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超インフレ、破滅を待ち望む者達ーー”石油”でズタズタにされる世界経済

●日本人だけが知らない「大失業」の記憶

 1996年度の先進国首脳会議、即ち「リヨン・サミット」の主要テーマは、「雇用の拡大」であった。
 素直に言って、日本人でこのテーマにピンと来た者は少なかっただろう。其れ程に日本と云う国は、未だ未だ雇用問題に関しては幸せなのだろう(是れは、言い過ぎである。失業すれば、基本的に食事が出来なくなる。矢張り問題である!忍)。
 幾ら戦後最長の不況と言っても、日本の完全失業率は未だ3%台(1996年当時、今更に増えて5%台になっている)。リストラと云う名の人員削除や「超氷河期」と言われる大学新卒者の就職戦線……近年我が国に無かった厳しい雇用情勢になりつつあるが、当事者以外は未だ未だのんびりしているのである。何よりも政治の最優先課題が失業克服では無い点が、其れを物語っている。
 世界で最も失業問題に敏感な国民は誰か。恐らくドイツ人達だろう。何故なら、彼等は1920年代末から30年代初頭に掛けて、大不況化のハイパー()インフレ、ハイパー()失業時代を体験したからである。
 其の中から独裁者であるヒトラーが登場し、軈て第二次世界大戦へと突入していった。
 ヒトラー登場時のドイツの人口、産業構造、政治状況等と今日のドイツの其れは異なっている。だが、失業者を巡る状況は次第次第に酷似してきつつあるのである。
 コール首相を始め、ドイツ政治関係者達は気が気ではない思いで、国家の緊急課題として「雇用の拡大」を捉えようとしている。
 私達は軈て起きるだろう世界的な規模のハイパーインフレ(こういう書き方は危ない。一応世界では良心的に、世界経済の発展を話し合いで行っているからである。第二次世界大戦の原因を、経済的な問題もあった事を認めたから、保護貿易の排除、自由貿易の促進を行ったのです。自分は是れを認めるが、只、一部が悪用して反道徳家と本当に世界統一戦略家がいるから、問題が起きるのです。国際連合の地下の核爆弾を取り除く事は必要です!忍)の雛形を、第一次世界大戦後のドイツに見る事が出来る。
 第一次世界大戦は、1914年から18年に掛けて、欧州を主戦場として戦われた。高性能爆薬、戦車、戦闘機、毒ガスと多くの高技術兵器が登場し、其れ等は将に前代未聞の数の戦死者を生み出したのであった。
 余りにも大きな損失の前に、全世界は愕然とした。そして第一次世界大戦が終わった時、恰も人類史が書き替えられたかのごとき、或は「終末の時代」到来を思わせる程の大変化が起きたのであった。
 敗戦国ドイツの国民は、いつ迄も失望落胆の中に留まる事が出来なかった。国家組織が滅茶苦茶になり、皇帝は退位し、街に失業者は溢れ、暴動が頻発し、治安の乱れは目を覆うばかりであった。
 
 

●ハイパーインフレと、其の後のハイパー失業がヒトラーを生んだ

 インフレ率の上昇が激しくなったのは、第一次大戦終結から5年たった、1923年の事である。
 前年からドイツを襲っていたインフレが其の年の10月に入って一段と激しさを増す。大戦前に比べて、ドイツの通貨量は2940億倍、卸売物価は1兆2600億倍にも達した。
 このインフレの背景には、世界大戦で疲弊したドイツ産業界の生産力不足がある。需要に供給が追いつかない為、市場に恒常的に品不足だったのである。此処に敗戦国故の信用不安等が絡み、急激なインフレ、即ちハイパーインフレが発生したのであった。
 物価は一時間毎に上昇し、切手は訂正印のないまま役人が時価を手書きする有り様だった。
 ドイツ政府はこの異常な事態を収拾する為に、1923年末にレンテン銀行を設立した。そして過渡期的手段として、不換紙幣レンテンマルクを発行したのであった。
 レンテンマルクは正貨即ち金と兌換出来なかったが、全産業の保有資産を担保として、32億レンテンマルクまで保証していた。レンテン銀行は1兆マルクを1レンテンマルクと交換した。つまりデノミネーションである。是れによって貨幣価値は急速に信用を取り戻していった。
 これに呼応して、政府も其れ迄の将に無制限な紙幣発行を中止し、1924年8月には貨幣法を制定、新たなライヒス銀行券を発行してレンテンマルクを回収した。さしものハイパーインフレも、これによって奇跡的に終息していったのである。世に言う「レンテンマルクの奇跡」であった。
  だからと言ってドイツ経済が立ち直った訳ではない。否、此の時からハイパー失業時代がスタートしたと言っても過言では無かった。
 ドイツの失業者数はどの様に変遷したか。

 1923年………………………………  751、000人
 1924年………………………………  978、000人
 1925年………………………………  636、000人
 1926年………………………………2、000、000人
       (略)
 1930年………………………………3、000、000人
 1931年………………………………4、500、000人
 1932年………………………………5、500、000人

 1929年10月24日、アメリカ・ニューヨークのウォール街で歴史に名高い株価の大暴落が起きた。世界大恐慌のスタートである。ドイツ経済は立ち直るいと間もなく、大恐慌の大波を被る事になった。
 経済は再び転覆下。失業者達は、今度こそ経済手段も無い絶望に追い込まれたのだった。
 この恐ろしい記憶が、今日のドイツの多くの人々の中に生き続けている
 
 

●マルク紙幣を刷る事しか出来なかった、敗戦国ドイツ

 では何故ドイツをこの様なハイパーーインフレ、ハイパー失業が襲ったのだろうか。
 其の原因は先程述べた様に矢張り、第一次世界大戦にある。戦争は恐るべき爪痕を残すのである。
 私達日本人は、もう50年も戦争を経験していない。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と、全てを蚊帳の外から眺めて来た。世界中を巻き込んだ冷戦すら、アメリカの庇護の下、最前線で何が起きているか知らずに過ごして来た。日本人は戦争が何を齎すか、最早忘れてしまっているのだ。
 50年前を御記憶の方は思い出して欲しい。若い世代は想像して貰いたい。
 次なる戦争が、又も私達を蚊帳の外に置いて行われる保証は無い(自分に与えられた言葉として受け取っている!忍)。其の為に、歴史から学ぶ事は多いのである。
 1919年6月28日、即ち第一次世界大戦の口火を切ったサラエボ事件から、丁度5年目に当たるこの日、フランスのベルサイユ宮殿・鏡の間で、ドイツ代表団は講和条約に調印した。この条約は敗戦国ドイツには非常に厳しいものであった。
 ドイツはこの条約によって海外植民地を失い、フランス、ベルギー、ポーランド、チェコスロバキア、リトアニア等に領土の一部を割譲、更にダンチヒ(現在のグダニスク)は国際連盟管理下の自由市とされた。
 ドイツは戦前に比べて10%以上もの面積と人口を失ったのであった。
 話を少し現代に戻そう。1991年、ソ連が崩壊した。そして新たな国々が独立したが、新生ロシア連邦の立場に立って見れば、この第一次世界大戦後のドイツと同じ様に、多くの面積と人口を失った事になるのである。現在のロシアを、安閑とした目で眺めてはならない事が理解して貰えるだろうか(ソ連は、人権侵害共産主義国であり、侵略の国であったのである。其れを忘れてはいないでしょうか。ソ連が行った残虐な支配を取り除いて、異民族の文化も破壊した国である。旧ロシアの侵略も、イワン大帝の凡そ人間の愛情を感じない残虐な支配を行ったのである。理解する事は出来ない。其れよりも、愛のある国家作りをロシアは考えなければならない。当時の自由主義国独逸との比較は出来ない筈である!忍)。
 さて、オーストリアとの合体も禁止されたドイツは、軍港も厳しく制限され、陸軍10万人以下、海軍の保有艦船は10万トン以下、空軍の保有は禁止、徴兵制も又禁じられた。皇帝と旧ドイツ政府指導者の引き渡しも求められた。
 加えて、賠償金支払いが定められたのである。1921年5月までに200億金マルク。
 この条約案が出された時、ドイツ国内は議論に次ぐ議論、暴動に次ぐ暴動となった。
 条約案の殆どは何の訂正もされず、ドイツ側代表は調印、承認を余儀なくされた。当然ドイツ人達は絶望の淵に突き落とされ、臥薪嘗胆(がしんしょうたん:薪の上に寝、苦しい胆をなめる。仇を打つ志を抱き、いつも其の事を思って辛苦し、自ら励ます事。呉王夫差を破った越王勾践の故事)の思いを強くしたのであった。  
 其れに輪を掛けたのが、1921年4月27日、ロンドンで行われた連合国最高会議の決定であった。
 其れまでドイツの賠償金はベルサイユ条約に基づいて200億金マルクとされていたが、この会議で引き上げられ、1320億金マルクとなったのであった。天文学的数字の賠償金であった。
 此れは金マルク、即ち正貨である。資産の裏付けが必要な通貨である事が重要な点である。
 確かに大戦で、ドイツはフランス・イギリス等に大きな損害を与えた。フランスでは30万戸の民家、1500Kmを越す鉄道が破壊され、軍事面での被害もドイツを上回った。イギリスの商船はドイツUポートのよって800万トンも沈没させられた。
 だからと云ってドイツは、1320億金マルクをどうして支払えるだろうか。先にも述べた様に、此の時既にドイツ経済及びドイツ産業は完全に崩壊していたのだから。
 此れ等戦勝国側の賠償金要求は、ドイツに対する復讐以外は何ものでも無かった。復讐であるが故に、払えない事を知りつつも尚連合国側はドイツに迫った。もしドイツが賠償金を払わないならば、ドイツの伝統的工業地域であるルール地方を占領する、と威嚇したのであった。ここに於いてもドイツ政府は止むを得ず要求に著名(サイン)した。
 そして1923年1月に至る。此の時ドイツは未だ充分な賠償金を支払ってはいなかった。フランスやベルギーは、ドイツの窮状を認めようとしない。却って賠償金支払いの遅れを理由に、両国軍6万人をルール地方占領の為に差し向けたのであった。
 フランスは既に1月9日、賠償委員会で「ドイツからの石炭供給が遅れているのは、意図的なバルサイユ条約違反である」と非難していた。フランス及びベルギーは、「生産的担保」の確保を理由にこのルール地方を占領したのであった。
 重要な工業地帯を奪われた事から、1923年半ば以降、ドイツの生産活動は殆ど停止し、失業者は益々増加していった。
 此の時である。ドイツ造幣局は国家が必要とする資金を補う為、不眠不休でマルク紙幣を印刷したのであった。
 

●土地を売った金でバターしか買えなくなるハイパーインフレ

 かくして、ドイツのハイパーインフレは破局的状態にまで加速されていった。
 ドイツ人達はこの恐怖を体験し、其れが細胞の一つ一つに染み込んでいるのである。
 給料は物価に追いつかず、労働者は日給を手にすると直ぐ其の足で食料品を買いに走った。6時間もするとマルクの購買力は1/3か半分になる為である。
 日給取りの人は未だいい。月給取りはもっと悲惨であった。月末に貰う給料袋には、将に紙切れしか入っていない。1カ月前には其の額で肉を買えた筈なのに、今日は何も買えない。
 混乱する市場には悪徳商人が蔓延り、中産階級の夫人達でさえ厚化粧で夜の街に立った。ドイツ全体が窮乏に覆われてしまったのである。
 ここに物価がどれ程上昇したか、パンの価格で具体的に示そう(『世界の歴史教科書シリーズ・西ドイツ』より)。

 1923年 1月………………………………………………… 250マルク
 1923年 2月………………………………………………… 389マルク
 1923年 3月………………………………………………… 463マルク
 1923年 4月………………………………………………… 474マルク
 1923年 5月………………………………………………… 482マルク
 1923年 6月…………………………………………… 1、428マルク
 1923年 7月…………………………………………… 3、465マルク
 1923年 8月………………………………………… 69、000マルク
 1923年 9月………………………………… 1、512、000マルク
 1923年10月……………………… 1、743、000、000マルク
 1923年11月………………… 201、000、000、000マルク
 1923年12月………………… 399、000、000、000マルク

 1923年11月末、当時のベルリンでの物価は次の如くであった。

 じゃがいも1Kg…………………… 90、000、000、000マルク
 卵1個……………………………… 320、000、000、000マルク
 ミルク1L………………………… 360、000、000、000マルク
 バター1ポンド……………… 2、800、000、000、000マルク

 ハイパーインフレで恐ろしいのは、こうした馬鹿げた迄の数字の上昇ではない。経済の混乱が、容赦なく人々の心を食い荒らして行く事である。ハイパー・インフレ下の1923年、あるドイツ人は次の様な手記を残した。しばし引用を許されたい(前掲書より)。
 「其れは恐ろしい事であった。我々が賃金を受け取る間隔は益々短くなっ
 た。…始めは、月毎に、其れからは週毎に、其れから後、殆ど毎日の様に。
 紙幣は益々多くなり、金額は益々大きくなった。しかし其れによって、手
 に入るものは益々少なくなった。
  母親はカネを持って直ぐにパン屋や商人の所へ駆けつけなければならな
 かったが、そうしている間に、パン、小麦粉、マーガリン、そして野菜は、
 又又2倍、3倍の値段となった。
  会社は毎日の様に、洗濯物籠や旅行鞄(かばん)で紙幣を受け取った。
  カネの価値が直ぐに無くなったので、農民も商人も、売る必要が無い場
 合には、一人として物を売ろうとはしなかった。品物だけが価値があって、
 カネには価値が無かった。
  事実、信用のある外国の紙幣、例えばスイス・フラン、スウェーデンの
 クローネ、或はアメリカ・ドルを持っていたならば、あらゆる物を手に入
 れる事が出来た!
  しかし是のようなカネは、他人の困難を利用してぼろ儲けの商売をした
 『闇屋』だけが持っていた! 『顔』が利かない者は、酷い状態であった。
  最も惨めなのは、年金生活者と老人達であった。彼等は、其れ迄の間、
 老後に備えて銀行に貯金していた。恐らく彼等はマルクの貯金を持ち、其
 の利子で生活しようと望んだ。……其の後、彼等が其の貯金で手に入れた
 物は、僅かにボール箱一つのマッチ棒に過ぎなかった。多くの老人が当時、
 絶望して自殺した。
  祖父は一軒の小さい家を持っていた。今や彼は、家の周りでガヤガヤ騒
 いでいる数千人の人々を見て、すっかり慌ててしまった。彼は、全く悧口
 (りこう)な事だと思い込んで、自分の土地を20万マルクで売った。彼
 は、其れを昔、1万5千マルクで買っていたのである!しかし半年後に、
 彼がこのカネで手に入れた物は、僅か1/4ポンドのバターに過ぎなかっ
 た」

 是の如くハイパーインフレが襲い来ると、国家財産はおろか、産業も、国民一人一人のささやかな生活も踏み躙っていく。是の時悲劇はドイツの国民であった。だが世界全体でハイパーインフレが起きれば、どうなるだろう。

(此れでは、実際の生活状況が掴み切れない。『国際ユダヤ人』ヘンリー・フォード著 島講一訳の中で、当時のドイツの生活を次の様に説明している。

1920年代のドイツでは、債務奴隷化の罠が短期間に集中した為に、極端な反応が生じた。猟奇事件が頻発し、人肉の缶詰が実際に店頭に並んだという。文学でもそうした社会状況を反映した作品が現れた。ヴィルヘルム・ポーレンツ著『ビュトナー出身の農夫』という小説では、一人の農夫がユダヤ教徒(パリサイ派の末裔)から金を借りたが、借金のカタに入れた農地を取られてしまう。農地はさる工業家に売却され、工業家はその土地に工場を建てる。最期に主人公の農夫は首をくくって自殺するが、その最期は「眼窩から飛び出した両眼は、彼が生涯を捧げた土地、魂と肉体を売ったその大地を凝視していた」と結んでいる。これは実際にあった話を基にしているという。」)
 

●大混乱期、国民は”自由”より”独裁”を選ぶ

 ハイパーインフレとハイパー失業時代、国家・社会の秩序が乱れに乱れる。其れ故に一般国民は、秩序回復を熱望するのである。ドイツ国民が求めたものは何だったのか……。
 1923年以降、ドイツの政治及び経済は一層急速に坂を転がり落ちていった。誰も其れを止める事は出来なかった。
 其の果てにドイツ国民を待っていたのは、独裁者(ヒトラー)であった。
 ヒトラーは巧みな戦術で政治権力を手に入れたとされる。しかし、彼が其の様な策を弄さずとも、政治権力の方から彼の懐ろに飛び込んで来たとも言えるのである。
 ヒトラーと彼の同志達、即ちナチス党が、かの有名なミュンヘン蜂起をなしたのは、1923年11月8日の事であった。
 其の夜、ミュンヘンの中心部にあったビアホールではバイエルン州総監カールが3千人を前に演説していた。午後8時を過ぎた頃、ヒトラー及びゲーリング率いるSA(ナチス突撃隊)隊員が其処に乱入した。入口に機関銃を据え、ヒトラーは天井に向けてピストルを放った。大混乱の中、「民族革命は始まった。会場は包囲されている」と叫び、其の場を制圧したのであった。
 蜂起のスタートは華々しく見えた。が、結局彼らは失敗し、二日後ヒトラーは逮捕されたのであった。
 彼の是の行動は、早過ぎたのだと言える。だが、彼は逮捕後、ランズベルク監獄に拘禁されながら『我が闘争』(こう云う時代背景で、書かれた内容である。是の経済混乱を起こしたのは、国際金融であるのです。其の罪を今でも問いてなく、軍事裁判も受けない不合理が成り立っている!忍)を執筆し、出所するや徐々に時代を手元に手繰り寄せていった。そして1933年、遂に彼はドイツの政権を自らの手に握ったのである。
 歴史に「もし」(イフ)は有り得ないが、ヒトラーと云う個人が存在せずともドイツは同じ道を辿ったのでは無いだろうか。其れは、ドイツ国民の心が秩序を、強い力を求めて止まなかったからである。
 時代は進み、今や”世界統一化(グローバリゼーション)”が叫ばれている。
 是れは巷間言われている様な「国際化」等では無い。其の真の意味は「世界統一化」なのである。世界を一つにする、ワン・ワールドとも称される。
 是の言葉を聞くと私達日本人は、歌手ジョン・レノンが歌った様な争いのない世界、平和な世界を思い浮かべる(しかし、ビートルズは、麻薬(LSD)を使ったのではないかと噂が流れている。其れはインドのインズー教の影響ではなかろうかと云われている!忍)。しかし、其れは大きな誤りである。ワン・ワールドとは、強大な支配者の下で、力によって一つに纏められた恐るべき世界なのだ。
 ヒトラーは、其の支配者になりうる人物だったかもしれない。否、もっと強い巨大な力に操られた人物だった可能性もある。
 今ロシアでは、多くの人々が、強い力を持ったスターリン(レーニン)の如き独裁者を求めている。レベジがそうなのか(雑誌『LR』では、今の首相である「プーチン」が、元KGB出身であるから気を付けた方が宜しいと書かれている!忍)。もしくは、レベジよりも強い巨大な力が存在し、彼を使って世界統一を成し遂げるのか。
 私達は歴史から何を学んだのだろうか。歴史は果たして繰り返されるのだろうか。そして今、私達はどの様な時に生きているのだろうか。

●”石油”と云う細いロープに依存した世界経済

 将来起きるであろうハイパーインフレは全世界に及ぶ。其の引き金は第5次中東戦争だろうと前に述べた(『世界最終経済 ー ハイパーインフレと日本の行方』宇野正美著の第一章に述べている。!忍)。 
 今から20年程前、独逸が体験したものよりも遥かに小さかったが、世界各国はハイパーインフレの雛形とも言うべき危機を体験した。第5次中東戦争は、其れを上回るものになる事は確実である事も述べた。
 此処で、今一度第四次中東戦争は1973年10月6日に勃起した。イスラエルと戦火を交えたのは、北のシリアと南のエジプト。
 戦争は数週間に及んだ。其の時アラブ産油諸国は、シリアとエジプトを支援する為、イスラエルに味方する国々には石油を供給しない、として「石油戦略」を発動した。中東で起きた地域(ローカルな)戦争の結果、全世界が政治・経済的パニックに突入したのであった。
 其の時の経済的ショックは、日本では「トイレットペーパー騒動」として記憶されている。
 勿論日本はアラブ諸国に容認され、石油供給を止められはしなかった。しかし、アメリカを始め欧羅巴諸国は供給差し止めの対象国となり、経済は大衝撃を受けたのであった。
 是が第一次の石油ショックである。日本は苦境からいち早く立ち直る事が出来た。だが、其の他の先進国が其の傷を癒すには、可成りの時間が必要だった。彼等の傷が癒えた直後、1979年に起きたイラン革命(英国の特殊部隊MI6が行った噂がある!忍)によって第二次石油ショックが起きたのだった。
 第一次石油ショックの教訓があったとはいえ、世界は再び深い傷を負った。
 各国が過去の教訓を如何に生かしたとしても、石油供給が途切れると必ずや傷を負う。其の事が第二次石油ショックで明らかになってしまった。
 今日の政治、経済、軍事……全ての要は石油である。私達が毎日当然の如くに使っている「電力」一つを取って見ても、殆どの場合、火力発電即ち石油に因っている。水力、原子力といった発電も在るが、輸送や施設維持の為に石油なしには其れ等も止まってしまう[今は、大発電力を伴う発電所では無く、分割して電力供給の電圧を少なくなる省電力発電方法を考える必要がある。其れは、電線に輸送する大きな電圧に伴う磁界を利用したテスラ波の問題があるからである。出来れば、個別に基づいた小さな発電(太陽光発電等)又は燃料電池を使った方が自然に優しいのである!忍]。
 石油が無ければ日本経済は其の基礎を失う。世界を見渡して見ても、石油無しに耕し(是れはガソリン等)、作り、ビジネスする事が可能な国は無いのである(日本は生き残る為には、石油無しで自活出来る研究が必要である。スカラー波の善用でしょう。只扱い方が悪くなると、是れは地球その物が破壊する可能性がある。是の欠点も充分に研究する必要がある!忍)。
 又、盛んに代替エネルギーが研究されているのに、逆に石油の重要性は年々増しているのである。経済成長の道を驀進している中国始め、アジア諸国でも石油需要は増加している。
 今我々は、どっしりと揺るぎない大地に足を下ろしていると思うなら、其れは間違いである。世界が歩んでいるのは、石油と云う細いロープの上なのだ。
 是の様な時、第三次石油ショックとも言うべき第5次中東戦争が起きたならば、最早過去の記憶からは考えられない程の、想像を絶する衝撃を全世界が受ける事になる。

●「カネがあってもモノがない」経済はハイパーインフレの温床

 ハイパーインフレは、潜伏したまま世に出る時を待っている。見えざるハイパーインフレとはどういうものか。
 経済には二つの形がある。一つは実体経済、そしてもう一つは金融経済と呼ばれるものである。両者は表裏一体をなして私達の暮らしに関わっている。
 ところが今日、実体経済と金融経済が余りにも乖離していっている。此処に、次なる世界恐慌を巻き起こす、見えざるハイパーインフレの萌芽が見られるのである。
 先ず実体経済とは何か。
 物事の本質を見誤らない様に、単純化しつつ、注意深く考えてみよう。
 実体経済とはモノを作り、其れを販売し、研究開発を重ね、サービスを提供する等、私達が日々に体験している筈のものである。其処では汗が流される。医者が病気を治す、教師は授業で生徒達に教える。道路、橋、港、空港、鉄道等が造られる……。
 実体経済では、労働によって、又モノによって、対価(おカネ)を受け取っている(LR出版は、対価を払っていない!忍)。 カネだけが湯水の如くじゃばじゃばと湧き出る様な事は有り得ない。人間の労働やモノによる裏付けがあって、初めて価値が認められる経済なのである。
 其れに対して金融経済とは何か。
 経済全体を人間の身体と其れを支える血液に譬える事が出来る。体が生きる為には、常に血液によって酸素が供給され、老廃物を排泄し、更には栄養分が補給されなければならない。体は血液に頼っているし、血液は体があってこそ、其の役割を果たせるとされる。
 体とは実体経済、そして血液とは貨幣、平たく言えばおカネである。
 ところが金融経済とは、おカネ、つまり貨幣其れ自体が商品として取引される経済と言っていいだろう。
 貨幣は、其れ自体に価値があるのではなく、何か実体のあるモノと交換して初めて意味があるものだ。俗に「使ってナンボ」「墓に入れても役に立たない」と言われる様に。
 金融経済では、奇妙な事に貨幣それ自体が目的となり、貨幣が貨幣を生み出すと云う構造になっている(赤字国債が代表!忍)。カネだけが際限無く増え続けているのである。
 勿論、金融経済本来の役割は、実体経済の回転を助けると云う事であり、実体経済にサービスを提供するからこそ金融経済の存在意義があったのである。しかし、血液であり体を支える筈のものが、勝手に大増殖し、いまや体を遥かにしのぐ程になったのである。
 金融経済は、いまや実体経済と比較して20〜30倍の大きさになっている。
 日本の国家予算は財政投融資も含めて1年間に約70兆円余りである。是れによって1億2千万人が生き、且つ国家は国債の利子支払いを行っている。
 参考までに日本の主要メーカーの総売上高を挙げておこう(1994年度)

  新日本製鐵………… 2兆0905億円
  日立製作所………… 3兆7415億円
  日本電気…………… 3兆0069億円
  富士通……………… 2兆2598億円
  松下電器産業……… 4兆4409億円
  シャープ…………… 1兆2615億円
  三菱重工…………… 2兆5030億円
  トヨタ自動車……… 6兆1638億円

 これぞ将に、実体経済の偽らざる姿である。
 一方、実体経済とは別に、最先端のハイテク機器によって世界は一つに繋がり、ネットワークが組まれ、毎日数兆ドルが動いているマーケットがある。金融市場である。規制も監督も行われていない。其処で働いている額を挙げるならば、世界中で一日に8千800億ドル(96兆8千億円)から1兆ドル(110兆円)になる。東京市場でも、金融ディーラーの分を含めれば一日に24兆円ぐらいの取扱い量になる。
 何と驚くべき金額ではないか。
 日本の国家予算の約1/3が、たった一日の東京市場で、しかも狭い場所で取引されている。
 3日分の取引額で、日本の一年間の国家予算を軽く上回る。
 是れがどういう意味を持つか、よく考えて見て欲しい。
 曾て冷戦が世界を覆っていた頃、「地球上の核兵器は、人類を数十回繰り返し全滅させられる程の量になった」と言われたものだ。同じ事が金融経済でも起きている。今や金融経済、金融市場で取引される金額は、「地球上の全てのモノを買っても余る程」の額になってしまっているのである。
 カネは唸る程ある。だが、其れで買う為のモノは無い。カネはあるのにモノが無い。
 これこそ、第一次大戦後のドイツを襲ったハイパーインフレと同じ状況と言えないだろうか。