<ユダヤとカトリック>(此の対立は正式な言葉ではない。正式な言葉では<堕天使ダビデ教徒(一般にユダヤ教徒と云われている)と正統なるユダヤ教徒(一般に基督教徒と云われている)>である。基督教は、ユダヤ教の教えを正統に受け継いだ教えである事を忘れている。更にイスラム教とカトリックの関係は、イスラム教が上位である。但し、イエス様が説かれた一夫一婦制度の破壊は、禁止しなければならない。今までイスラム教の教えを強調したからと云って、自分は一夫一婦制度を否定していない。勘違いをして頂きたくない。イスラム教が説いている基督教の過ちは、3位一体説の過ちである。イエス様は、神の使いは事実だけど、絶対神として崇めてはならないと云ったのです。更にイスラム教と千乃正法の関係は、「千乃正法」が上位である。「千乃」先生の所に「宇宙の法」を預かる唯一の万軍の主である神ヤーベが存在している。今、イスラエルが「ユダヤ」の言葉を使っているが、此れは詐欺である。正式の名は、「悪魔ダビデ」教徒人である!忍)の歴史的、宿命的ともいえる対立葛藤を続けた両勢力が、今や和解した。和解というより、ユダヤ(悪魔ダビデ)側にカトリックが蚕食されてしまった、と云った方がより適切かも知れない。
バチカンの内幕を覗く前に、昭和43(1968)年、パリに吹き荒れ世界中の耳目を集めた<コンテスタシオン>(抗議)ーー所謂5月事件に就いての精神分析学的検討を行った”拒絶の世界”(堕天使ダビデ教徒B・グランベルジェとJ・C・スミルゲル編著、岸田秀訳)の一節を御紹介しよう。此れは「日本の読者」へと云う編著者の端書きの部分である。
「我々は、5月運動に対するカトリック界の歓迎ぶりには、唯只管(ひ
たすら)驚かせた。5月運動は、カトリック界のある期待に応え、其処
に至極当然な落ち着き先を見出した様に思われる。カトリック系の数多
くの刊行物は、5月事件を熱狂的に讃えずには置かなかった。モンペリ
ユの夏期人民大学は、ドミニコ修道院で開催された。数多くの仏国の聖
職者(邪職者!忍)が、コンテスタシオンに対する好意的な声明を発表
し、特に、「消費のみに心を奪われた文明」に反対するコンテステールの
立場を支持した。<曾ってバスティーユを奪った様に、5月には人々は発
言権を手に入れた>と云う有名な文句を吐いたのは、イエズス会のミッセ
ル・ド・セルトー神父である(消費活動と云うのは本人の良心に基づいて
動けば、経済も正常な方向に発展する事が出来る事を忘れさせようと
している!愛)。
デュランドー神父は『1968年5月の日々』の中で、基督教の信仰
の名に於いて、革命と其れが招く暴力とをはっきり是認した(つまり、
革命も正しい行動であると云う事を。何と罪深い言葉だろうか。「神の
愛」とは。夫々の立場を立っての上の調和である事を忘れている)。
・・我々 が本書で述べようとしている主張は、コンテスタシオンと基督教
との類似だけに尽きるものではないが、しかし、此の主張は、日本の読
者には恐らく極めて奇異なものに映るであろう。・・・」
********************************
<カトリックとコンテスタシオン>と云う妙な取合せをいきなり持ち出されても、面喰うのは当然である。奇異所か、そんな馬鹿気た事が有り得ようか、と云うのが日本人100%の常識だろう。ところが其れは、精神分析学を煩わさなくても厳粛な事実なのである。但し、此れを理解するにも矢張り<ユダヤ>と云う視点を加えなくてはならないだろう。其れは、彼の時カルチエラタンで暴れ捲くった新左翼の学生達が、ユダヤ人ヘルベルト・マルクーゼの弟子達で、ダニエル・コーン・ベンディト君が「俺達は、独逸のユダヤ人だ」と喚き散らしていた、と云うだけの事では無い。
「第二次世界大戦後、仏蘭西のカトリック教会ーー平信徒と聖職者の
双方ーーは、カトリシズムの主要国教区の中で、最も左翼で改革派と
して立ち現れた。此の状況は既に1930年代の展開の中に暗に含ま
れていた。其れ所か、其れは此の世紀初期の頃から潜在していた」
ハバード大学歴史学教授のH・スチュアート・ヒューズは”塞がれた道”(荒川幾男、生松敬三訳・みすず書房刊)で、こう云っている。詰り、第二次世界大戦後のフランス・カトリック界の状況は、既に伝統的、保守的なものでは無くなっていた。第二バチカン公会議以降の転換を予想させ、昭和41(1966)年<コンテスタシオン>に同調しても、ちっとも不自然でない傾向が既に支配していたと云っても良いのだろう。更に云えば、前世紀末から今世紀(20世紀!忍)に係る、例の<ドレフュス事件>に兆していた。だが新トマス主義とか<マーテル・エト・マジストラ>(社会問題の発展の回・Encyclica)と云った、カトリシズムの側面に於ける解説は、到底出来ないし、別に神学専門書もある事だから、此処では最も生の世俗的側面から情況を捉えて見る事にする。 昭和15(1940)年5月、仏蘭西はナチ・独逸の電撃作戦で難攻不落と頼みにしていたマジノ・ラインを敢え無く突破され、忽ちにしてパリ陥落となった。仏蘭西政府はパリからトゥール、ボルドーと移り、抗議を主張したレイノー首相は辞職する。其処で第一次世界大戦に於けるベルダンの英雄ペタン元帥が登場した。戦後のはしたない風潮から、レジスタンスのドゴールのみが悪戯に空虚な栄光を授かったのに対して、此の悲劇の老将軍は、今持って云われない中傷を浴び、名誉を奪われている。しかし、当時も今も、真の勇気ある仏蘭西の国民的英雄はペタンだったのだ。ペタンは、独逸との休戦協定を結ぶ直前、6月20日の放送で、全国民にこう告げている。
「第一次大戦で戦勝して此の方、仏国では快楽の精神より強まってい
た。我等は権利を要求する事のみ多く、義務を遂行しようとはしなか
った。労力は出来るだけ省こうとした。そして今此の逆境に立ってい
る。しかし、私は曾っての栄光の時代に諸君と共にあった様に、此の
暗黒の時代にも諸君と共に留まるだろう」
此の時ペタンは既に84才の高齢だった。領土の3/5を独逸軍に占領され、苦難のヴィシー政府を一身に背負う悲痛な叫びである。彼は、ダンケルク撤退と云う同盟軍の裏切りを憤ったが、決してナチへの協力者では無かった。対独協力政策を取り、ナチへ媚態を呈したのは副首相のラヴァルで、40年12月、ペタンは断乎としてラヴァルを罷免した。(仏国国内の問題だけで見ると、此の意見正しいと感じる。しかし、世界的視野で見ると、第一次世界大戦は、フリーメーソンが計画を立て、被害を有ったのは独逸である事を忘れている。独逸は謂れの無い高額の賠償金を仏国のユダヤ系列の国際金融に支払う義務を取らされてしまった。当時仏蘭西が最も国際金融が盛んな場所であったのです。仏蘭西は、又大東社の革命的フリーメーソンの本拠地であって、仏蘭西革命、別名ギロチン革命を実行した場所でもあるのです。仏蘭西に対するヒトラの攻撃は、自衛戦争の側面があるのです。先ず自国を正しい方向に導くのが先決である。其れは自国の中のユダヤ共産主義を掃除する事である。当時、反共を第一面に出したのは、独逸である!忍)。
ペタンが放送で述べた様に、当時の仏国の頽廃ぶりは酷かったのである。其れは仏国人自身が一番良く知っている。金融、産業界は云う迄も無く教育、文化、出版と、殆どの分野がユダヤ勢力に握られていた(今の日本も此れに近づきつつある!忍)。特に南仏に至っては、一村毎買える程疲弊荒廃していたと云う。出るも地獄、留まるも地獄ーーと云うが、ドゴールの様に祖国を離れドーバー海峡を渡って、ロスチャイルドを始めポンピドー現大統領(昭和46年当時)、シューマン現外相(昭和46年当時)等のユダヤ人達に傳かれていたのが英雄か、ナチの圧制下の祖国で黙々として裏切者の汚名に耐えていたのが英雄か、俄かに決し難いのではないか。
昭和46年夏カルチェラタンの小っぽけな映画館で公開された大層な話題を呼んでいる”ル・シャグラン・エ・ラ・ピチエ”(憂愁と哀れみ)と云う映画がある。第二次大戦中の仏国の情況をルポ風に纒めた物だが如何に<レジスタンス神話>が虚偽に満ちていたか、逆にペタンがどんなに国民的支持を受けていたかはっきりさせてくれる。
其れはともかく、昭和19年8月、仏国共和国臨時政府首席としてドゴールがパリに帰り咲き、新内閣を組織してから対独協力者の告発が始まる。ドゴールは、露西亜系ユダヤ人を妻としている哲学者、ジャック・マリタンをバチカン大使に派遣した。カトリックの世界にも嫌おう無く此の波動が打ち寄せた。パリ大司教シュアード枢機卿を始め7人の枢機卿、150人の司教が攻撃の矢面に晒された。ナチに協力し、ペタンを助けたと云うのである(もう此の頃は、ユダヤマルクス共産主義者依る基督教徒虐殺が始まっている。彼の時の戦争は、共産主義対自由主義の戦争である。只軍隊を作って統制をしているから、全体主義の様に見えるかも知れないが、反宗教・反道徳のマルクス共産主義と比較してはならない。逆に連合国は大量虐殺の国である共産主義を褒めていた事を忘れてはならない。当時では本当の脅威は、共産主義国にあるのです。そしてナチに依るユダヤ人虐殺は政府としては無かったと云う論文もあるのです!忍)。其の頃のバチカンからの仏国使節はアンジェロ・ロンカリー枢機卿だった。(1944?53年)彼は真実を述べる勇気の無い日和見主義者で、結局戦後処理をユダヤの云うなりに遣ってしまった。政治的には無邪気だが、ピオ12世の懺悔を聞いた聴罪師で其れなりの勢力を持つ独逸系ユダヤ人ベア枢機卿、仏国のバチカン大使ポーランド系ユダヤ人パレンスキーと共に後任法王使節にユダヤ人ジョン・ビロー枢機卿を選んだのである。ピオ12世は、其れで仏国に於けるカトリックへの非難が和らぎ、聖職者や信徒の苦境が少しでも救えるのならばとして此れを認めた。例の労働司祭問題でごたついたのも、此の頃である。ところが今度は法王に対し、ナチと妥協したと云う非難が高まった。独逸系ユダヤ人の神父ホフードが中心で、ピオ12世のナチ反対の声が小さかったと云うのである。そうした情勢を促進させて置いて、昭和33年、次期法王には老齢で操作のし易いロンカリー枢機卿が登位した。此れがヨハネス23世だが、彼は飽く迄一時的な中継の役割を持っただけであった。此の時期から、ユダヤ勢力のバチカン浸透作戦が組織的に始まった。
4年近い準備期間を置いてだが、昭和37(1962)年10月から始められた第2バチカン公会議(此の会議で、悪魔理論のマルクス共産主義理論である解放神学を認めた!忍)は、こうしたユダヤとの関連に於いて解釈されなければならない。此の公会議の精神を表す言葉として、しばしば使われる<アジョルナメント>は、現代の要求への適応や教会改革では無く、真相はユダヤの要求に対する適応であり、教会の脱皮だったのである。カトリシズムの社会経済への基本姿勢は<マーテル・エト・マジストラ>を待たなくても、既に19世紀末のレオ13世に依って発せられた<レールム・ノバールム>(労働者の境遇)や、ピオ11世の<クワドラジェジモ・アンノ>(社会改革)の回勅ではっきり決まっていた筈である。
昭和38(1963)年、モンティーニー枢機卿が第265代の現法王(昭和46年当時、今現在はヨハネ・パウロ2世)パウロ6世に就任したが、其の彼はどんな人物なのだろう。
22才で神学校を卒業して以来、貧しくて仕事ばかり多い地方僻遠の司祭を嫌い、ずうとバチカンでエリートとしての官僚生活を続けていた。其の母はユダヤ人だから、彼は半悪魔ダビデ教徒と云う訳だ。文学や音楽には興味を持ち素養もあるが、肝心な神学、哲学は然(さ)して得意で無く、不幸な事に虚栄心が強く、人の上に立つ事を常に望んでいた様である。バチカンのエリートは、御多分に漏れず9時から1時迄勤務すれば良いし(最低限8時から夜5時迄、仕事を探して働く必要がある。そして、民衆の中に入って、人の苦労と汗を学ぶ必要がある。此れを見れば、日本の官僚は良く働く国である事を日本国民に気付いて欲しい。今の日本国民は「隣国の芝生が青い」と云う感覚で政府を批判している!忍)、位階はエスカレーター式に上がって行く。其の上、彼は民主党上院議員をしていた兄弟の伝(つて)で伊国政府を動かし、積極的に昇進運動をした。其の回有って、昭和25(1950)年、国務次官になり、仏、米、南米各国を法王の使節として歴訪した。此の時ばかり、ユダヤ系報道関係は彼を、”未来の法王”と称揚し立てた。法王就任の条件としては司牧の経験が必要なので、ミラノの枢機卿を勤め、首尾好く法王の座に収まったのである。ピオ12世の秘書をしていた頃から、南米には特に意欲的に接近をしたが、彼の秘書であり、矢張りユダヤ系のサンモレを南米担当に任じ仏国、ベルギー在住のユダヤ系司祭司教を中南米へと送り込んだ。現地では反米活動を助長し、ユダヤ的革命運動(共産主義革命運動)を支援させた(其れで此の地域に共産主義理論である”解放神学”が広まったのである!忍)。ベルギーのルーベン大学教授フタール、コンブラン、其れにブラジルのペルナンブコ大司教として取り分け信任厚いヘンデル・カマラと云った面々で、彼等は社会経済改革の為なら武装闘争をも辞さないと主張している。教区の貧民救済より革命だと云う発想なのである。仏国の5月革命とカトリックの共感に今更驚く事は無い。こうした情況が準備されていた。南米の騒擾、革命には必ず進歩派を称し、ネオ・トミズムを主張するユダヤ系神父が加担しているのだった。
例えば、南米のチリである。昭和45(1970)年11月3日、無血革命で左翼政権を樹立したユダヤ人、アジェンデ大統領(完全なる共産主義者!忍)に至る経過を注目すべきだろう。前任の大統領フレイも、実はスイス系のユダヤ人で、基督教民主党を率いるカトリック教徒なのであった。しかも彼のカトリック思想は、ユダヤ的倫理観を基底にした、所謂進歩派団体の其れである。革命的基督教とも云われている。彼の一番の助言者もユダヤ人のチョスロン経済相だったし、在野の黒幕は、ブラジルのカマラ神父と共に南米で最も進歩的で、且つヨハネス23世時代、異例の昇進を遂げたラウル・シルバ・エンリケス枢機卿なのであった。此の枢機卿の土地解放や、第二バチカン公会議への熱烈な賛美は余りにも有名である。
フレイは6年間の任期中、せっせとアジェンデへの道を拓いたと云われる。10月24日に行われた上下両院合同会議の決議投票でも、フレイの基督教民主党の75票は、そっくりアジェンデ支持に回った。此の75票と、保守派の45票が一緒にならず、共産党も含む左翼統一戦線80票と結んだ事に、第二のキューバ誕生の秘密があり、カトリック左派、詰まりユダヤ派の強力な働きがあった。サルバドル・アジェンデが、フリー・メーソン秘密結社員である事は隠れもない事実である。
扨バチカンの内部はどうなったか。パウロ6世の下で国務長官を勤め、次期法王の呼び声高いジョン・ビロー枢機卿が仏国系ユダヤ人であるのを始め、12聖者の主要な地位は、盡くユダヤ系に占められてしまった。検邪聖省のシャペロはユーゴ系、其の学者顧問のチャールス・メーラーはベルギー系。修道院聖省のライトは米国系、礼部聖省のガットは、スイス系、東方教会聖省のフリュシュテンベルグもオランダ・ベルギー系、布教聖省の前後任省ロッシイ、ピネドリイ共に伊国系と、何れもユダヤ人である。会計院の実権を握るブリーニも勿論の事ユダヤ人である。此の他重要カトリック教国の枢機卿にも。殆どユダヤ系が進出している。フランスのマルティ、ベルギーのシュネス、オランダのアルフリンクと云った所で、数え上げれば切りが無い。カトリック教会中最大の修道会であり、日本に初めて布教したフランシスコ・ザビエルでおなじみのイエズス会の総長ルペ神父も、バスク出身のユダヤ人である。こうした人事面だけでなく、カトリック神学や出版活動でのユダヤ勢力の伸張には目を見張る物がある。外部にも内部にも知られていないだけなのである[此処らは全て「ユダヤ」人と云う言葉を使っているが、此れは不正解である。純粋にイエス様を信じた人が、正統為る「ユダヤ」人である。しかし、此処のユダヤ人は、心からイエス様を信じていないし、悪魔ダビデ王の再来を心から望んでいる人達だから、正式の名は、「悪魔ダビデ」教徒人と言う。イスラエルの国を正当化した人達全ては、「悪魔ダビデ」教徒人と云う。「ダビデ」紋章を大切にする人は全て「悪魔ダビデ」教徒人と云う。此等が「ユダヤ」人と云うならば、其れは自分を「詐称」した人達であり、「詐欺」罪を犯しているのである。刑務所に入れるべきである。
カトリックの権威は、使徒パウロから来ているのです。此れは、今現在のカトリック教会の関係者の人達も真剣に考える必要があるのです。例えば、「聖書」に悪魔ダビデの黙示録である「ヨハネの黙示録」を載せて、神の使徒であり、カトリックでは最高権威者である「パウロの黙示録」を偽典扱いし、聖書に載せていないのです。カトリックの権威は、「パウロの黙示録」の中のモーセ様の言葉から来ているのです。
しかし日本の場合は、カトリックと云うよりも、純粋なイエス様主催のエルサレム教壇が日本に入っているし、ペテロ様が守護霊として君臨しているのです。カトリックの権威は西欧諸国にあるのです。真面目なユダヤ人達は、神ヘホバを大切にし、神の言葉である「日本語」を大切にし、神の紋章である「菊」の紋章を大切にする人であり、神の国旗である「日の丸」を大切にする人である。此等の人達が正統為る「ユダヤ」と云う言葉を使う事が出来、此等の人達が「ユダヤ」人であり、別名「日本」人である。!忍]
尚欧州金融界に謎の王国として君臨する名高いロスチャイルドの歴史を解明したジャン・ブーヴィエ著「ロスチャイルド家」(昭和44年7月刊井上隆一朗訳)は、バチカンと此の悪魔ダビデ人との深い仲を証明する、幾つかの貴重な資料を提供してくれる。
「ナポレオン時代のロスチャイルド家の当主マイヤー・アムシェル・ロス
チャイルドには5人の息子がいて、フランクフルトを根拠に欧州各地に散
らばっていた。連携プレーの妙を発揮して思いもよらぬ富を築いた訳だが、
其の内の4番目カール・ロスチャイルドはナポリに居を構えていた。其の
カールが1832年、ローマ法王に謁見を許されている。ユダヤ(悪魔ダ
ビデ)人とローマ法王の会見とは可笑しな話だが、此れはロスチャイルド
家が其の頃ーー1831、32年に法王庁の初めての債権を引受けた事に
関係ある様だ。カールは謁見されただけでなく法王から勲章も授かってい
る。又1850年、共和制になったローマから一旦脱出した法王ピオ9世
が帰還し、此の時もカールは5千万フランの法王庁公債発行を引受けた。
更に1905年、バチカンとフランス共和国は政教分離問題で不和とな
っていたが、法王特派使節がローマに引揚げた後も顧問官のモンテーニュ
司教はパリに留まっていた。彼はパリ政界の動向を監視し、教会の利益擁
護の為に活動していたのだが、其の活動資金はバチカンからスペイン経由
でパリ・ロスチャイルド商会の当座に振込まれていた。詰まりこうした時
期にも法王庁とロスチャイルド家の因縁は浅からぬものだった」
此れでも分かる様に、バチカンは財政的に悪魔ダビデ(ユダヤ)に依存せざるを得なかったのだ。カールの債権引受けでは、みすみす高利を貪られていながら、どうしようもなかったらしい。其れを憤慨した法王領チビタ・ベッキア駐在のスタンダール仏公使が本国政府に宛てた、
「法律的に禁止されている筈の高利を貪り、しかも法王庁はこんな条件を
呑まされています」
と云う書簡も紹介されている。
1489年11月21日 コンスタンノープルのユダヤ総主教ウスス」
基督教神父、牧師の権威は、我等[悪魔ダビデ教徒(ダビデ紋章を神だと信じている人達)!忍]に依って失墜し、民衆に対する彼等の勢力は、日毎に低下している。
信教の自由は、至る所で認められており、基督教の完全な崩壊も、軈て時間の問題だろう。
他の諸宗教はもっと簡単に潰せるだろうが、未だ其れを論ずるのは時期尚早だ。
当面は基督教聖職者を更に圧迫し、其の感化力を、昔とは比べものにならない程に追い詰めるのである。
ローマ法王の権力を潰滅させる時機が来たら、隠れた手(悪魔ダビデに操られた手先、例えばフリーメーソンとか、共産主義者とか、左翼報道系等!忍)がバチカンを指さし、民衆を向かわせるだろう。民衆がバチカンに殺到した時、我等(悪魔ダビデに操られた自由主義国の政府関係者!忍)は、素知らぬ顔で法王の保護者として登場し、流血の惨を許さないようにする。
こうした策略で、我々(悪魔ダビデ教徒、「ダビデの紋章」を崇拝している人達!忍)はバチカンの奥深く侵入し、法王の権力を内部から蚕食し、完全に空洞化するまで立ち去らないだろう。
イスラエルの王(悪魔ダビデの子)がやがて世界の真の法王となり、首長となるだろう。
しかし、我等が未だ青年達をユダヤ教(悪魔ダビデ教。「ダビデの紋章」を神として教えている法)へ導く前の過渡期の段階では、現存諸宗教を公然と直接排撃する事は避けながら、内部紛争を助長させたり教理批判をしたりで破滅への道を辿らせる。」
と云う悪魔ダビデ教の戦略である