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◎無限エネルギー増幅器の謎ー考案者ヘンリー・モレイに米ソが群がった◎


 宇宙区間飛び交う放射エネルギー(電磁波に似た宇宙波動)を捉えて
 (キャッチして)、電力に変えるーーそれがヘンリー・モレイの研究
 だった。ソ連やアメリカ、日本までもがこの謎のエネルギーに強い興
 味を示した。
 
 

●人類は地球のガン細胞か?

 今後の人類の運命を考える上で、今最も深刻な問題は何だろうか。核戦争ーー確かにそれも人類の存続を左右する重大な要因である。だが、核を巡る問題は目下の所あくまで人類内部の啀み合いのレベルであって、我々の意識の変革如何によって解決可能なテーマである。人類にとって最も本質的な問題は他の所にある。それはエネルギー資源の問題に他ならない。

 「地球上のあらゆるエネルギー資源は遠からず(恐らく50年以内に)
 全て(化石燃料は!忍)掘り尽されて枯渇してしまうだろう」

 ーーこのような憂うべき予測が最初になされたのは今から15年も前の事であった。その後、海底油田が開発されたり、新たに鉱脈が発見されたりして、地下資源の寿命は元の予測よりは延されつつある。しかしながら所詮それは微々たる延命策に過ぎず、資産そのものの埋蔵量の限りがある事には変りがない。それが50年後であろうと、100年後であろうと、地下エネルギー資源を食い尽した後の人類の運命は目に見えている。素晴しいコンピューター(動作管理)技術もエネルギー供給を失ったまま動きを止め、地上の一切は静かな騒乱(パニック)状態に陥り、やがて滅んでいくだろう。
 或は宇宙開発の技術が速やかな発展を見た場合、人類は新たな資源を求めて他の惑星に移住するという可能性もあるだろう。だがそうなると、人類が地球上で果してきた役割とは一体何だったのかと問い直さざるを得ない。地球の有余る豊かさの中に生を享け、その富を食いつぶしたあげく見捨てて他の惑星へと飛出す。これではまるで癌細胞のようではないか。事実、現代のある生態学者は、人類の地球上に於ける活動は、人体に於ける癌細胞の活動そのものだとズバリ指摘している。
 だが、技術(テクノロジー)の発展とは単に地球上の癌細胞の活動促進の手段に過ぎないのだろうか。人類が地球と共に永続的に発展していく為の技術のあり方は何一つ考えられないのだろうか。問題は、技術の発展がそのまま資源の消費に結びつくという点にある。もしこの両者を切離して取扱う事が出来れば、必ず道は開けてくる筈である。この可能性に思いをはせる時、我々はアメリカの異色科学者トマス・ヘンリー・モレイの研究に注目せざるを得ない。
 
 

●神秘の力を持つ「スウェーデンの石」

 「若し宇宙のエネルギーが動的なものならば、人類が大自然の真の歯車
 仕掛に機械を結びつけるのは時間の問題だろう」
 こう述べたのは、ユーゴスラビア生れの今世紀初頭の天才科学者ニコラ・テスラである。テスラが夢見たのは地球の定常波との共鳴作用によって巨大なエネルギーを発生、送信する技術であった。それは言換えれば、技術の発展と地下資源の消費との間の関係を断ち切る意味を持っていた(地下資源は、断ち切ることは出来るけれども、宇宙の重力バランスが崩れる可能性が有る事は忘れてはならない。宇宙にはエネルギー保存の法則が厳存しているから。人類の生存は、宇宙の法則に逃れる事は出来ない!忍)。そして、このテスラの見果てぬ夢を最も忠実な形で受継いだのがモレイであった。実際、モレイは熱烈なテスラ信奉者であり、テスラ協会の会員でもあった。
 モレイの研究は端的に云えば、真空からエネルギーを取出し、電気に変換する装置の発明であった。その原理は、当時は勿論今の科学技術をもってしても、完全に解明されてはいない。にも関わらず、彼の装置は公開実験に成功し、一躍1920年代の電気工学者達の注目を集める事となった。しかし、彼の発明は結局市民権を得る事が出来ず、半ば抹殺された形で忘れ去られた。その背景には、いつの時代にもつきものの黒い陰謀の影が付きまとっている。その意味でも彼の歩んだ道はテスラと非常に似ている様に思われる。そんな彼の研究の歩みを次に見ていくことにしよう。
 アイルランド人の父とスウェーデン人の母を持つモレイの少年時代は、決して恵まれたのではなかった。元々貧しかった家庭は、ヘンリーが15歳の時に父親が死ぬと、ますます生活が苦しくなった。ヘンリーは家計を助ける為希望していた電気工学の勉強を諦め、働かざるを得なくなった。しかし、どうせ働くなら自分の好きな電気関係の仕事につきたいと、彼は電気工の道を選んだ。そして暇を見つけては、電気の部品を集めたりして、自分の研究を進めていた。
 1909年の夏、モレイは海中から電気を取出す実験を開始した。翌年の秋には友人の前でミニチュアのアーク灯を灯す程になった。更にその次の年には、モレイは、このエネルギーは静電気ではなく、地球外の振動エネルギーで、夜間より昼間に多いのだと理解するに至った。
 この時までに彼は、自ら取出した電気で16燭光の炭素ランプを灯す事に成功している。これら彼の創作した電気回路にはバッテリーが存在せず、それは文字通り無からエネルギーを取出す様なものであった。
 1912年、モレイはより専門的な勉強をする為に、母の故国スウェーデンのウプサラ大学の聴講生となった。この留学期間は僅か2年間であったが、彼の電気工学についての知識はしっかりしたものとなり、又自分の理論のその後の展開の為の確固たる基盤が作られた。だが、モレイにとって最も重大な出来事は、「スウェーデンの石」の発見であった。
 スウェーデンの石ーーそれは1913年夏にスウェーデンのアビスコの鉄道車両で偶然モレイが手に入れた、白くて柔らかい石のような物質である。この謎の鉱物は、錬金術に於ける「賢者の石」同様、神秘的な力を有する物質で、その後のモレイの実験に於て重要な役割を果す事になる。と云うのも、この石には宇宙エネルギーを抽出する作用(要するに今、現在、水晶を使って発振器を作っていると同じで、この「スウェーデンの石」の振動と共鳴現象を起している事が出来るという意味!忍)があり、この石を装置に組込む事によって、いとも簡単に宇宙波動の振動を電気エネルギーの形に変換する事が可能になったからである。
 モレイはウプサラ大学で学ぶ間に自分の実験を重ね、1914年には、宇宙空間に満ち亘るエネルギーについての博士論文を提出したのである。
 
 

●モレイ自身にも原理は分らなかった!!

 スウェーデンから帰国したモレイは、様々な職業に就きながら自分の研究をこつこつと、進めていた。そして1920年代、自ら発明した「放射エネルギー装置」を公開実験し、大きな反響を巻き起したのである。この装置は、1909年以来の彼の仮説を技術的に実証したものであり、直接宇宙からエネルギーを抽出するものであった。その様な言い方をすると、何やらいかめしい複雑な仕組の箱であった。というのも、それはアンテナとアースを小型の箱の中で接続した極めて単純な構造だったからである。内部には例の「スウェーデンの石」が組込まれていた。
 公開実験は繰返し行われた。モレイは、並居る見学者を前にアンテナとアースを接続する。すると電球がパッどともり、見学者達はまるで手品でも見る様に深い溜息をつくのだった。だがその為息は決して物珍しさだけではなかった。
 1925年11月には、プリガムヤング大学のカール・アイリング博士がモレイの装置に並々ならぬ関心を寄せた。アイリング博士は、放射エネルギー装置の秘密は電磁誘導によるものではないかという疑いを持った。しかし、後に電磁誘導の起り得ない状況下で実験が行われたが、電流はいつもの様に点灯し、アイリングの疑いは晴れた。
 しかしそれでも、モレイの装置がどの様な原理によって電気エネルギーを発生させているかは、明らかではなかった。当のモレイ自身でさえも、自分の装置の原理を完全に把握していた訳ではないからである。
 自分で発明した機械の原理を、当の発明者本人が分っていないとは奇妙な事である。しかし、真に新しい種類の科学法則とは(これは、意味不明である。科学法則は、新旧有るわけではない。真理は時間に越えた所にある。只、未だ認識不足がある!忍)、既知の法則では説明出来ないものである。丁度雪を見た事のない南国の人に、彼等の持っている知識の範囲内で雪を説明する事が出来ないのと事情は似ている。しかもモレイの装置の場合、中枢に組込まれている「スウェーデンの石」の作用が往来の科学法則の体系を大きく逸脱するものであった為、正統な科学者の立場からは認められない点が多々あったのも致し方無い事である。
 
 

●モレイを襲った男達の正体

 モレイに対する批判の口火を切ったのは、ベル研究所物理研究部長のハーピー・フレッチャーであった。彼は、モレイの「放射エネルギー装置」のエネルギーは、装置内部に於ける化学反応で生ずるものではないかと推理した。そして、若し自分の推測が正しければ、アンテナ無しでも同様の結果が得られる筈だとフレッチャーは主張した。言換えれば、アンテナは装置を最もらしく見せかける為のカムフラージュに過ぎず、実際の機能的役割は果していないというのである。
 こうしたフレッチャーの批判に対してモレイはどう応えたのか。モレイはモレイなりに、「スウェーデンの石」の性質をゲルマニウム半導体との類比から説明しようという努力は行った。しかし先にも述べた通り、完全な説明はは事実上困難であった上、モレイは未完成の研究をフレッチャーに盗まれる事を極度に警戒した節も見られる(これは、政治問題として考える必要がある。霊体の攻撃が関わっているかもしれない。悪魔ダビデの戦略に乗っているかもしれない。それに対する警戒かもしれない!忍)。その為フレッチャーのモレイに対する攻撃は次第に熱を帯び、遂にはモレイの研究特許上の問題にまで影響が及される様になる。
 実際、モレイの「放射エネルギー装置」に関する秘密主義は極めて神経質なものだったらしく、後にNASAとの共同で「放射エネルギー装置」を開発しようという話が持上がった時にも、モレイの秘密主義のお陰で話は直前で立ち消えに為っている。だが、なぜモレイはそれ程までに神経質に為らざるを得なかったのか。それ程まで厳格に秘密を保持せねばならぬ程「放射エネルギー装置」の可能性は凄まじいものだったのか。
 彼はその後も実験を繰返し、1938年には約80cmのアンテナと高周波モーターを動かす事に成功している。その際、手でアンテナに触れると電球は消えてしまった。又ある時、アンテナとアースの接続部分に測定器を置いたが、電気的なものは何一つ発見されなかった(スカラー派[磁気は帯びている]の性質であるから!忍)。
 こうした実験結果から、モレイ以外の人々にも「放射エネルギー装置」がはかり知れない可能性を秘めている事が伺いしれた。しかしながら、モレイ自身は当時の研究機関から締出しを喰い、研究の推進は資金的に困難になり始めていた。
 そこに目を付けたのがソ連陸軍の大佐とおぼしきヤコブレツと名乗る男だった。彼はモレイに半ば脅迫めいたやり方で、もしソ連で研究活動を行うならば資金の面倒は見ようと持ちかけた。だが、モレイが最も恐れていたのはこの事であった。モレイは「放射エネルギー装置」の可能性が明らかになるまでは、国家や企業の様な特定の組織と結びつくまいと心に決めていた(これは違う。彼はキリスト教徒であるから悪魔ソ連に魂を売らなかったのではなかろうか。兎に角共産主義思想に対する認識が甘い所がある。共産思想は悪魔思想である。何故なら家族の崩壊思想であるから。親孝行の道を否定したから!忍)。ましてアメリカに匹敵する大国ソ連に協力するとなったら、その影響は計り知れない。モレイはきっぱりその申出を断った。
 しかしその後も、農村電化局の技術者P・ウッズと名乗る男から、ソ連に協力してくれれば特許獲得の便宜を図ろうという誘いがあったりした(これが、アメリカ政府内部は殆どソ連のスパイである証拠の一つである。農業は国家の基本事業である。そして国の文化の基本となる場所である。其処にウッズという残虐共産主義国ソ連スパイが入り込んでいる!忍)。既に研究費が底をついていたモレイにとって、資金入手は緊急の課題であった。しかし、それでもモレイは初志を貫き、勧誘を断り続けた。
 だが遂に相手は強硬手段に出た。農村電化局の派遣したフェリックス・フレイザーなる男が、モレイの実験を見学中に、隠し持っていたハンマーでいきなり装置に打ちかかり、とても復元不可能なまでに滅茶苦茶に破壊したのである。災難はそれだけではない。1940年3月には、モレイは数人の男達に襲撃され、足をピストルで撃たれた。犯人はモレイによれば、フレイザーとFBIの連中であったという(これで、FBIとソ連が繋がっている証拠の1つである。当時は、ルーズベルト大統領の時代で、ユダヤ共産主義思想が蔓延していた時代である!忍)。
 モレイの災難が、迫りつつあった世界大戦を巡る諜報戦に端を発していた事は明らかである。ソ連、アメリカの他にも、イギリス海軍からも研究の勧誘があり、又日本軍さえも、その噂を聞きつけてモレイに近づこうとしたのである。
 
 

●殺人光線砲(スカラー波光線)となる恐れもあった

 では一体「放射エネルギー装置」の秘密とは何だったのだろう。モレイがひた隠しにし、各国がその情報の入手にしのぎを削ったという不可思議な原理とは。
 今日明らかな範囲で説明すれば、モレイはそれを宇宙船ポンプに例えている。つまり、装置内の高速電子発振器が宇宙から降注ぐエネルギーの検波器として働き、回路内でポンプ作用を起すのだという。最も分り易く言えば、宇宙では絶えず様々な波長のエネルギーが放出されている。このエネルギーはまるで海の波のように地球に押寄せて来るが、このエネルギー波動の振動を同調回路で捕え、電気エネルギーとして変換するわけである。
 具体的には、まず第1段階で放射エネルギーを取入れ、発信体を励起させ、更に同調カップリングを維持しつつ、振幅を増大させていき、最大パルスを次の段階に送込む。続いてこのパルスは2次、3次と段階を経る毎に増強され、最終的に使用可能なボルテージに達するが、1939年に制作した装置は27の段数があり、格段から50kWの電力を取出せたという。
 宇宙に遍在する放射エネルギーを電気エネルギーとして利用するというアイデアは、卓抜なものだった。だが、このモレイの発想が一歩歩み間違えれば重大な危険を孕んでいる事には、モレイ自身も気付いていた。
 それは核エネルギーの孕む危険性と同様である。核弾頭と同様、モレイの装置は使い方によっては殺人光線砲となる可能性が十分あったのである。
 ともあれモレイの「放射エネルギー装置」は、彼の生存中には遂に大規模な形で展開される事はなかった。それがモレイにとって望む事であったのか、そうでなかったのかは知る術もない。
 彼は1974年5月にひっそり生涯を終えた。彼の研究が再び脚光を浴びるまでには、未だ幾ばくかの時がかあkりそうである(そう悠長な言葉を言っておられない。現実に殺人光線が開発されているからです。今、日本は防衛の準備を整えなければ、最終的に奴隷国家が出来上ってしまうのです。スカラー波対策は神の方針です。今は兎に角備える事です!忍)。