1923年……………………………… 751、000人
1924年……………………………… 978、000人
1925年……………………………… 636、000人
1926年………………………………2、000、000人
(略)
1930年………………………………3、000、000人
1931年………………………………4、500、000人
1932年………………………………5、500、000人
1929年10月24日、アメリカ・ニューヨークのウォール街で歴史に名高い株価の大暴落が起きた。世界大恐慌のスタートである。ドイツ経済は立ち直るいと間もなく、大恐慌の大波を被る事になった。
経済は再び転覆下。失業者達は、今度こそ経済手段も無い絶望に追い込まれたのだった。
この恐ろしい記憶が、今日のドイツの多くの人々の中に生き続けている
1923年 1月………………………………………………… 250マルク
1923年 2月………………………………………………… 389マルク
1923年 3月………………………………………………… 463マルク
1923年 4月………………………………………………… 474マルク
1923年 5月………………………………………………… 482マルク
1923年 6月…………………………………………… 1、428マルク
1923年 7月…………………………………………… 3、465マルク
1923年 8月………………………………………… 69、000マルク
1923年 9月………………………………… 1、512、000マルク
1923年10月……………………… 1、743、000、000マルク
1923年11月………………… 201、000、000、000マルク
1923年12月………………… 399、000、000、000マルク
1923年11月末、当時のベルリンでの物価は次の如くであった。
じゃがいも1Kg…………………… 90、000、000、000マルク
卵1個……………………………… 320、000、000、000マルク
ミルク1L………………………… 360、000、000、000マルク
バター1ポンド……………… 2、800、000、000、000マルク
ハイパーインフレで恐ろしいのは、こうした馬鹿げた迄の数字の上昇ではない。経済の混乱が、容赦なく人々の心を食い荒らして行く事である。ハイパー・インフレ下の1923年、あるドイツ人は次の様な手記を残した。しばし引用を許されたい(前掲書より)。
「其れは恐ろしい事であった。我々が賃金を受け取る間隔は益々短くなっ
た。…始めは、月毎に、其れからは週毎に、其れから後、殆ど毎日の様に。
紙幣は益々多くなり、金額は益々大きくなった。しかし其れによって、手
に入るものは益々少なくなった。
母親はカネを持って直ぐにパン屋や商人の所へ駆けつけなければならな
かったが、そうしている間に、パン、小麦粉、マーガリン、そして野菜は、
又又2倍、3倍の値段となった。
会社は毎日の様に、洗濯物籠や旅行鞄(かばん)で紙幣を受け取った。
カネの価値が直ぐに無くなったので、農民も商人も、売る必要が無い場
合には、一人として物を売ろうとはしなかった。品物だけが価値があって、
カネには価値が無かった。
事実、信用のある外国の紙幣、例えばスイス・フラン、スウェーデンの
クローネ、或はアメリカ・ドルを持っていたならば、あらゆる物を手に入
れる事が出来た!
しかし是のようなカネは、他人の困難を利用してぼろ儲けの商売をした
『闇屋』だけが持っていた! 『顔』が利かない者は、酷い状態であった。
最も惨めなのは、年金生活者と老人達であった。彼等は、其れ迄の間、
老後に備えて銀行に貯金していた。恐らく彼等はマルクの貯金を持ち、其
の利子で生活しようと望んだ。……其の後、彼等が其の貯金で手に入れた
物は、僅かにボール箱一つのマッチ棒に過ぎなかった。多くの老人が当時、
絶望して自殺した。
祖父は一軒の小さい家を持っていた。今や彼は、家の周りでガヤガヤ騒
いでいる数千人の人々を見て、すっかり慌ててしまった。彼は、全く悧口
(りこう)な事だと思い込んで、自分の土地を20万マルクで売った。彼
は、其れを昔、1万5千マルクで買っていたのである!しかし半年後に、
彼がこのカネで手に入れた物は、僅か1/4ポンドのバターに過ぎなかっ
た」
是の如くハイパーインフレが襲い来ると、国家財産はおろか、産業も、国民一人一人のささやかな生活も踏み躙っていく。是の時悲劇はドイツの国民であった。だが世界全体でハイパーインフレが起きれば、どうなるだろう。
(此れでは、実際の生活状況が掴み切れない。『国際ユダヤ人』ヘンリー・フォード著 島講一訳の中で、当時のドイツの生活を次の様に説明している。
「1920年代のドイツでは、債務奴隷化の罠が短期間に集中した為に、極端な反応が生じた。猟奇事件が頻発し、人肉の缶詰が実際に店頭に並んだという。文学でもそうした社会状況を反映した作品が現れた。ヴィルヘルム・ポーレンツ著『ビュトナー出身の農夫』という小説では、一人の農夫がユダヤ教徒(パリサイ派の末裔)から金を借りたが、借金のカタに入れた農地を取られてしまう。農地はさる工業家に売却され、工業家はその土地に工場を建てる。最期に主人公の農夫は首をくくって自殺するが、その最期は「眼窩から飛び出した両眼は、彼が生涯を捧げた土地、魂と肉体を売ったその大地を凝視していた」と結んでいる。これは実際にあった話を基にしているという。」)
将来起きるであろうハイパーインフレは全世界に及ぶ。其の引き金は第5次中東戦争だろうと前に述べた(『世界最終経済 ー ハイパーインフレと日本の行方』宇野正美著の第一章に述べている。!忍)。
今から20年程前、独逸が体験したものよりも遥かに小さかったが、世界各国はハイパーインフレの雛形とも言うべき危機を体験した。第5次中東戦争は、其れを上回るものになる事は確実である事も述べた。
此処で、今一度第四次中東戦争は1973年10月6日に勃起した。イスラエルと戦火を交えたのは、北のシリアと南のエジプト。
戦争は数週間に及んだ。其の時アラブ産油諸国は、シリアとエジプトを支援する為、イスラエルに味方する国々には石油を供給しない、として「石油戦略」を発動した。中東で起きた地域(ローカルな)戦争の結果、全世界が政治・経済的パニックに突入したのであった。
其の時の経済的ショックは、日本では「トイレットペーパー騒動」として記憶されている。
勿論日本はアラブ諸国に容認され、石油供給を止められはしなかった。しかし、アメリカを始め欧羅巴諸国は供給差し止めの対象国となり、経済は大衝撃を受けたのであった。
是が第一次の石油ショックである。日本は苦境からいち早く立ち直る事が出来た。だが、其の他の先進国が其の傷を癒すには、可成りの時間が必要だった。彼等の傷が癒えた直後、1979年に起きたイラン革命(英国の特殊部隊MI6が行った噂がある!忍)によって第二次石油ショックが起きたのだった。
第一次石油ショックの教訓があったとはいえ、世界は再び深い傷を負った。
各国が過去の教訓を如何に生かしたとしても、石油供給が途切れると必ずや傷を負う。其の事が第二次石油ショックで明らかになってしまった。
今日の政治、経済、軍事……全ての要は石油である。私達が毎日当然の如くに使っている「電力」一つを取って見ても、殆どの場合、火力発電即ち石油に因っている。水力、原子力といった発電も在るが、輸送や施設維持の為に石油なしには其れ等も止まってしまう[今は、大発電力を伴う発電所では無く、分割して電力供給の電圧を少なくなる省電力発電方法を考える必要がある。其れは、電線に輸送する大きな電圧に伴う磁界を利用したテスラ波の問題があるからである。出来れば、個別に基づいた小さな発電(太陽光発電等)又は燃料電池を使った方が自然に優しいのである!忍]。
石油が無ければ日本経済は其の基礎を失う。世界を見渡して見ても、石油無しに耕し(是れはガソリン等)、作り、ビジネスする事が可能な国は無いのである(日本は生き残る為には、石油無しで自活出来る研究が必要である。スカラー波の善用でしょう。只扱い方が悪くなると、是れは地球その物が破壊する可能性がある。是の欠点も充分に研究する必要がある!忍)。
又、盛んに代替エネルギーが研究されているのに、逆に石油の重要性は年々増しているのである。経済成長の道を驀進している中国始め、アジア諸国でも石油需要は増加している。
今我々は、どっしりと揺るぎない大地に足を下ろしていると思うなら、其れは間違いである。世界が歩んでいるのは、石油と云う細いロープの上なのだ。
是の様な時、第三次石油ショックとも言うべき第5次中東戦争が起きたならば、最早過去の記憶からは考えられない程の、想像を絶する衝撃を全世界が受ける事になる。
ハイパーインフレは、潜伏したまま世に出る時を待っている。見えざるハイパーインフレとはどういうものか。
経済には二つの形がある。一つは実体経済、そしてもう一つは金融経済と呼ばれるものである。両者は表裏一体をなして私達の暮らしに関わっている。
ところが今日、実体経済と金融経済が余りにも乖離していっている。此処に、次なる世界恐慌を巻き起こす、見えざるハイパーインフレの萌芽が見られるのである。
先ず実体経済とは何か。
物事の本質を見誤らない様に、単純化しつつ、注意深く考えてみよう。
実体経済とはモノを作り、其れを販売し、研究開発を重ね、サービスを提供する等、私達が日々に体験している筈のものである。其処では汗が流される。医者が病気を治す、教師は授業で生徒達に教える。道路、橋、港、空港、鉄道等が造られる……。
実体経済では、労働によって、又モノによって、対価(おカネ)を受け取っている(LR出版は、対価を払っていない!忍)。 カネだけが湯水の如くじゃばじゃばと湧き出る様な事は有り得ない。人間の労働やモノによる裏付けがあって、初めて価値が認められる経済なのである。
其れに対して金融経済とは何か。
経済全体を人間の身体と其れを支える血液に譬える事が出来る。体が生きる為には、常に血液によって酸素が供給され、老廃物を排泄し、更には栄養分が補給されなければならない。体は血液に頼っているし、血液は体があってこそ、其の役割を果たせるとされる。
体とは実体経済、そして血液とは貨幣、平たく言えばおカネである。
ところが金融経済とは、おカネ、つまり貨幣其れ自体が商品として取引される経済と言っていいだろう。
貨幣は、其れ自体に価値があるのではなく、何か実体のあるモノと交換して初めて意味があるものだ。俗に「使ってナンボ」「墓に入れても役に立たない」と言われる様に。
金融経済では、奇妙な事に貨幣それ自体が目的となり、貨幣が貨幣を生み出すと云う構造になっている(赤字国債が代表!忍)。カネだけが際限無く増え続けているのである。
勿論、金融経済本来の役割は、実体経済の回転を助けると云う事であり、実体経済にサービスを提供するからこそ金融経済の存在意義があったのである。しかし、血液であり体を支える筈のものが、勝手に大増殖し、いまや体を遥かにしのぐ程になったのである。
金融経済は、いまや実体経済と比較して20〜30倍の大きさになっている。
日本の国家予算は財政投融資も含めて1年間に約70兆円余りである。是れによって1億2千万人が生き、且つ国家は国債の利子支払いを行っている。
参考までに日本の主要メーカーの総売上高を挙げておこう(1994年度)
新日本製鐵………… 2兆0905億円
日立製作所………… 3兆7415億円
日本電気…………… 3兆0069億円
富士通……………… 2兆2598億円
松下電器産業……… 4兆4409億円
シャープ…………… 1兆2615億円
三菱重工…………… 2兆5030億円
トヨタ自動車……… 6兆1638億円
これぞ将に、実体経済の偽らざる姿である。
一方、実体経済とは別に、最先端のハイテク機器によって世界は一つに繋がり、ネットワークが組まれ、毎日数兆ドルが動いているマーケットがある。金融市場である。規制も監督も行われていない。其処で働いている額を挙げるならば、世界中で一日に8千800億ドル(96兆8千億円)から1兆ドル(110兆円)になる。東京市場でも、金融ディーラーの分を含めれば一日に24兆円ぐらいの取扱い量になる。
何と驚くべき金額ではないか。
日本の国家予算の約1/3が、たった一日の東京市場で、しかも狭い場所で取引されている。
3日分の取引額で、日本の一年間の国家予算を軽く上回る。
是れがどういう意味を持つか、よく考えて見て欲しい。
曾て冷戦が世界を覆っていた頃、「地球上の核兵器は、人類を数十回繰り返し全滅させられる程の量になった」と言われたものだ。同じ事が金融経済でも起きている。今や金融経済、金融市場で取引される金額は、「地球上の全てのモノを買っても余る程」の額になってしまっているのである。
カネは唸る程ある。だが、其れで買う為のモノは無い。カネはあるのにモノが無い。
これこそ、第一次大戦後のドイツを襲ったハイパーインフレと同じ状況と言えないだろうか。