犯罪シンジケートへのイスラエル囲い込み

●麻薬カルテル、メデリン

 公にはその操縦母体であるADLと距離を保ちながら、ヴェスコは一九七九
年には、北米史上最大の利益をもたらす麻薬ルートをつくり上げていた。

 自動車泥棒とマリファナ密輸のかどでフロリダの刑務所に六年間服役したこ
とがあるコロンビアのチンピラやくざカルロス・レーダー・リバスと組んで、
彼はノーマンズ・ケイというバハマの島を購入した。その後三年間、この島は
アメリカ向けコロンビア産コカインの主要中継点として利用された。密かにA
DLシンジケートのために働くヴェスコとアドルフ・ヒトラーに対する尊敬の
念を公然と口にするコロンビアのチンピラやくざの共同事業というのは、どう
見ても不自然なものであるが、これも戦略的背景があってこそ行われているの
である。

 コロンビアにあるレーダーの組織は、メデリン犯罪組織の中心的グループと
密接な関係にあった。メデリン・ファミリーはエメラルドの密輸によって財を
築いたが、当時はボリビアとペルーでのコカイン生産を大幅に増やすために資
金を注ぎ込んでいた。このコカインはコロンビアにある秘密工場で精製され、
人目につかない小さな空港からアメリカに運び込まれた。このヴェスコとレー
ダーの共同事業は、今日いわゆるメデリン・カルテルとして知られるものにま
で成長した。

 世間一般にはメデリン・カルテルというコロンビア新興勢力が、北米におけ
る従来の麻薬犯罪組織に取って代わったと言われているが、事実は全くその逆
である。メイヤー・ランスキーは西半球一帯への麻薬の供給を目論んでいた
が、カーター政権時代に銀行に対する規制が緩和された結果、その事業は大き
く前進した。パナマ共和国と西インド諸島は一夜にしてダーティー・マネーの
新たな逃避先となったが、ランスキーとADLはこういった一連の動きを背後
から操るため事前にこの地に移ってきていた。彼らは苦労しながらもこうした
オフショアの資金洗浄の仕組みをつくり上げたおかげで、旧来の組織ではあり
ながらメデリンや他の南米のコカイン・カルテルを牛耳ることができた。コロ
ンビア人の方は有名になったが、ADLの大物たちをはじめとするランスキー
の組織は大金を懐にすることに成功した。

●カーター政権内のADL

 ADLの支持者ソル・リノヴィッツはカーター政権のパナマ運河条約交渉特
別担当官だった。交渉に際しリノヴィッツには、パナマの銀行にオフショアの
ダーティー・マネーを受け入れさせるという別の目的があった。彼は私欲のな
い人間などでは決してなかった。パナマ・ナショナル・バンクの代行機関であ
るマリーン・ミッドランド銀行の取締役として、リノヴィッツ自身は投機資金
であるホット・マネーを操っていた。パナマ運河条約交渉の最中の一九七八
年、マリーン・ミッドランド銀行は香港上海銀行に買収された。香港上海銀行
は、一九世紀における中国でのアヘン戦争以来、世界でも最も悪名高い麻薬資
金の洗浄機関である。

 さらに一九八〇年代にランスキー一味がコカイン取引でボロ儲けをする体制
を築き上げていたちょうどその期間、カーター政権の商務長官はADLの最高
幹部フィリップ・クラツニックだった。証言に基づいてつくられた公式のAD
L史『一日にして成らず』によると、クラツニックの商務長官選任に関して
カーターのホワイト・ハウスと民主党全国委員長ロバート・シュトラウスが、
副大統領ウォルター・モンデールの長年の友であるバートン・ジョセフに直接
相談している。当時ADL全米委員長を務めていたこのバートン・ジョセフ
は、前にも再三述べた通り、以前リクリスとヴェスコを結び付けた人物であ
る。

●カストロと麻薬ビジネス

 アメリカ政府捜査当局は、今日に至るまで、ロバート・ヴェスコがコカイン
取引の中心人物であると考えている。一九八一年にアメリカ麻薬取締官の逮捕
の手を避けるためコスタリカから逃亡して後、ヴェスコはついにキューバの独
裁者フィデル・カストロからハバナに住む許可を獲得した。このカストロの行
動は、キューバに一大カジノ帝国を築き上げるという野望を長年持ち続けてい
たメイヤー・ランスキーを非常に喜ばせたに違いない。ランスキーの長年の友
であったファルゲンシオ・バチスタからカストロが政権を奪ったときに、彼の
この夢は打ち砕かれてしまっていたからである。

 このキューバの独裁共産主義者の厚意に応える形で、ヴェスコはレーダーと
共に築き上げた麻薬密輸ビジネスの仲間にカストロを加えた。カストロは特に
アメリカ人の助けを必要としてはいなかった。一九六〇年代の初頭からすで
に、彼はソ連の情報機関の手引により麻薬取引に手を染めていた。コロンビ
ア、ペルー及び中米の共産ゲリラは、麻薬商人との取引により武器購入資金を
調達することを知っていた。極左ゲリラはコカインとマリファナの栽培農場を
警護したし、自分たちで実際に麻薬を栽培、精製することもあったし、またあ
る場合には麻薬の原料を精製所へ輸送する麻薬商人に武装兵を提供することさ
えもあった。

 しかし、ヴェスコはカリブ海経由の主要密輸ルートにキューバ人とニカラグ
ア周辺にいた親キューバのサンディニスタを直接参加させた。ヴェスコの仲介
によってキューバ人やニカラグア人は、メデリン・カルテルのための燃料補給
をはじめとする輸送の中継の仕事を程なく請負うようになった。麻薬をアメリ
カに注ぎ込むことにより「ヤンキー」の文化的・精神的崩壊を早める一方で、
彼らは何百万ドルもの米貨を手にしたのである。

●中米をおおう麻薬汚染

 一九八九年四月一七日、米国司法省はコカイン密輸の容疑により大陪審がロ
バート・ヴェスコを正式に起訴したと発表した。

 起訴に関する新聞発表の一部は次の通りである。「フロリダ中部地区担当の
ロバート・W・ジェンツマン検事は、メデリン・カルテルのメンバーによるコ
ロンビアからアメリカへのコカイン密輸に関する捜査の結果、フロリダ州ジャ
クソンビル大陪審が新たに追加した二人の被告を起訴したと本日発表した。ア
メリカへのコカイン持込みを企てたことにより起訴されたのはロバート・
リー・ヴェスコである。ヴェスコ(五十五歳)は現在キューバに住んでおり、
一九七四年から一九八九年にかけ他の三十人の被告と共に行った共同謀議によ
り起訴された。起訴状はヴェスコが以前メデリン・カルテルの首魁の一人であ
ったカルロス・レーダーに対し、一九八四年末頃にコカインを積んだ飛行機の
キューバ上空通過の便宜を図ったことを特に起訴理由として挙げている。レー
ダーは、一九八八年のフロリダ州ジャクソンビルにおいてコカインを密輸した
事件で有罪判決を受け、現在終身刑で服役中である。もしヴェスコが有罪とい
うことになれば、最高で終身刑と四百万ドルの罰金ということになる...」
「ヴェスコは一九八九年二月に陪審員の答申が出たパブロ・エスコバル・ガヴ
ァリア、ホセ・ゴンサロ・ロドリゲス・ガチャ、ホルヘ・ヴァスケスをはじめ
すべてメデリン・カルテルのメンバーからなる三十人の被告に対する訴訟の中
で罪に問われた」

 一九八四年五月の起訴状によると、カルロス・レーダー、パブロ・エスコバ
ル・ガヴァリア、ホルヘ・オチョア・ヴァスケス、ファビオ・オチョア・ヴァ
スケスおよびゴンサロ・ロドリゲス・ガチャらはすべてニカラグア国外で活動
していた。メデリン・カルテルの殺し屋によってコロンビアの法務大臣ロドリ
ゴ・ララ・ボニラが暗殺された直後、彼らはニカラグアから逃亡した。彼らメ
デリン・カルテルの五人の頭目は、サンディニスタの役人に多額の賄賂を贈っ
てその密輸取引の拠点をこの中米の国に移行していた。そしてすでに千四百キ
ログラムに及ぶコカインをロス・ブラジルズ空軍基地の格納庫の中に隠してい
た。

 一九八四年十月、レーダーはニカラグアのコーン島からキューバのケイ
ヨー・ラーゴにいるロバート・ヴェスコのもとに手紙を持たせた使いを送り、
この昔の密輸仲間にニカラグアからバハマのアンドロス島までコカインを運ぶ
メデリン・カルテルの飛行機のキューバ領空通過をキューバ当局に働きかけて
くれるよう要請した。ヴェスコは数日のうちにキューバ当局から領空飛行の許
可を得た。

●アメリカン・エキスプレスの買収

 米国大統領は次々と交替するし、戦争もいつかは終了する。しかし全米犯罪
シンジケートをアメリカの政財界の中枢に送り込むというメイヤー・ランス
キーの長年の目標は依然変わることはなかった。

 一九八〇年代中頃にはADL会長ケネス・ビアルキンは、新たな段階に入っ
たランスキーの壮大な計画にすでに取り込まれていた。つまりビアルキンは地
下活動から毎年あがる何十億ドルという利益をアメリカに還流させるための金
融機構づくりのために働いていたのである。

 ちょうどロバート・ヴェスコがランスキーの財産をカリブ海にあるオフショ
ア・バンキング・ヘイブンに移すのに手を貸したように、ビアルキンは今度は
アメリカ企業の大部分が全米犯罪シンジケートの後継者たちの手に落ちること
になる一連の劇的な企業買収を画策した。

 ウィルキー・ファー・アンド・ギャラガー法律事務所に籍を置きながら、ビ
アルキンはシェアソン・ローブ・ローズやエドモンド・サフラのサフラ・バン
クをはじめとする何社かのウィルキー・ファーの顧客をアメリカン・エキスプ
レス・コーポレーション(アメックス)に合併させた。アメックスとシェアソ
ン合併のすぐ後、連邦捜査当局はクレジット・カード業務とマーチャント・バ
ンギング業務からなるこのコングロマリット企業が、何百万ドルもの小切手を
組織犯罪集団に代わって振り出していたことを発見した。ペンシルベニア州の
フィラデルフィアとフランスのパリにあるアメリカン・エキスプレスの事務所
が米国税関とFBI捜査官による手入れを受け、最高幹部が起訴された。

●麻薬ルートをたどる

 しかしビアルキンの顧客と国際犯罪組織との間にもっと重大な関係があった
ことは、起訴が言い渡される前にもみ消されてしまった。この事件にはスイス
やブラジルの銀行のみならずニューヨークにあるリパブリック・ナショナル・
バンクを所有し、ビアルキンの顧客でありまたADLの主要な後援者でもある
エドモンド・サフラも絡んでいた。

 一九八八年に、アメリカの麻薬取締局と税関の職員は、スイスのアメリカ大
使館を捜査した結果チューリッヒに本拠を置くシャカーチ・トレーディング・
カンパニーが中東とラテン・アメリカの麻薬取引組織網のために資金を洗浄し
ていた事実をつかんだ。ベルンを拠点とする捜査官は、トルコ、ブルガリア経
由でレバノンからチューリッヒにハシッシュとアヘンを持ち込むことで手にし
た金塊や現金が、その後どのようなルートを辿るか追跡した。チューリッヒで
は、シャカーチから遣わされた運び屋が届いた現物を受け取った。金塊は売却
され、その代金は別に受け取った現金とともにニューヨークにあるリパブリッ
ク・ナショナル・バンクの口座に振り込まれた。

 同時に、カリフォルニア州ロサンゼルスに本部を置き、メデリン・カルテル
の資金を密かに洗浄している会社の徹底的調査を目的とする「ポーラー・キャ
ップ作戦」に従事する麻薬取締局の操作官が、コカインによる利益もロサンゼ
ルスからリパブリック・ナショナル・バンクの同じ口座に振り込まれているこ
とをつきとめた。見たところ二つの別々の麻薬密輸組織間に、確固としたつな
がりがあることが判明した。つまりともにシャカーチ・トレーディング・カン
パニーという同じ資金洗浄機関を使っていたのである。

●サフラが起訴されていたら

 シャカーチ社の背後関係を調査中の在スイス・アメリカの捜査官は、同社の
創立者であるモハメッド・シャカーチが、リパブリック・ナショナル・バンク
のオーナーであるエドモンド・サフラとは古くからの友人であり、仕事仲間で
もあることをつきとめた。捜査官はさらに、スイスの副大統領でかつ司法大臣
でもあるエリザベス・コップの夫がシャカーチ・トレーディング・カンパニー
の重役をしており、スイスとアメリカで起訴される前に同社の取締役を辞任す
るよう警告していた事実をつかんだ。その後に起こったスキャンダルの結果、
コップ夫人は辞職した。モハメッド・シャカーチの二人の息子は洗浄行為に関
与したかどで懲役刑に処せられた。だが、どういうわけかその理由は今でも謎
に包まれたままであるが、起訴されると見られていたエドモンド・サフラは、
結局起訴されなかった。

 サフラが起訴されていたとすれば、ウォール街から国連プラザにあるADL
本部までが大混乱に陥っていただろう。このシリア生まれのユダヤ人は、一時
期アメックスのマーチャント・バンキング部門の筆頭に位置していたこともあ
るし、ヘンリー・キッシンジャーやビアルキンとおもにアメックスの取締役会
にも名を連ねていた。さらにサフラは法律問題に関するパートナーであるビア
ルキンやイラン・コントラに関与する人物ウィラード・ツッカーと一緒になっ
て、レバノンにいる米国人人質の釈放を巡ってテヘランと秘密交渉する期間、
ノースとセコードが率いるチームにジェット便のサービスを提供するための会
社を設立していたからである。

●企業買収マニアたち

 ケネス・ビアルキンが画策したアメックスによる大規模な買収は、その後に
続くもっと大がかりな企業買収のの単なる先駆にすぎなかった。こうした大規
模な買収行為は、アメリカの名門大企業の一部をADLの息のかかった人たち
の手に渡すものだった。

 企業買収業務にもっと専念するべくビアルキンは一九八八年一月にウィル
キー・ファー法律事務所を辞め、世界最大でかつおそらく最も悪辣な法律事務
所スカデン・アープス・スレート・ミーガー・アンド・フロムに移った。スカ
デン・アープスが公表している資料によると、同法律事務所は現在千人以上の
弁護士と二千人以上の事務職員、補助職員を抱え、アメリカ全土、極東および
ヨーロッパに事務所を有している。一九八九年中に、同事務所が顧客に請求し
た報酬総額は四億ドルを抱えている。それほどの収益を手にしていながら、ス
カデン・アープスはこの一世紀最大とまでは言わずともこの十年間で最大のホ
ワイト・カラー犯罪に関与してきた。

 スカデン・アープスは企業買収を得意とする。この事務所の共同設立者であ
る弁護士ジョセフ・フロムは「レバレッジド・バイアウト(LBO、主として
借入金による買収)」「ホスタル・テイクオーバー(敵対的買収)」あるいは
「コーポレート・レイド(企業乗取り)」といった名で呼ばれる技法を開発し
たことで広く知られている。スカデン・アープスの顧客中最大の買収マニアで
一九八五年から一九八八年にかけてアメリカ企業を総なめにしたのは、ジャン
ク・ボンドを編み出したマイケル・ミルケンの会社ドレクセル・バーナム・ラ
ンベールなる証券会社であった。

 ミルケンは彼と親しかった同僚のアイヴァン・ボウスキーと組んで、株式の
買占め資金を高利回りの「ジャンク・ボンド」の発行で賄いながら、米国内企
業を相手とする一連の劇的な敵対的企業買収を一九八五年に開始した。

 従来の見方に立つなら、こうしたやり方はいつかは破綻せざるを得ないもの
だ。米国、カナダ全土の一連のデパートを買収したキャンポー・コーポレーシ
ョンの場合も、借金した買収資金の利子を払うのに、買収した会社から入る現
金では足りないという事態が起こった。

 ほどなくして連邦捜査当局が、こうした企業買収がインサイダー情報に基づ
く株式買占めによって行われていることを突き止めた結果、ドレクセル・バー
ナム社、ミルケン、ボウスキーにとって事態は最悪のものとなった。彼らは、
結局のところ買収した企業に全部ツケを回すことによって、株式の買占めで大
きな利益を懐にすることができた。ボウスキー、ミルケンそしてドレクセル社
のすべてが米国司法省により起訴された。

●ドレクセルのジャンク・ボンド

 しかしその間に、海外に蓄積した利益を「ジャンク・ボンド」のメカニズム
を通してアメリカに還流させる見えざる仕組みが、かつてランスキーの組織の
ために金融面でこっそりと働いていた人たちにより考案された。一九八〇年代
半ばから終わりにかけて企業乗取りが最も盛んだった頃、ジャンク・ボンドに
投資された資金の約七割はドレクセル・バーナム・ランベールによるものだっ
た。同社がどこからその資金を手に入れたかを尋ねる者はなかった。そしてド
レクセルも同社が抱えるこうした特別の投資家の正体を明かすことはなかっ
た。

 ドレクセルのジャンク・ボンドの大手顧客は、ウィルキー・ファー事務所時
代からのビアルキンの顧客で、バーニー・コーンフェルドにならって英国ロス
チャイルドのパートナーとなったリライアンス・グループのサウル・スタイン
バーグ、前々からランスキーの組織との関係を疑われていたオハイオ州シンシ
ナティに本拠を置く抵当権保証業者のカール・リンドナー、それにもう一人ず
っと以前からランスキーとは仕事仲間だったビクター・ポズナーといった人た
ちであった。

 ボウスキーとミルケンが連邦刑務所入りしたのに対し、乗取り策を練りイン
サイダー情報のやりとりをコントロールするという最高の立場にいたスカデ
ン・アープス事務所の弁護士たちが起訴されることはなかった。

●RJRナビスコ買収劇

 ADLの会長ビアルキンはうまく立ち回ってきた。 ADLといういわゆる
福祉事業に携わる他に、彼はニューヨーク証券取引所理事会の法律顧問委員会
の一員でもあった。また米国弁護士協会の会社・銀行・商法委員会の議長でも
あった。またそれ以前は同弁護士協会の連邦規制証券委員会の議長であった。
レーガン政権時代には、彼は連邦政府の規制全体の研究と見直しを担当する大
統領諮問委員会の委員に任命された。ビアルキンをこうした委員のメンバーに
したのがボイデン・グレイで、彼は当時ブッシュ副大統領の主席法律顧問だっ
た。今日、グレイは大統領になったブッシュの主席法律顧問である。

 グレイはR・J・レイノルズ・タバコ・カンパニーの富を引き継いだ人物で
ある。この会社はナショナル・ビスケット・カンパニー(ナビスコ)と合併し
た後大きく成長した。ナビスコはADLが設立された頃から同団体と関係があ
った。一九八八年、このRJRナビスコは米国史上最大の企業買収の標的とな
った。最終的な買収金額は二百五十億ドルを超えた。スカデン・アープス法律
事務所がコールバーグ・クラヴィス・ロバーツ社側の代理人として、この案件
の一部始終に関与した。

 スカデン・アープスにいる「友人」からのインサイダー情報で一儲けを企ん
だ内輪の人たちが手にした利益は、とてつもない額に上ったようだ。 RJR
ナビスコとクラヴィスが最初に接触して以来、最後の株式移動が完了するまで
十四ヵ月かかったが、その間RJR株の値段は四十一ドルの安値から高値百八
ドルまで三倍近い暴騰ぶりを見せたからである。

●イスラエルの乗取り

 米国情報部のイスラエル政治研究の専門家によると、RJRナビスコ買収か
ら得た利益ばかりでなく、スカデン・アープスやドレクセル・バーナム、マイ
ケル・ミルケン、アイヴァン・ボウスキーといった人たちが手がけたLBOで
手に入った利益のかなりの部分が、イスラエルの次期対アラブ戦争時用の軍資
金に充てられた。

 このイスラエル担当の元情報部員によると、この不正資金はアリエル・シャ
ロンを中心にした極めて好戦的なグループが一九八二年から密かに溜め込み始
めたもので、今ではその額は二百五十億ドルを超えているという。その資金は
おおむね非合法活動から手にしたものである。スカデン・アープス法律事務所
がつくりあげたLBOによって手にした資金にはじまり、麻薬取引や武器の密
輸、技術の盗用などもっと直接的な犯罪行為によって得た資金に至るまで、
様々な不正資金からなっている。

 このシャロンが後ろ盾になった自称「イスラエル・マフィア」も、実際のと
ころは北米全国犯罪シンジケートに属する組織の一つだった。その頃には、こ
の犯罪シンジケートは、ケネス・ビアルキン、エドガー・ブロンフマン、メ

 シュラム・リクリス、リッチマン兄弟、エドモンド・サフラ、ヘンリー・キ
ッシンジャーといったADL幹部たちの手で牛耳られていた。

 リクリスはADLのランスキー信奉者たちによって悪漢ロバート・ヴェスコ
とADLの間のパイプ役に利用されたが、その時と同様一九七〇年代初頭には
再び、ADLのパトロンたちからシャロン将軍のために仕事をするよう命じら
れた。シャロンは冷酷で、堕落しており、異常なまでの野心の持ち主だった。
イスラエルの王になれるのなら、悪魔とでも喜んで手を結ぶほどの人物だっ
た。リクリスは資金面でシャロンを支えた。彼はシャロンのためにネゲブ砂漠
にある農場を購入したが、この農場がイスラエルを完全に手中にする陰謀の本
部になった。

 リクリスは、一時期イギリス警察のスパイだったことから、ユダヤ地下組織
からは命を狙われた時もあった。その彼がシャロンと関係するようになった
時、その所属する企業の中で中心的な位置を占めるのは、ラピッド・アメリ
カ・コーポレーションという通信器材リースとニューヨークにある一連の高価
なオフィス・ビルを所有する業務を行う会社であった。リクリスの側近の一
人、アリエー・ジェンジャーがシャロン将軍とリクリスの間をとりもった。彼
は一九七〇年代末におけるリクード党のメナヒム・ベギン内閣で、シャロンが
イスラエル国防相になった時、イスラエルに呼ばれその副官として武器の輸出
入一切を任せられることになった。

●世界犯罪シンジケート本部に

 メイヤー・ランスキー自身でないにしてもその後継者たちによって、シャロ
ンはユダヤ・シンジケートによるイスラエル経済および同国政府機関乗取り工
作の采配を命じられていた。

 イスラエルをシンジケートの本拠地に仕立て上げるには、それを実行する戦
士が必要であることをランスキーは知っていた。一九六〇年代後半、彼は長年
の仕事仲間だったジョー(別名ドック)・ストラッチャーをイスラエルに送り
込んだ。ストラッチャーの使命はユダヤ国家の中に永住し、メイヤー・ランス
キー自身がイスラエルに移り住めるための道を拓くことだった。「帰還法」の
下では、イスラエルへ移住したすべてのアメリカのユダヤ人は直ちにイスラエ
ル市民となることができた。ストラッチャーはイスラエルの右派の有力政治家
に、メイヤー・ランスキーは個人的にイスラエルの七億五千万ドル投資する用
意があり、それでリゾート・ホテル、カジノその他レジャー施設からなる複合
施設を建設すればこの国を「第二のリビエラ(フランスからイタリアにまたが
る地中海岸にある風光明媚な避寒地)」に変えることができると説いて回っ
た。

 イスラエルにとって幸いなことに、国防軍とそれに属する情報部を中心とし
た愛国者グループがこのランスキーの申し出を拒んだ。彼らはランスキーが代
理人を通してすでにイスラエルに入り込み、組織犯罪機構をつくり上げている
十分な証拠を集め、その結果全米犯罪シンジケートの頭目がイスラエル市民権
を取得するのを阻止した。一九七〇年、ランスキーは到着後まもなくイスラエ
ルからの国外退去を命じられた。アメリカ政府はイスラエル政府に対し、米国
人の引き渡しに協力しない限り、同国が喉から手が出るほど欲しがっているジ
ェット戦闘機の提供を停止すると脅した。

 イスラエルを世界の組織犯罪の本拠地にするというランスキーの願望は崩れ
たが、計画自体はその後も存続していた。彼にはすでに願望達成の目処はつい
ていた。

 全米犯罪シンジケートがイスラエルで目をつけたのは、ユダヤ・ギャングの
有する密輸能力がイスラエルの独立戦争に決定的な役割を果たしていたという
事実である。ランスキー・シンジケートの指導者たちは第二次世界大戦直後、
パレスチナにユダヤ国家を建設するユダヤ地下闘争のために武器の密輸に手を
貸したが、そのようなシンジケートの助けがなければ、イスラエル国家は存在
していなかっただろう。

●エルサレムの「億万長者会議」

 イスラエルの元大蔵大臣で一九六八年に同国のオフショア銀行ネットワーク
をつくり上げたピンチャス・サピアは、エルサレムのいわゆる「億万長者会
議」の発起人である。その会議の表向きの目的は、アメリカの裕福なユダヤ人
に対し急速に発展しつつあったイスラエルのハイテク産業への投資を勧誘する
ことだった。しかしその参加者のほとんど全員がメイヤー・ランスキーの仲間
であった事実は、この組織の実態が何であったかを示している。

 出席者の中には次のような人物がいた。ランスキーの仕事仲間として知られ
ているルイス・ボイヤーとサム・ロスバーグの二人。かつてのユダヤ・ギャン
グの一人で、戦時中に行っていた金属のスクラップ事業をマテリアル・サービ
シーズ・コーポレーションなる一大企業にまで発展させたヘンリー・クラウ
ン。ミシガン州デトロイトでウイスキーを密売していた禁酒法時代のパープ
ル・ギャングの元頭目で、後にユナイテッド・フルーツ・カンパニーを乗取っ
たマックス・フィッシャー。かつてカナダのサム・ブロンフマン・ギャングと
して知られていたブロンフマン・ファミリーの仕事仲間レイ・ウルフェ。イス
ラエルの武器密輸業者の大物で同国情報部モサドの最高幹部であるショール・
アイゼンバーグ。イスラエル・ディスカウント・バンクの頭取でイスラエル・
マフィアの影の支配者と広く考えられているラファエル・ルカナティ。そして
ADLの最高幹部で、アメリカン・バンク・アンド・トラスト・カンパニー・
オブ・ニューヨークの資金洗浄業務をアイゼンバーグと一緒に行っていたフィ
リップ・クラツニック。

 海外の犯罪組織によるイスラエル経済乗取り計画には皮肉にも「プロジェク
ト・インデペンデンス(独立計画)」という新しい名が与えられた。

 この会議の参加者が約束したイスラエル「投資」を一本にまとめるためにイ
スラエル・コーポレーションと呼ばれる国有企業が設立された。イスラエル・
コーポレーションの銀行取引の面倒を見たのは、他ならぬタイバー・ローゼン
バ−ムだった。彼はスイスを本拠とする国際信用銀行の頭取であり、かつてモ
サドの出先機関の責任者だった人物である。エルサレムの「億万長者会議クラ
ブ」会議が開かれる以前にローゼンバ−ムはすでにコーンフェルド、ランス
キーおよびランスキーの側近のアルヴィン・マルニックとつながっていた。こ
のマルニックのカリブ海を本拠とする世界商業銀行は、ランスキーの利益のう
ち一千万ドルをローゼンバ−ムのスイスにある銀行にすでに移していた。

 マルニックとローゼンバ−ムは各々の銀行間の操作により、ADL最高幹部
であるフィリップ・クラツニックのアメリカン・バンク・アンド・トラスト・
カンパニーの中に、ニューヨークに本部を置く関連会社をすでに設立してい
た。クラツニックは「億万長者会議クラブ」設立委員の一人であった。

●パレスチナ人追放の理由

 ランスキー一味はストラッチャーの指揮の下、エルサレムのシェラトン・ホ
テルにその活動拠点を置いた。そしてストラッチャーはすぐさま工作を開始
し、シンジケートの資金をイスラエルの国家宗教党役員のハイム・バソックを
通して同党に注ぎ込んだのをはじめ、ラビ・メナヒム・ポルシェの率いる入植
促進組織アグダス・イスラエルにも注ぎ始めた。この国家宗教党とアグダス・
イスラエルは、ともにメナヒム・ベギン率いる右派のルートの活動と非常に近
い関係にあった。ランスキーの資金はグッシュ・エムニーム(イスラエルの戦
闘的な宗教的極右組織)の活動にも投じられた。グッシュ・エムニームは、一
九六七年の六日戦争でイスラエルが占領したヨルダン川西岸とガザ地区に不法
なやり方でユダヤ人入植地を拡げようとしていた。

 ランスキーの対イスラエル作戦は、次第にヨルダン川西岸とガザにおけるユ
ダヤ人入植地拡大計画に収斂されるようになってきた。一九七七年にベギンの
リクードが政権を獲得したとき、この計画は実施に移された。

 アリエル・シャロン将軍は、彼の資金面での後援者であるメシュラム・リク
リスの勧めでクネセット(イスラエル議会)に立候補するため一九七五年にイ
スラエル国防軍から離れた。ベギンの下で農業大臣に任命されるや、シャロン
はその地位を利用してユダヤ人入植地の急拡大に向け直ちに活動を開始した。
この結果、一九八一年までには約三万人のユダヤ人が占領地へ移住したと推測
される。

 一九八一年時点では、シャロンは国防相に任命されていた。イスラエル軍の
高官が語ったところによると、彼は国防相在職中にキプロスでソ連の軍高官と
密かに接触を開始した。その目的は向こう十年間で約百五十万人に上るソ連在
住ユダヤ人をイスラエルに移住させることについて交渉することだった。シャ
ロンの計画(実はランスキーの本来の計画を基にしたもの)によれば、これら
大量のユダヤ人は、ヨルダン川西岸とガザに入植することになっていた。この
計画は「ランドスキャム(土地詐取)」と名付けられた。

 ランドスキャム計画はアメリカのADLばかりか、ロンドンにおけるフリー
メーソンの有力グループの一部からも熱狂的な支持を受けた。ロンドンのフ
リーメーソンは、シオニズムなる宗教を後援するスコティシュ・ライトの伝統
を引き継いでいた。

●「占領地併合会議」のメンバーたち

 一九八二年初春のイスラエルによるレバノン侵攻の直前、この計画を実行に
移すための一連の秘密会議が開催された。

 最初の会議はアリエル・シャロンが所有するネゲブ砂漠の農場で行われた。
先に述べた通りこの農場は、ADLの表面要因メシュラム・リクリスがシャロ
ンのために買い与えたものである。この会議は極めて異例な顔ぶれからなり立
っていた。目撃者の証言やマスコミの伝えるところによると、出席者は次の通
りである。☆ アリエル・シャロン☆ ヘンリー・A・キッシンジャー。当時に
おいてはその私的国際コンサルティング会社、キッシンジャー・アソシエイツ
の社長。
☆ メジャー・ルイス・モーティマー・ブルームフィールド。
ブロンフマン一家の利権を代表してこの会議に出席したモントリオールの弁護士。第
二次世界大戦中は極秘の英国特殊工作部隊(SOE)のスパイで、戦後設立さ
れた北米におけるイギリスの情報工作用出先機関ブリティッシュ・アメリカ
ン・カナディアン・コーポレーションのパートナー。彼は一九五〇年代後半に
パーミンデックス(「パーマネント・インダストリアル・エクスポジション
(常設産業博覧会)」)・コーポレーションを設立。同社はジョン・F・ケネ
ディ大統領暗殺と、シャルル・ドゴール仏大統領暗殺未遂の両事件に関与した
として非難された。彼はエドガー・ブロンフマンの弁護士であるほか、国際信
用銀行のオーナーであるタイバー・ローゼンバームとも親しい関係にあり、ま
たパーミンデックス社の取締役会を通してユダヤ・ギャングの弁護士ロイ・
コーンともつながっていた。
☆ ラフィ・アイタン。
モサドの生え抜き幹部で、シャロンの長年にわたる政治的盟友。彼はベギン政
権では二つのポストに就いた。まず首相直属の対テロ局の局長、同局はイスラ
エル国家の「敵」であるアラブ人とパレスチナ人に対する秘密工作を担当する選
り抜きの工作部隊だった。彼はまた、国防省に属し技術情報の収集を任務とす
るスパイ部隊LAKAMの首脳でもあった。イスラエル・ソ連のスパイ、ジョナサン・
ジェイ・ポラードを使ったのがこのLAKAMである。
☆ レハベアム・ゼイエビ将軍。
元イスラエル国防軍将校。一九七七年に退役し、エクアドル政府のテロリスト
対策のための「民間人」コンサルタントに就任した。彼が南米へ赴任したの
は、シャロンとイスラエル・マフィアの代理人として行動するという目的を持
ったものであった。ゼイエビは一九八〇年のボリビアにおける軍事クーデター
に関与したが、この政変により悪名高い「コカイン大佐」が権力の座についた
結果、彼らの指導の下でボリビアは世界でも有数のコカイン生産国となり、メ
デリン・カルテルのビジネス・パートナーともなった。この会議が開かれる前
に彼は正式に呼び戻され、ベギン政権の法務大臣顧問に就任していた。しかし
その立場にもかかわらず、彼はあの広く取り沙汰された一九八一年のシャロン
の中米歴訪に同行した。そしてこの訪問の折、この二人の元イスラエル将軍
は、ラテン・アメリカの麻薬密輸組織と手を組んで周到な武器密輸ネットワー
クを築き上げた。
☆ アリエー・ジェンジャー。
リクリスのラピッド・アメリカ・コーポレーションの元副社長。後イスラエル国防軍で
シャロンの副官となり、海外への武器売却を担当する。彼はその職務の関係から、
ゼイエビとシャロンがカリブ海全域に配置した武器密輸人との連絡係を務めている。
☆ エリ・ランドウ。イスラエルのジャーナリストでシャロンの右腕。

●今日頻発する悲劇の背景

 二回目の会議は一九八二年十月十五日に、当時、シャロン国防相指揮下のイ
スラエル軍に占領されていたレバノンのシューフ山近くで行われた。シャロ
ン、レバノンのファランヘ党の指導者カミーレ・シャムーン、オーストラリア
の新聞王ルパート・マードック、それに加え数名のイスラエル及びレバノンの
政府役人と作家のウア・ダンが出席した。ダンはメイヤー・ランスキーを賞賛
する伝記を書いている。

 ランドスキャム計画への投資勧誘を目的とする第三回の会議は、一九八二年
十一月十五日にロンドンで開かれた。シャロン及びヘンリー・キッシンジャー
の他に出席者として、当時キッシンジャー・アソシエイツ社で彼のパートナー
だったピーター・キャリントン卿、ケネディ政権時代の駐米英国大使で、キャ
リントンとは親しい仲のハーレック卿(サー・デービッド・オームスビーゴ
ア)、元米国国務長官アレクサンダー・ヘイグ、英国下院議員ジュリアン・ア
メリー、イギリスのシオニストのサー・エドムンド・ペック、英国情報部の元
中東局長で現在MI−6の幹部ニコラス・エリオットが顔を揃えた。

 正体を隠して働く手先の人間や組織をいろいろ使いながら、一連のランドス
キャム計画会議の参加者たちは、占領地内のアラブ人の土地やエルサレム旧市
街中のイスラム・キリスト教徒用特別割当地域の買収を始めた。

 ランドスキャム計画の最終段階に向けての段取りは、一九八〇年代末までに
はすべて完了した。この最終段階においてはソ連在住ユダヤ人がイスラエルへ
大量移住し、占領地に住む全アラブ人の最終的な大量追い出しが行われる。

 この段階でランスキー子飼いのADLの別の一員が、この計画の遂行上極め
て重要な役割を引き受けることになった。これはちょうど一九七〇年代から一
九八〇年代にかけて、ADL全米委員会会長であるケネス・ビアルキンが、犯
罪によって手にした何十億ドルもの利益をアメリカの企業や銀行業、不動産分
野に再投資する工作を統括する役目を果たしたのと全く同じである。