中国に於けるフリーメーソンの歴史は、阿片戦争から始まる。
1840年に勃発した阿片戦争に勝利した英国は、1842年、香港を植民地とし、中国侵略の足場とする。そして、時と同じくして、フリーメーソンが香港に上陸するのである。
香港割譲の3年後の1844年、イングランド系フリーメーソンである「ローヤル・サセックス結社」第501号が同地に開設される。此れが中国最初のフリーメーソン・ロッジである。会員は主としてイギリス人であった。続いて、1846年、同じイングランド系の「ゼッドランド結社」が開設されている。
其の後、日本・中国・フィリピンを中心とする亜細亜に進出したフリーメーソンの有力な物には、
イングランド系(総本部ロンドン)
スコットランド系(総本部エジンバラ)
アメリカ系(総本部マサチューセッツ)
がある。図式としては、イングランド系が最初に進出し、其の後、此れに対抗してアメリカ系が台頭すると云う形になる。
「ローヤル・サセックス結社」は間もなく広州に移り、1863年には上海に進出して、中国大陸進出の拠点と成った。当時、上海には「ノーザン・ロッジ・オブ・チャイナ結社」が進出していたが、中国最古の歴史が「ローヤル・サセックス社」である事は自他共に認めている所であった。
ところで、同結社が上海に進出した後、天京(南京)を占領していた洪秀全を首領とする「太平天国」軍が、上海を攻撃しようとした動きがあった。此れに対抗したのが有名な「常勝将軍」ゴルドンである。此の英米連合軍指令官の活躍に依って「太平天国」は鎮圧されるのだが、彼も又フリーメーソン結社員であった。
此れを切っ掛けに、フリーメーソン組織が上海を中心に激増する事になった。「コスモポリタン結社」(スコットランド系)、「タスカン結社」(イングランド系)、「エンシェント・ランドマーク結社」(アメリカ・マサチューセッツ系)等が設立され、漢口・鎮江・天津・芝罘・九江・青島等でも結成されていった。全て白人会員だけである。
最も注目されるのが、1901年に山東半島北岸の軍港、威海衛に開設されたイングランド系の「デンドリー結社」である。此の組織は、英国東洋艦隊内フリーメーソン会員による「移動結社」で、其の後、香港に移って現在も同地に艦隊本部を置く英国海軍内部に残っている。
第一次世界大戦後、イングランド系フリーメーソンは、英国本国の対中政策に合わせて、中国を南北に分けた。
華北・華中・満州は上海・天津・北京を中心とした「イングランド系北支地区大結社」が担当し、上海に本部があったが、有名な上海のサッスーン財閥を創設したD・E・サッスーンが其の首脳の一人であった事が分かっている。
南部(華南)は「イングランド系華南地区大結社」で香港に本部があり、アモイ・満州・広東・スワトウにも結社を持っていたが、此の組織は大陸のフリーメーソンが崩壊した現在でも健在である。
一方、アメリカ系結社は、「太平天国」鎮圧後、上海に進出していたが、英国側の活動に圧迫されて第一次世界大戦後までは殆ど動きがなかった。しかし、第一次世界大戦で英国の海外植民地支配の力が後退し、米国が世界的に台頭し、中国に於けるアメリカ結社の台頭が著しくなった。
当時、米国は北中国や満州方面に注目しており、「門戸開放」を主張して中国大陸北半への意欲を大いに持っていた。当然、フリーメーソンの活動も、其の方面で盛んになった。
先ず1916年に北京でマサチューセッツ系「インターナショナル結社」が発足した。此れは初めて中国人の加入を認めた組織で、従来のイングランド系の其れが白人のみであったのと大きく異なっている。
そして「大連結社」(大連)、「カレドニア結社」(天津)、「ハイクス記念結社」(奉天)、「スンガリー結社」(ハルピン)が発足した。「パゴダ結社」は張作霖と長男の張学良を加盟させ、「反日親米」を謀らせた事で有名である。
画期的な動きとして1937年に上海でフィリピン系の「中国地区大結社」が結成された事が挙げられる。此の組織は、初の亜細亜系組織であり、英米人指導下から離れた最初のフリーメーソン結社として大きな意味を持つ。
此のフィリピン系のメーソンは、米国の組織と結び付いていた。1936年1月7日、米国領であったフィリピンの「米比軍最高指令官」であったダグラス・マッカーサーは、此の日フリーメーソン加盟式を行ったが、此の時、フィリピン・フリーメーソンの指導者600人が参加している。彼の父アーサー・マッカーサー少將もメーソン会員だった。
此のフィリピン系結社は、米国と「フィリピン独立」の交渉を行い、1934年に一応の「自治」を達成している。
此の組織から地方のフリーメーソン結社が創設されるが、其の一つ「南京結社」には蒋介石や其の夫人の宋美齢、更には中華民国蔵相であった宋子文等が会員として入っている。其の他、各地の政財界要人を対象に「西湖結社」「珠江結社」「四川結社」「抗州結社」(浙江)「太陽結社」(上海)等が組織された。
1934年、中国側のフリーメーソンの協力を得て、「国際ユダヤ財閥会議」がロンドンで開かれ、「国家最高経済顧問」であるリースロス博士(フリーメーソン会員でユダヤ人)等は其処で中国経済改革の為の経済政策を決めた。此れは上海を基点とする中南部中国横断鉄道計画、沿線各地の開発、中国弊制の改革を含むものであり、対中利権獲得・拡大を考える英国の意向が働いていた。
此の政策にサッスーン財閥(英)、オットー・ウルフ財閥(仏)、ユダヤ系各財閥(米)が参加する事が決定し、日本にも参加を求める為、リースロス博士を団長とする経済使節団が派遣されたが、日本政府は一蹴した。
しかし蒋介石はリースロス案に直ちに乗り、「弊制改革」は急速に実現した。昭和10(1935)年11月4日から蒋介石は「銀本位制改革法令」を発布して、忽ちの内に「中国農工銀行」を発行の紙幣は国立銀行発行の法廷通貨(法弊と呼ばれる)と同等に承認された。其の結果、銀貨の大部分が英米系財閥に集まり、彼等は銀相場操作で6割以上の利益を挙げた。
又蒋介石政権も此れを軍用金として利用し、浙江財閥を率いる宋子文も大いに儲けたのであった。
此の「中国経済の大事件」は、中国を舞台にしたフリーメーソンの情報網と結び付いて行われた者であり、其の辺りに日本の軍部・政財界は全く気付かなかった(違う。一部の人間が国益を無視して、一緒になって手を結んでいたのが真相である。どうも昭和天皇陛下が、英国と仲良くしたいと云う願望が、真相を見る事が出来なくなった。考明天皇陛下の遺志を受け継いでいなかったのが、全ての原因にある。其の為に真実の情報が上層部に行かなかったのです。阿片戦争に対する認識が昭和天皇陛下はどの様に受け取ったでしょうか!忍)。其ればかりか今日でも此れが分かっていないのである。
此れ等の動きは、フリーメーソンが英米白人資本や政府の為に尽力する組織である事を示しており、此の性格は今日も変わっていないと云えよう(違う。根本的には悪魔ダビデと異星人が率いるユダヤ教徒に基づいて、世界統一政府を作る為に、そして、悪魔王国の建設の為に、行動を起こしているのです。其れは白人とは限らないのです!忍)。
此の蒋介石は翌昭和11(1936)年、彼の「西安事件」に巻き込まれる。此の年の12月、東北軍指令官・張学良が、西安を訪れた蒋介石を逮捕・軟禁した。此の事件の調停に当たったのが、宋美齢、宋子文、ドナルド(オーストラリア人で政府顧問)、そして国民政府と対立していた中国共産党の周恩来である。調停は成功し、蒋介石は無事、釈放され、同時に国共合作、抗日統一戦線への道が大きく進められたのである。
ところで、蒋介石・張学良を含めて、事件解決に当たった人々は、全員フリーメーソン会員であった。張学良は「奉天結社」の、蒋介石は「パゴダ結社」の、宋美齢は「イースタン・スター結社」(アメリカ系の婦人結社)の会員で宋子文もドナルドも然うだった。 そして周恩来もフランス系の「大東社系結社」のメーソン会員なのである。
此の辺りの「事実」は、此れからも余り知られる事は無いかも知れないが、周恩来は若い日に仏国に留学した時、フリーメーソンと接触が有ったのである。
従って「中国共産党にフリーメーソンが関係している」と云う一部の説は強ち嘘ではないが、詳しい事情や背景が紹介されていないので、其の事実は知らされていない様である。
中国人は「秘密結社」好きで、歴史的にも風土的にも秘密結社が広がる要素を持っている。
しかし、フリーメーソンは最初、中国人の加盟を認めなかった。其れは此の組織が白人優先思想を持ち、「有色人種」を軽蔑する傾向が強かったからである。中国人のメーソン結社申請が出されたのは、昭和2(1927)年であり、香港への上陸以来、実に80年余の事であった[此れには、フリーメーソンに会員に成りたい願望が見え隠れている。フリーメーソン団体は、悪魔(ダビデ、悪の異星人)を神として奉っている悪魔の団体なのです。此の認識があれば、過去の日本政府の方針やフリーメーソンと戦っているカトリック教会の方針である会員に為らさせない方向が、人として生きる愛が見えるのです。会員に成って悪魔の分子が増える事が、残虐な政治を生み出すのです。此れは人種差別では無く、単なる悪魔に魂を売っただけの話なのです。大木氏は、神と悪魔の戦いの中のフリーメーソンの位置付けをしていないのです。だから、白人全員が、人種差別をしていると云う勘違いを起こすのです。神の良心の有る白人は、人種差別はしないのです。何故なら神は全ての生物や人類を愛して居られるからです。今の日本は、此の悪魔団体と同じ様に「神」の存在を無視した理論が横行しているのです。正しい保守系の人達は、「大草原の小さな家」を理想としている人達で、フリーメーソンに加入をしていないのです!忍]。
此れはフィリピン系の「シニム結社」会員・梅華欽と王正廷が発起人として申請した物で、「中華結社」と呼ばれている。王正廷はやがて国民政府外交部長(外相)として反日運動を指導する人物に為っている。
申請は米国系団体に妨害されたが、昭和9(1931)年5月、申請から4年ぶりにフィリピン系大結社から認可された。
上海仏国租界での此の発足は、日中関係が不安定となり、中国人を反日に駆り立てる必要から急遽、認められた事と言われている。事実、此の年には「満州事変」、翌年には「上海事変」が勃発している。
当時、全世界のフリーメーソン会員は400万人とも云われていた。此れに中国人が此処で初めて足を一歩踏み入れた訳である。
しかし、米国や英国等では当時「排華法」が制定されており、中国人を法的にも差別している時代であった。当然、当初は此の「中華結社」は歓迎されていなかった。
そして、此れを支持したのも「フィリピン大結社」である。「大結社」とは「結社」の上部にあり、「地方本部」とも云うべき独立組織である。
此のフィリピン側の支持に、マサチューセッツ大結社が反発し、各国白人系大結社も同調した為、孤立したが、10年に亙る大論争の末に、相手側から手が差し伸べられると云う「大勝利」を得たのであった。
此の背景には日本の亜細亜に於ける台頭が有った。「共通の敵」としての日本を目の前にして両者が妥協せざるを得ないと云う事情が有ったのである。
そして駐米大使として米国に行った王正廷は、米国のスコットランド系最高参議会(フリーメーソンの地方最高会議)で同会の最高位である「33階級」の称号を受けた。此れは当時のルーズベルト大統領(彼もメーソン会員)の階級と同等である。
王は、此れに依って全世界の米国系結社と結び付き、米国の力を借りて中国大陸進出を図っている日本を叩き出そうとしたのであった。言わば「夷を以て夷を制す」だが、此の戦法は中国人が古来から好むものである。
一方で欧米のフリーメーソン組織も、日本の満州進出(日本と満州は兄弟国である!忍)の防波堤として、中国を日本に打付けさせようと云う考えを持っており、共に「御互いを利用しよう」としたのである。国民政府首脳の蒋介石や宋子文が、フリーメーソン会員と成ったのも、欧米の勢力を利用する為である事が言うまでもない。
英国は元々「満州進出」計画を持っていた。利益の少ない印度を放置して、満州に投資しようとしたのである。米国も此れに興味を持っていた。日露戦争後、鉄道王ハリマン(フリーメーソン会員で、ロシア革命に御金を援助した!忍)が満州での鉄道建設や各種開発を重視し、満鉄の共同管理を提案した事が有ったが、日本に拒否されている。
米国が「門戸開放」を主張して満州開発への参加を希望した事から、日米関係が冷却化して来るのだが、此等の計画にはフリーメーソンの動きが表裏一体でくっついているのである。
「日米開戦」の直接原因も、米国からの「日本勢力の満州からの撤退要求」で有った事は周知の通りである。
中国への進出で、「日本を敵」と見た英米勢力[英米勢力と云うよりもユダヤ・フリーメーソン勢力(ユダヤマルクス共産主義も含む)と云った方が正しい!忍]や、此れに協力するフリーメーソンの活動は、当時次の様な方法で行われていた。
(1)中国大陸へ19世紀中期に上陸して以来、フリーメーソンは基督教系(プロテタスタント)学校、病院、ロータリー・クラブ、YMCA、ボーイスカウト等を通じて親フリーメーソン系人材(此れが俗に言う親英米系を指している!忍)を養育して来た。
(2)特に教育機関や英語学校を重視しており、「民主主義」(神無き民主主義!忍)と「英語」に重点が置かれている。
(3)彼等は容易に「反日」(神エホバが存在する「日本」に対して反抗を意味している!忍)となり、悪魔崇拝団体である「フリーメーソン」に同調する人物が指導層に立つ様努力なされた。
(4)更に中国の指導層の婦人や子供も組織された。本来フリーメーソンには20歳以上の男子しか加盟資格が無かったのだが、1867年、米国でメーソン会員の妻や姉妹を加入させる「イースタン・スター結社」が生まれ、此れが全世界に広まり、中国でも宋美齢始め上層の婦人が加盟したのである。
此れは子弟を英米へ留学させる結果を生み、「親英米分子」を増やす所となった。此の傾向は現在の台湾でも続いている。
昭和24(1949)年、国共内戦に敗れた国民政府は台湾へ脱出し、大陸のメーソン組織は「崩壊」して地下に潜ったが、蒋介石に従った台湾に移った「パゴダ結社」(マサチューセッツ系)「南支結社」(フィリピン系)は殆ど無傷の儘今も存在しているのである。
現在もこれが台北と米国との結び付きの源泉に成っているのである。
更に英国系組織は香港へ脱出しており、「香港上海銀行」「キャセイ航空」「ジャーディン・マジソン」等の英国系企業(首脳は殆どメーソン会員)は同地で健在である(今現在調査中である!忍)。
中国で注目して置きたいのは、中国共産党との関係である。
彼等は国民政府と異なり、仏国系「大東社」(グランドトリアン・ド・フランス)に属している。此の系統はロシアや仏国で「流血革命」を主張し、其れを実行して来た。彼等の特色は、旧体制を破壊し、其の構成員の殆ど虐殺する所にある(実際は、スコットランド系と絡がっている。そして、スコットランドの上位は、イルミナティであり、イルミナティは、悪魔ダビデを率いているユダヤ教なのです。マルクスは、此のスコットランド系の上位であるイルミナティと仲が良かったのです。そして流血革命の本当の指令塔は、イルミナティであり、ユダヤ教から来ているのです!忍)。
周恩来等「渡仏学生」出身者が此の会員と成っており、国民党との戦いの時、ソ連や欧米・カナダからの支援があったのも「大東社」系フリーメーソンの存在を示している。
「文化大革命」を始め、各種の「反革命分子弾圧」を目的とした毛沢東の政治運動でも「帝国主義者・スパイ・反動」は弾圧されたが、「秘密結社フリーメーソンの会員」は其の摘発の対象に為っていない事を我々は思い起こす必要がある。
英米系フリーメーソン組織が、最後に大陸から脱出する日まで「白人優先」を捨てなかったのに対し、中国共産党は「中国人優先」を実現させた組織である。此れが彼等をして政権を取らせた原因の一つに為っている。そして、「新中国」発足後、英米と対決しても仏国とは奇妙に仲が良かったのは、「大東社」の組織があったからと推定出来る。
「フリーメーソン全体の活動を通じて言える事は、決して彼等自身が
表面に出て来ないのである。
彼等の暗躍は、常に新しい物好きの文化人や知識人の心情を擽り、
彼等を前面に立てて大衆世論を形成し、此の世論が革命・暴動に発展
する頃には、メーソンの影は既に煙幕の彼方に没してしまっていると
云う策略を持ちている。
メーソン最高指令部の決議には、決して結社員に対して指令されず、
彼等は只、誰の仕業とも無く社会情勢をメーソンの最終目標に仕上げ
る為の”大衆洗脳ロボット”に過ぎない」
(此の文化人と知識人の役割がフリーメーソンであり、此処で云う「彼等」はユダヤ人を指している事がフリーメーソンの研究者が気付いていない。メーソンの最高会議の一番力を持っているのが、ユダヤ財閥とサンヘドリンなのです。そして其の上位に、異星人と悪魔ダビデが操っているのです!忍)。
日本に於けるフリーメーソン研究の第一人者、犬塚きよ子女史は斯う語っている。正に其の通りで、
「此れがズバリ!フリーメーソンの工作だ」
断言出来る事は少ないのである。
しかし、状況証拠と、彼等の内部資料等を長年に亙って見て行くと、自然とフリーメーソンの存在・活動が分かってくるものであり、中国共産党との関係は此の辺りから見て間違っていないと云える。
かって「渡仏学生」の指導者として周恩来より上位にあった任卓宣氏が、筆者に
「我々は仏国でフリーメーソンと接触し、彼等は其の後も中国共産党と
結び付いていた」
と語られている。
今、メーソン会員のブッシュ大統領が、中国大陸へ「特別な気持ち」を持っているのも、「再び中国大陸へ上陸する」事を目的(ターゲット)にしているからに他ならない。其れは、「中国人会員」で無く、米国人会員が上陸する事をも意味しているのである。此の辺りも、今後の米中関係を考える上での一つ参考になるだろう。
何れにしても、日本の「中国大陸政策」は英米の中国戦略やフリーメーソンの動きを全く考慮していなかった為失敗したものである(嫌、考慮していた。考慮していたから、日本人に会員する事を禁止したのです!忍)。当時は「フリーメーソンはユダヤの秘密組織」程度の認識しか無かったのだが、考えて見れば、当時も現在も理解度は余り変わらないとしか思えないのである。
しかし二度と同じ失敗を繰り返してはならない。其の点で我々は、フリーメーソンが過去どういう動きをしたか「正確な資料に基づいて」解明する必要があると云えよう。ある意味で日本の敗戦は中国を巡るフリーメーソンとの戦いの敗北だったからである。