衆生を救う教えであり、ご自身はこの經を広宣流布する上行菩薩の役を果たすべき身と自覚された。同時に、皇祖であり国の守り神である天照皇太神をあつく尊宗され、日本一の愛国者として名を残された。
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 建長二年二十九歳の春、聖人は伊勢神宮に一百日の日参りをされ、天照皇太神に法華経流布の許しを乞われると共に、神妙の御加護を求められた。
 仏祖統記、という古い伝記によると、聖人は伊勢市内に今も残る間山常明寺の阿伽井で身を浄め、誓願に通われたという。満願の四月二十八日黎明、宝殿の戸は大音声と共に開き「善哉善哉、法華経の爲の故に能く来たれり」の御言葉を頂戴した。この因縁をもって、建長五年、聖人三十二歳の四月二十八日、故郷清澄山旭の森で玄題始唱されたと記されている。
 日蓮聖人の伊勢誓願については、御遺文が残っていないことや、別の伝記・高視年譜が三十二歳の時と記し、正確を期し難いが、御遺文集に収められた次の文章を見れば、聖人の意は自ずから明らかであろう。すなわち
「日本国と申すは天照大神の日天にてまします故なり」(撰時鈔)
「此国は神国也ーー天神七代地神五代の神々(皇祖神)其の他諸天善神等は一乗擁護の神明なり。然も法華経を以て食と為し、正直を以て力と為す。ーー神の為め君の為め一切衆生の為に言上せしむる所なり」(与北条時宗書)
 日蓮聖人は、法華経がいかに正しく尊い教えであっても「国亡び人滅せば佛を誰か崇むべき。法を誰か信ずべけんや。先ず国家を祈りて須く佛法を立つべし」(立正安国論)と述べられ、国が安泰であってこそ佛法も栄え、個人の幸せもあるのだと明言されている。だからこそ「我、日本の柱(眼目、大船)とならむ」(開目鈔)「日蓮は蒙古国退治の大将たり」(与極楽寺良寛書)の自負を以て国難に立ち向かった。後世、諸武将の信仰を集めたのも当然であろう。

 四条金吾殿御返事
勵みをなして強盛に信力をいだし給ふべし。過ぎし存命不思議と思はせ給へ。なにの兵法よりも法華経の兵法を用ひ給ふべし。「諸餘の怨敵悉く摧滅」の金言むなしかるべからず。兵法劍形の大事も此の妙法より出でたり、深く信心をとり給へ。敢て臆病にては叶ふべからず候。

 霊友会と佛所護念会とは違いますから。確かに霊友会の霊界の構造は、大本教に近くて、法華経の中身とは、違った構造と成っていて法華経16佛を正確に説いていないのです。
この16佛が、ム−王国の時代に法を説いた16人の王子、王女を指しているのです。これは、菊の紋章の16花びらに例えているのです。実際は菊の紋章と云うよりも蓮の紋章ではなかったのではないでしょうか。蓮はム−王国にとって聖なる花ですから。

 

「法華経」の守護神16人の王子・王女の名前(法華経で言う16佛)

 エル・ピレッテラ伯爵(ミカエル大王)
 エル・ガブヌエル伯爵(ガブリエル次期大王)
 エル・レグシェリル(ラグエル)
 エル・パヌルエラ(パヌエル)
 エル・ラファルライエル(ラファエル大王輔佐)
 エル・ウリレイナ(ウリエル大王輔佐)
 エル・ルネラエル・カンタルーネ(ブッタ様の本体)
 エル・ビルナビル・カンタルーネ(イエス様の本体)
 エル・ミケラエル・カンタルーネ(モーセ様の本体)
 エル・ソリテリナ
 エル・ピッタラバヤ子爵
 エル・キルテリエード
 エル・ギルエルド
 エル・ビルリオーネ
 エル・ソラッティーヤ侯爵 (大国主尊と合体)
 エル・ミカッティライエルナ侯爵 (日本武尊と合体)
 

お釈迦様は現天上界の宇宙界に属し、自由に法を説く立場にいる事を忘れてはならない。
「古代日本と七大天使」P173から
私達の神故の砦である
私達の神故に、私は満たすだろう。
彼を研ぎ澄ますべく、私は引き出すだろう。
彼は大きくなった。
即ち、エル(神)であるあなた(お釈迦様!忍)は、私達(千乃正法!忍)に関して、私達(千乃先生!忍)を離れ去るだろう
彼等(佛所護念会に属する人々!忍)を引き出すその火として、覆われるそのエル(神)であるあなた(お釈迦様)は嘆くだろう。
王位によるエル(神)の名において、あなた(お釈迦様)は恐れられるだろう。
彼を研ぎ澄ますべく、あなた(お釈迦様)は嘆くだろう。
つまり、彼等(佛所護念会に属する人々!忍)を導く為に。
そのエル(神)は火であり,、救い主(千乃裕子先生)としての助力者である。
即ち、彼等(佛所護念会に属する人々!忍)が恐れるブッタは、神であり、エルである。