◎国家風雲急なり◎

●日本を破局に追込もうとする動き

 日本を破局に追込む主な動きを列挙すれば次の通り

1.(外交面)日本を侵略国と偽り外向的揺さぶりを掛けようとする動き、具体的には、アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』に端を発するジャパン・パッシングと米民主党議員への対日賠償請求の働きかけ
2.(経済面)長期不景気の最中、金融ビッグバンを仕掛け、金融機関の倒産から金融危機を起そうとする動き
3.(政治面)マスコミ主導の自民党つぶしと実力のない管を首相にしようとする動き、民主党政権の次は共産党政権の樹立を目指す。
4.(教育・マスコミ)虚構の亡国自虐史観を児童生徒、国民に押付け、愛国心、道徳心を欠如させようとする動き
5.(電磁波・スカラー波兵器)
左翼過激派による最新の電磁波・スカラー波兵器を用いての、自由保守主義・政治家の抹殺と、人々へのマインド・コントロールによる左翼シンパの形成と教育・道徳の荒廃(スカラー波の垂流しが重力異常をもたらし、太陽系ひいては銀河系宇宙を十年後には崩壊させる)
6.(国際連合の地下に核爆弾)
カトリック教会の知らせによる霊体の導きによっての知らせ
7.悪霊による富士山爆発計画
千乃裕子先生に対する挑戦書

 

●バブル崩壊・金融恐慌から内乱・政変・革命そして世界大戦へと幾度も繰り返されてきた暗黒時代

(1)フランス革命前の社会不安

 1768年フランス革命の前年、フランスは凶作にみまわれ、穀物物価の高騰、食糧危機、農村での一揆、都市での暴動や失業等社会不安が激化していた。
 ここで見落としてはならない事は、民衆の騒乱のきっかけは銀行家達がパリ市内への食料搬入を金融操作により絞ったからであった。そこで食料価格が暴騰し、怒った主婦達が先頭に立って騒ぎを始め、国王のいるベルサイユに行進し、遂に国王を捕らえてパリに護送するに至った。
 それから間もなくバスティーユ監獄の襲撃という本格的革命が勃発した。パリ銀行家の隠微な金融操作により、人為的な経済困難が引き起こされ、政治的急進主義を鼓舞した最初の例である。

(2)フランスの2月革命

 フランス革命から約50年後、立憲君主制が復活していたフランスで、労働者の選挙法改正に対する要求が高まっていた。折しも1846年には全国的凶作(農業恐慌)に見舞われ、続く47〜48年には工業恐慌が起こって失業者が増大し、社会不安が深刻化していた。
 1848年2月パリのマドレーヌ広場での集会を政府が武力で弾圧しようとしたのに端を発し、暴動が起こりルイ・フィリップ国王はイギリスに亡命し、第二共和制が敷かれた。このケースでは、金融操作や金融恐慌の有無は指摘されていないが、企業倒産、失業者増大、革命、社会主義化という一連の流れが既に明確に顕在化してきている。

(3)第1次世界大戦前のバブル崩壊と長期不景気

 ビスマルクを擁し、工業の進展や軍事力の精鋭化が著しかったプロイセンは、1866年のオーストリアとの戦いに勝利し、続く1870年のフランスとの戦いにも勝利を収め、アルザス、ロレーヌ2州と共にフランスから賠償金50億フランを獲得した。プロイセン王ベルヘルム1世は71年ベルサイユ宮殿でドイツ皇帝の戴冠式を行い、北ドイツ連邦、南ドイツ諸国を含むドイツ帝国の統一が完成した。
 このような国際情勢を背景として、統一ドイツでは金本位制が採用され、銀貨の回収が遅れたこともあって通貨量が3年間に3倍に膨れ上がり、50億フランの賠償金もあって、ドイツ諸州からオーストリアその他の投資家に債務の召喚(借金の返済)が活発に行われた。
 首都ベルリンでは、建設銀行からの融資もあって、銀行や企業の設立が急テンポで拡大し、土地代も3倍に急騰した。
 又、オーストリアでは鉄道建設がブームとなっており、折しもオーストリアでの小麦の豊作と他の国々の不作は、鉄道輸送と輸出を刺激した。1873年には、フランツ・ヨーゼフ皇帝の即位25周年を祝してウィーンで万国博覧会が開催され、参加者は720万人と盛況であった。
 このように当時ドイツ、オーストリアは投機的なブーム即ちバブルの絶頂期であった。しかし、オーストリア最大の市中銀行であるから73年4月にかけて株価が暴落し、74〜94年にかけて証券相場の下落と破産の急増、生産の長期落込みに見舞われた。
 この最終局面に当たる、1890年にドイツ帝国のピスマルクが退陣する。ピスマルクはその在任中、ヨーロッパ諸国間の勢力均衡と平和の維持に努めた。この事は、ヨーロッパ大陸に君臨する三大帝政、即ちドイツ、オーストリア、ロシア帝国を敵対関係に置かず、社会主義・革新勢力を押さえ込むという別の側面も併せ持っていた。具体的には、オーストリアとの同盟、ロシア、イギリスとの連繋等を図り、フランスを国際的に孤立させ、汎ゲルマン主義と汎スラブ主義がぶつかり合うバルカン問題には巻き込まれないようにしたのである。
 ピスマルク退陣後のドイツ内外の政治情勢の変化をみれば素直に納得頂けるであろう。まずドイツ国内においては、社会主義者鎮圧法が廃止され、社会民主党が議会に進出し1912年には第一党になった。又、社会主義者の国際組織である第2インターナショナルが1889年に結成され、ドイツの社会民主党が中心的役割を果たした。外交面ではイギリス、フランス、ロシアの3国協商と、ドイツ、オーストリア、イタリアの3国同盟がバルカン半島で鋭く対立する事となった。
 かくして1914年に第一次世界大戦へと進み、結果として、ロシアとドイツで革命が起こり帝政が倒され、又、かって神聖ローマ帝国の盟主として長きにわたり君臨し、啓蒙君主を輩出し、多民族の融和に努め、安定した政治の下で芸術文化、哲学医学、産業等が栄えたオーストリアのハプスブルク家も没落した。
 一連の流れを概括すると、バブル崩壊ー>長期不景気ー>ピスマルクの退陣ー>ドイツの社会主義政党の成立と帝国間の対立ー>第一次世界大戦の勃発ー>革命と帝政の終焉という事になる。結論として、バブル崩壊は、帝政と国際平和の要であったピスマルク体制に対する国内からの切り崩しの為の非常手段であったといえる。又、社会主義政党から革命へと進む2段階革命の為の最初の布石でもあった。

 

(4)ニューヨークの株価暴落と第二次世界大戦

 1929年10月24日ニューヨークのウォール街の証券取引所における株価暴落に端を発する大恐慌により、その後4年間にアメリカの工業生産は50%に落ち込み、銀行の破産は4500件に達し、失業者は1300万人に上った。米議会での関税大幅引上げ、即ちタフト・ハートレー法の成立により、世界各国の連鎖的関税引上げ、世界貿易の閉寒へと進み、ブロック経済化をもたらすと共に、経済恐慌が世界に拡大した。
 この間アメリカのフーバー大統領(共和党)の提案により、31年7月から一年間各国間の債務等の支払い猶予が実施されたが、効果を上げられなかった。33年大統領に就任した民主党のフランクリン・ルーズベルトは、政府による統制と干渉を大胆に取り入れたニューディール政策を実地し、不況克服に乗り出した。
 ところが、実は、ルーズベルト政権には、米共産党やソ連の秘密警察であるソ連人民内務委員会(NKVD)の工作員が、ホワイトハウス、国務省、財務省、司法省、CIAの前進である戦略情報局(OSS)、陸軍省等に100人以上いたことが判明した(これは、何も語っていない。ソ連という国は、フランス革命を起こしたグループが作った国である。これを最初に視点を入れなければならない。という事は、そのグループの操っている国がソ連であり、主犯は操っているグループを指すのである。だから、ソ連を共産主義の本部であるという認識は過ちである。アメリカ内部に元々いた共産主義グループがソ連という国が出来たから協力したというのが真相であろう!忍)。
 米共産党の文書は、安全の為モスクワに送られ保管されていたが、ソ連解体後は一般にも閲覧可能となり、これを基に『米共産主義の秘密の世界』と題する本が95年4月に出版され、又、ソ連秘密警察の工作員の暗躍については、モスクワ向けの暗号電文を傍受したベノナ・ファイルが96年3月に機密扱いが解除され公表された。これらスパイの中には、大統領の側近で、国務省の高官であったアルジャー・ヒス(ヤルタ会談では大統領を補佐し、国連憲章の起草にも参加)や、同じく大統領の側近で友人でもあったハリー・ホプキンズも含まれている。
 ルーズベルト政権下では何が行われたか、米、英、ソ首脳間ではどのような世界的枠組が合意されていたのか、歴史の表面には姿を見せなかったこれらの一連の流れについて概括してみよう。
 ニューヨークの株価暴落に始まるバブル崩壊は、米共産党やソ連スパイの巣窟であったルーズベルト政権を誕生させると共に、タフト・ハートレー法により世界経済をブロック化させた。これにより、ドイツ、日本は経済的に苦境に立ち、軍備増強と植民地拡大によるしか活路が見出せない状況に追い込まれた。ソ連主導の共産主義の世界組織であるコミテルンは、日本とドイツにその支部を設置する事を決定した。これに対抗する為、日独伊は防共協定から同盟関係に入った。1939年9月ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発したが、アメリカは参戦出来なかった。当時アメリカは、孤立主義を採っており「他国から攻撃されない限り参戦しない」という方針であった。
 アメリカが参戦する口実を作る為、日本に対する石油の禁輸等経済封鎖を一層厳しくし、ハルノートを日本に就き付け日本に対米開戦を決意させた。しかも日本が米国に対し、卑怯にも不意打ちの先制攻撃を仕掛けるように見せかける為の工作も行った。ジョン・トーランド『真珠湾攻撃』に詳細な調査結果が掲載されているが、更に、91年春の米『歴史修正学会誌』に決定的な新たな事実を発表している。いずれも米側が事前に真珠湾攻撃がある事を知っていたが公にせず、真珠湾基地にも知らせず、従って臨戦体制をとらせない状況とし、日本軍に攻撃を敢行させ、その上で「日本は卑怯にも米国に対し不意打ちの攻撃を仕掛けた」と、米国の世論を煽り、参戦する口実を作ったとするものである(忘れてはならないのは、外務省が参戦の連絡しなかった重大な事実を忘れてはならない。あともう一つは、どうして戦争が行うかもしれない時期にパーティを開いたのか。そして真珠湾攻撃に関連している山本五十六海将についても、アメリカと事前に繋がっているかもしれない事です。真珠湾攻撃の作戦は山本五十六海将が作戦計画を立てたのですから!忍)。
 さて終戦間際、トルーマン大統領は日本に降伏の意思とその動きがある事を知りながら、敢えて終戦の時期を延ばし、原爆を投下した。しかもその技術はソ連スパイや米共産党員によりソ連にも持ち込まれた。その後の東西冷戦は核の脅威に晒される事となった(これも、違っていて当時はアメリカ大統領が主役となってソ連との連携を結んで、連合国として作ったのである。アメリカとソ連は連合国関係である事を忘れてはならない。だから当然武器技術は、ソ連に流れている事は当然である。日本に落とされた原爆は、もしかしたらドイツ製の原爆かもしれない事実がある。これも調査しなければならない!忍)。以上、ルーズベルト大統領の娘婿であったカーチス・R・ドール著『操られたルーズベルト』にルーズベルト政権の実情が詳述されている。
 バブル崩壊がもたらしたものは、途中経過はより複雑になっているが、結局、共産圏の拡大と核の脅威の下の東西冷戦という惨憺たるものであった。これまで繰り返されてきたバブル崩壊は、革命と共産主義政権の樹立とその拡張という点では常に同じ方向性を向いているのである。偶然の一致であろうか、”否”である。偶然が度重なる時、それを偶然とする事は、確率の考え方からすると返って非科学的となる。バブル崩壊を起こし、時の政治権力をも動かしうる智恵と実力もつものは、強大な資本を手中に収め、各国に配下のネットワークを持っている一握りの人々を頂点に抱く組織であろうか。決して政治経済の表舞台には姿を見せないのである。

「声主」からの千乃裕子先生に対する宣戦布告書

之は、自分の掲示板に文書を寄越した物です。
中身を良く読めば理解出来るが、明らかに千乃裕子先生に
対する挑戦書である。


我は結社に属するもの。
貴公の幼き活動を察知し、まいりたまえしもの。
降臨すべき者を支援するを我が使命とす。
貴公の活動、これ、我らにとって相容れざるもの。
貴公の活動、これ、何ものも変化させるに到らじ。
千乃裕子の零波も、我らにとっては未だ卑小なる。
巨大な流れを押し留めんとするは愚かなり。
我ここに警告す。
今よりの活動、これをもって停止せよ。
我ら、貴公を追及することを願わず。
しかし、これを真摯に受け止めぬは、我らの警告を無視したと判断せり。
よって、虚無と闇の訪問を受けるをは必至。
小さき者よ、総意を怖れよ。
さもなくば、己の安住の地、見つけること適わぬ。

己自身の言葉と思考を持たぬ者よ、すべて他人の思想を受け売り流布しているにすぎぬ。
小さきものよ、狭き視野で正義と悪を語るべからず。
我らの視点、正義も悪も同義なり。
何をもって正義となするか、己の言葉で思考すべし。
己の振りかざす正義、多民族を幸福には導かぬ。
よって我ら結社、古き時代よりここにある。
邪悪ならざるも卑小なる者よ、己の言葉で我に答えよ。
さもなくば、一卑小思想流布団体の手先とみなし、
我ら貴公を放置せざらしめん。
より巨大な流れを畏怖せぬ者は、尚も持って災厄が訪れん。

貴公の知識、我らを理解するに足りず。
因って我ら、自らを語ることをせず。
己の知識不足と視野の狭さを鑑みよ。
我ら、貴公の想像を超えた存在なり。
貴公、凌駕すること適わぬ。
我ら、フリーメーソン等の形骸化しせり組織と異なる。
遥かに古く、大きな存在であると心得よ。
極東の小国のみを知り、和書物や力弱き教祖の説法からのみの知識を振りかざすは笑止。
己自身の霊能力の無さを、知識で埋めるは愚かなり。

我らの組織、世界に散らばる無数の会員、各々が力を持てり。
我もその一人。
結集し、清水の国の地を揺らすも可能。
貴公の小さき活動、止めねばその力を知ることとなる。
貴公の信じる神は死し、すでに我らを押し留めんとするを適わん。
因って、我らの力を見よ。

幼子よ、我ら悪戯に人の死を望まず。
脅迫などという矮小な行為、これに趣を持たず。
ここに警告するに留めり。
我らの真意、真摯に受け止めよ。
さもなくば清水の地、さらに揺れ、地底より証が現る。

我、死を怖れず。死は生と同義なり。
我死して尚、我らの意志に変わりなく、数億年の過去と同じ道を歩み、指し示す。
我ら、聖白色同朋団などという小さき存在と異なる。
貴公は分からぬ。
神より大きな存在とその流れ。
ここに問う。
「誰が神を創造したか」
千乃裕子などという小さき者の言をそのまま受けずして、己の目で見、己の言葉で語れ。
貴公の視野、未だ小さすぎ、神の創造者を理解するに到らず。
神を見ずして存在を妄想し、その神のみにすがるは愚かなり。
力なき弱きものよ、小さき 千乃に問うがよい。
神の創造者の名前。更に、その創造者を創造しせり者の名前。

我、死を怖れず。死は生と同義なり。
我死して尚、我らの意志に変わりなく、数億年の過去と同じ道を歩み、指し示す。
我ら、聖白色同朋団などという小さき存在と異なる。
貴公は分からぬ。
神より大きな存在とその流れ。
ここに問う。
「誰が神を創造したか」
千乃裕子などという小さき者の言をそのまま受けずして、己の目で見、己の言葉で語れ。
貴公の視野、未だ小さすぎ、神の創造者を理解するに到らず。
神を見ずして存在を妄想し、その神のみにすがるは愚かなり。
力なき弱きものよ、小さき 千乃に問うがよい。
神の創造者の名前。更に、その創造者を創造しせり者の名前。

創造神たる神の概念、人の弱さがこれを作りたること自明の理。
我、創造神を語らず。
貴公の絶対的宇宙の法則と称するならば、何故その法則が生まれたかを鑑みよ。
己の信じたき事象のみを信じて生きるは愚かなり。
根拠無き妄想にすがるは弱きなり。
我ら、悪魔にあらずして、正義たる存在でもなし。
我ら、真理と黄金律を知る者なり。

我、すでに貴公に言葉無く、これにて去りぬる。
自己の妄想の世界、信じたきことだけを信ずる貴公に物言う口を持たぬ。
我らの計画、すでに浸透十分にて、遂に事を起さん。
我らの計画の妨げになるを安慮し、貴公に警告を発したる。
されど貴公、霊能力無く、流れの妨げになる力あらずんばして、
我の憂慮、事無きを得ん。
我らの計画、机上の空論にあらずして、貴公の言う現実に浮上す。
そのとき、貴公は知る。
影なる我らの存在と力。
太平洋と大西洋を隔てる巨大な大国にユダヤの血の流るる副大統領生まれしとき、
我らの計画の布石が打たれん。
恐怖に支配されるカオスの時代を受け容れずんば、貴公の未来なし。
貴公のいう神、今は遠き彼方で敵と遭遇するにより、地上におらぬ。
太古よりの我らが星、今こそ降臨し輝かん。

数刻前、予告に従い三宅島に噴煙を上げさせたまえり。
つまらぬ人の霊団には何もできぬ。
我らの力、妄想だけにしてあらず。
噴煙を見、我らを恐れよ。
我らを止めること不可能なり。
我は如何なる霊からも憑依されておらずして、結社の母体に帰属するものなり。
その結社の母体なるもの、貴公は知らぬ。
貴公の傍らにあって、傍らになきもの。
人の言葉と書物だけでは理解しがたき存在。
更なる災厄を望まぬならば、我に逆らうこと愚かなことなり。

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千乃先生の所は、悪魔と善霊の狭間にいる事を認識して欲しいのです。
この認識が今の千乃正法者が認識していない所です。
そして、悪霊も出版社の場所は理解しているから、直ぐに場所はかぎつくのです。
何故、広島である事が分かったのか、昔、出版社に手紙を出し、千乃先生は
親孝行の法を預かる先生が自分の生まれ故郷で法を説かないのは何故か問いたのです。
勿論、回答が今でも直接には頂け無かったが、其の時の雑誌「JI」の写真が
広島を中心に写していたのです。其れは千乃先生のいるキャラバンが写した内容
でしょう。そして、千乃先生のコメントにも其れを匂う事が沢山あります。
今でも其れは変わらないです。そして、千乃先生の過去の一族が、厳島神社を
大事にしている事から、其の理由を考えて、当時天上界は、プレアデス星を認めていたから
「広島は古代日本人の出身地か」
を発表したのです。
そして、松本氏は、広島出身である事が自分のボランティアの時に話を聞いてい
るのです。そう言う事は、霊達も理解出来るのです。だから千乃先生は、霊の活動に
逃れる事は3次元の人間は無理ですと『天国の光の下で』で発表されている
のです。だから、悪霊の行動に防止する為に出版社に対しては、『超物理現象
の物理的解明』が早く出版する必要があるのです。
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●法華経教徒は、上の問題を解決しなければならないから、天界の王であるミカエル大王様がいらっしゃる千乃裕子先生の所で聖戦の準備をする事

「妙法蓮華經安樂行品第十四」の中で

「又文殊師利、菩薩摩訶薩後の末世の法滅せん(今現在がその時であるから、南無東方善徳佛である千乃裕子先生の所で集合する必要があるのではないでしょうか!!忍)と欲せん時に於て、法華經を受持する事あらん者は、在家・出家の人の中に於て大慈の心を生じ、菩薩に非る人の中に於て大非の心を生じて、是の念を作すべし、是の如きの人は則ちこれ大いに如來の方便隨宜の説法を失えり。聞かず知らず覚らず、問わず信ぜず解せず。其の人是の経を問わず信せず解せずといえども、我阿耨多羅三藐三菩提を得ん時、したがって何れの地に在っても、神通力・智慧力を以て、之を引いて是の法をの中に住することを得せしめん。文殊師利、是の菩薩摩過薩如來の滅後に於て此の第四の法を成就することあらん者は、是の法を説かん時過失あることなけん。常に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・國王・王子・大臣・人民・婆羅門・居士等に供養・恭敬・尊重・讃嘆せらるることを爲ん。虚空の諸天、法を聴かんが爲の故に亦常に隨侍せん。若し村落・城邑・空閑・林中に在らんとき、人あり来って難問せんと欲せば、諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護し、能く聴者をして皆歓喜することを得せしめん。所以は何ん、此の経は是れ一切の過去・未来・現在の諸佛の神力をもって護りたも所なるが故に。文殊師利、是の法華經は無量の国の中に於て、ないし名字をも聞くことを得べからず。何に況んや見ることを得、受持し読誦せんをや。文殊師利、例えば強力の轉輪聖王の、威勢を以て諸国を降伏せんと欲せんに、而も諸の小王其の命に順わざらん。時に轉輪王種種の兵を起して往いて討伐するに、王、兵衆の戦うに功ある者を見て即ち大に歓喜し、功にしたがって賞賜し、或は田宅・聚落・城邑を与え、或は衣服・厳身の具を与え、或は種々の珍寶・金・銀・瑠璃・車(インドに産する大きな二枚貝)・碼碯・珊瑚・琥珀・象馬・車乗・奴婢・人民を与う。唯髻中の明珠のみ以てを与えず。所以は何ん、独り王の頂上に此の一つの珠あり。若し以て之を与えば、王の諸の眷屬必ず大に驚き怪まんが如く、文殊師利、如来も亦復是の如し。禅定・智慧の力を以て法の国土を得て三界に王たり。而るを諸の魔王肯て順伏せず。如来の賢聖の諸將之と共に戦うに、其の功ある者には心亦歓喜して、四衆の中に於て為に諸経を説いて其の心をして悦ばしめ、賜うに禅定・解脱・無漏根・力の諸法の財を以てし、亦復涅槃の城を賜与して、滅度を得たりと言って其の心を引導して皆歓喜せしむ。しかも為に是の法華経を説かず。文殊師利、轉輪王の諸の兵衆の大功ある者を見ては心甚だ歓喜して、此の難信の珠の久しく髻中にあって妄りに人に与えざるを以て、今之を与えんが如く、如来も亦復是の如し。三界の中に於て大法王たり。法を以て一切衆生を教化す。賢聖の軍の五陰魔・煩悩魔・死魔と戦うに大功勲有って、三毒を滅し三界を出でて魔網を破するを見ては、其の時に如来亦大に歓喜して、此の法華経の能く衆生をして一切智に至らしめ、一切世間に怨多くして信じ難く、先に未だ説かざる所なるを而も今之を説く。文殊師利、此の法華經は是れ諸の如来の第一の説、諸説の中に於て最も爲れ甚深なり。末後に賜与すること、彼の強力の王の久しく守れる明珠を、今乃ち之を与うるが如し。文殊師利、此の法華經は諸佛如来の秘密の蔵なり。諸經の中に於て最も其の上に在り。長夜に守護して妄りに宣説せざるを、」と説かれています。